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【Music Bird】ラフマニノフの《晩禱》

 ロシアピアニズムを俎上に上げてから月日が流れましたが、いまだロシアからは離れがたく、お薦めの演奏を尋ねられてもついロシアの演奏家のものへと手が伸びてしまいます。ロシアの演奏の何がここまで私を惹きつけるのか興味深いところではありますが、今は余り深く考えないようにしています。

 先日、縁あってウラディミール・ミーニン指揮のモスクワ国立アカデミー室内合唱団を聴く機会がありました。当日のプログラムはスヴィリドフの小品やロシア民謡が中心でしたが、この合唱団で思い出すのは10年ほど前に同じ合唱団で聴いたラフマニノフの《聖ヨハネ・クリソストムスの典礼》です。無から浮き出してくるような澄んだ歌声とその静謐な音楽には大いに揺り動かされました。

 ラフマニノフの典礼曲にはもうー曲、大作の《晩禱(Vespers)》があります。この合唱曲は、ロシア革命直前の1915年に発表され好評を博しますが、社会主義による宗教の否定によって長い間封印されてきました。1974年に作曲家の生誕100年を記念して発売された、スヴェシニコフとソ連国立アカデミー・ロシア合唱団によるレコードは、驚きと賞賛をもって迎えられたといいます。未だ社会主義の時代にこのような録音が発表できたのは当時モスクワ音楽院院長であったスヴェシニコフによる尽力も少なくなかったであろうと思います。

 私もこの曲を知るまではご多聞にもれずラフマニノフと言えば、ピアノ協奏曲と思っていたものですが、「晩禱」と大きく漢字で書かれた印象深いジャケットのレコードを聴き、たちまちにしてこの曲の虜となってしまいました。この曲は、ロシア正教の典礼音楽であることもあって、普段聴いてきる音楽からは遠く、ほとんど異教的な響きをすら感じてしまうのですが、音楽そのものの美しさがそのような印象を払拭し体に染み渡ってくるようでした。これが正しい受容かと問われればはなはだ心許ありませんが。

 ミーニンは、このスヴェシニコフの弟子であり、彼の衣鉢を継ぐべき人であるとみていいでしょう。日本では、まだこのような曲の演奏にはなじみが薄く、彼の合唱団が来日してもラフマニノフやボルトニャンスキーの典礼曲がプログラムに入れられることはほとんどありません。しかし、いずれは演奏会で彼の《晩禱》を聴いてみたいものです。

 なお、日本では東京トロイカ合唱団が年に1度、目白の東京カテドラルで《晩禱》演奏会を行っています。曲の性格からロシアでもそれほど演奏される機会の多くない曲であり、定期的に演奏会で聴けるのは日本だけであるともいいます。私も2度ほど聴きに出かけたことがありますが、教会の残響とも相俟ってロシアの合唱団に劣らぬ素晴らしい演奏でした。

 この曲に興味をお持ちになった方は、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年8月 掲載〕
写真:アンドレイ・リュブリョフの「聖三位一体」をあしらったチュルヌシェンコ指揮による《晩禱》。[2018年追加]スヴェシニコフによる国内盤。

【Music Bird】主観的観賞のススメ

 ──実のところ、世の中に客観的な批評家などというものは存在しないがゆえに、読者は客観的なイメージは得ることはできないのである。みずからこう主張する者は、みずからをも読者をも裏切ることはしないであろう。客観的なイメージ、客観的な批評家が存在しないのは当然のことである。なぜなら人間は機械ではないのだから。──

 これは、ヨーアヒム・ハルトナックの著した名著『二十世紀の名ヴァイオリニスト』(白水社刊)の序言からの一節です。評論における主観性というものをこれほど明快に表した例は少ないのではないでしょうか。

 いつの頃からか、音楽が主観的である以上、その評論は客観的であるべき、というような風潮が生まれてきましたが、ハルトナックはこの序文の中で、いわゆる客観的なイメージというものは実のところ主観的なイメージに他ならない、と喝破しています。そもそも評論というものは、ある事物に対する視点を提示することであり、その視点が個人の目から見たものである限りにおいて、それは客観的たりえません。

 しかし現実に目を向けると、現代は多くの音源や演奏家、情報に溢れかえり、評論の仕事といえばそれら膨大な資料の整理整頓の役を負わされている感が否めません。そのような中で、客観という衣をまといながら、特定の(資本的な)立場を代弁するような評誦や、主観を盾に修辞に明け暮れながら、その実「事物に対する視点」すなわち主観の欠如した評論などが現れてくるのは、ある意味で必然なのかもしれません。

 問題は、むしろ客観を求める側にあります。

 客観を求める者は、自らの主観を持たず、自らを客観の側へ置きたいと願望します。客観とは多くの人が認めるものであり、疑いのない指標というわけです。しかし、本来客観というものは主観を投影するものであり、主観が不在の客観などというものは存在しえないのではないでしょうか。

 ハルトナックは言っています。

 ──「私が用いる判断基準は、必然的に私自身の判断基準であるほかはない。この判断基準が主観的になればなるほど、今世紀のすぐれたヴァイオリニストを判定するにあたっての、一般的に通用する波長を探りあてる見込みも出てこようというものである。──

 巧みに客観という言葉を避けていますが、この「一般的に通用する波長」を「客観」と読み替えても、それほど大きな齟齬はないでしょう──巧みに避けた理由は考えなければなりませんが。

 私はこの一文から、音楽、あるいは他のどのような芸術を受容するときでも、個人の主観的な視点を通してよりほか、客観というものに近づく道は無い、と感じるのです。芸術が主観的な創造であるならば、それを受容する側もまた主観的たれ、と。

 蛇足ながら、『二十世紀の名ヴァイオリニスト』の序言には、レコードの功罪についてや世代の限界性、ヴァイオリン演奏の未来など、多くの示唆に富む洞察が含まれており、今改めて読み返してみても新たな発見があります。音楽評論の分野における屈指の名評論と存じます。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年7月 掲載〕

【Music Bird】グローバリズムとローカリズム

 経済、文化に限らず、戦後世界の潮流はグローバリズムであったと言えます。音楽の世界も例外ではなく、現代の演奏家は世界を股にかけて演奏活動を行い、作曲家も自国の聴衆のためだけに作曲するというようなことは無いのではないでしょうか。

 以前にも触れたことがあるかと思いますが、そもそもクラシック音楽は西欧を中心に発展したローカルな音楽であり、その西欧の中にも各地にそれぞれローカルな音楽文化圏があり、ウィーンやベルリン、ザクセン(ドレスデン)、パリ、ミラノ、ボローニャ、マドリードといった文化都市は、ゆるやかな交流を重ねながらそれぞれの文化を育んでいきました。

 そして、これらの文化圏で活躍する演奏家や作曲家も、主に自分の生活する文化圏のために作曲し、演奏していたと言えます。もちろん、当時から音楽家は演奏旅行を行っており──中でもモーツァルトのパリやロンドン、イタリアヘの旅行は有名です──他の文化圏の影響を吸収し、また影響を与えもしました。しかし、当時の旅は現在と比べれば少なからぬ危険を伴うものであり、それほど頻繁に行えるものではありませんでした。

 記録媒体は文字のほか無く、移動手段の限られていた当時、たとえある町に名人がいたとしても、その名声が他の文化圏まで届き、流布されるまでには、今では考えられないような長い時間がかかったであろうことは想像に難くありません。

 また、ある文化圏では最高とされている音楽家が、他の文化圏でも同じように最高という評価を得られるとは限りません。このようにして、各地の文化圏で、それぞれの文化にふさわしい音楽家が育っていったのです。

 20世紀に入り移動手段や記録媒体、通信手段が飛躍的に発展すると、演奏家は以前とは比べものにならないほど多くの場所へ演奏に出かけるようになり、また、他の演奏をレコードを通して聴くことができるようになりました。結果として、演奏家それぞれが容易に影響を与え合うようになり、また、自分の文化圏だけではなく、ヨーロッパあるいは世界各地で演奏しても評価の得られる演奏スタイルというものが模索されるようになりました。結果として演奏は徐々に均質化されてゆき、聴衆はどこの国のどこの地方の演奏家であっても、やはり均質に評価できる──技術レベルの高い──演奏を求めるようになりました。

 戦後になり、いわゆるグローバリズムが本格化していくとこの傾向は倍加され、今では、演奏を聴くだけではフランスの演奏家なのか、はたまたドイツなのかアメリカなのかを知ることは極めて困難になりました。それが良いことか悪いことかは別として、20世紀前半の演奏録音でそれを知ることはそれほど難しいことではないのです。

 フランスの大統領選挙ではグローバリズムを標榜するサルコジ氏が当選しました。はたしてこれからのクラシック音楽に必要なものは均質を目指すグローバリズムなのでしょうか、それとも文化圏に根ざすローカリズムなのでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年6月 掲載〕
写真:もっとも古い管弦楽団を擁するザクセン州立歌劇場“ゼンパーオパー”

【Music Bird】月に憑かれたピエロ

 12音技法の創始者にして現代音楽の祖、とも言うべきアルノルト・シェーンベルクは、その創作の中期──いわゆる無調時代に、作曲家ダリウス・ミヨーの言を借りれば「デカダン様式で、相当に悪趣味な」ベルギーの詩人アルベール・ジローの詩に基づく21の小曲からなる組曲《月に憑かれたピエロ(Pierrot lunaire)》を創り上げました。ドイツ表現主義を具現した傑作で、無調から12音技法への転換点として20世紀音楽の流れを決定づけた作品とも言われています。

 この曲は、シェーンベルク自らが考案した、シュプレヒシュティンメ(Sprechstimme)と呼ばれる、歌とも語りともつかない唱法で歌われ、「歌うことなく話し、語ることなく歌う」ことを要求しています。その唱法は、ソノリティにおいて、また音楽表現として劇的な効果を発揮し、未完のオペラ《モーゼとアロン》において再び使われることになります。また《ナポレオン・ボナパルトヘの賛歌》や晩年の傑作《ワルシャワの生き残り》といった曲にまで、その影響を辿ることができます。

 初演は1912年10月16日ベルリンにおいて行われ、作曲者による指揮、作曲を依頼したウィーンの女優、アルベルティーネ・ツェーメによる語り、弟子でもあったピアニスト、工ドゥアルト・シュトイエルマン──今なお色褪せないシェーンベルクのピアノ曲録音を残しました──によって演奏されました。1912年という年は、既に亡くなっていたマーラーの《交響曲第9番》がブルーノ・ワルターによって初演された年でもあり、《ピエロ》の初演一大スキャンダルであったとも言われています。面白いことに、翌1913年には、ストラヴィンスキーの《春の祭典》がパリで騒動となっています。

 私とこの曲との出会いはクラシック音楽を聴き初めて間もなくで、聴きなれない不協和音とグロテスクな歌に戸惑いながらもこの曲に強く惹かれました。随分若かった私は、おそらくその題名の奇妙な語感と、ジローによるシュルレアリスティックな詩にまいってしまったのだと思います。熱狂、陶酔、忘我、甘美を誘う調性音楽──いわゆるクラシカルな音楽との折り合いをどうにかつけながらシェーンベルクとその周辺を聴き進んでいったのが、私と現代音楽の邂逅といえます。

 その後も私にとって《ピエロ》は、シェーンベルク、現代音楽、あるいはクラシック音楽において常に特別な位置を保ち続け、事あるごとに聴き続けてきました。初めのうちこそグロテスクであり、デカダンであり、ある種居心地の悪い音楽と感じていたこの曲ですが、今聴いてみると、不安な時代を写しとっているのは確かではあるものの、12音技法へ向かう確固たる信念とエネルギーに満ち溢れ、むしろ美しさをすら感じてしまいます。

 シェーンベルクは「音楽は美しくある必要はない、真実であるべきだ」と語り調性を捨て去りましたが、皮肉にも結果として生みだされた音楽は、えも言われぬ美しさを湛えたものばかりなのです。ここに「真実と美」のアイロニカルな矛盾を感じるのは私だけでしょうか。それにまた、シェーンベルクという言葉は「美しき山」という意味なのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年5月 掲載〕
写真:2枚のピエロ。作曲者自身によるものと、弟子でもあったレイボヴィッツによるもの。

【Music Bird】音楽の秘境と文化的背景

 2007年1月のプログラムガイドを何とはなしに眺めていたら、田中美登里さんのコラムの中の「クラシック音楽は秘境なんですよ」という言葉が目に入りました。田中さんと同じく、私にとってもこの言葉は新鮮に感じられ、また、考えさせられるものがありました。

 秘境とは、「人跡のまれな様子がよく知られていない土地」(広辞苑)ということなのだそうですが、すでに数百年の歴史があり、多くの人が一応は見知っている音楽を、敢えて「秘境」と表現しているところに、クラシック音楽の未だ多くの人の目に触れぬ美しさと共に、その抱える問題点をも隠喩しているように感じられました。

 クラシックに限らず音楽には、必ず基礎となる文化的な背景があります。ジャズのルイ・アームストロングや、ロックのチャックベリーなど、その音楽を始めた人物という称号はありますが、その彼らもその時代、文化の背景なくして自分の音楽を作り上げることは出来なかったでしょう。

 しかし、ロックやジャズは、音楽として誕生してからまだそれほどの時は過ぎていません。また、移動、通信手段やメディアが発達した時期とも重なったために、これらの文化的背景は現在でも比較的身近に少なくとも情報の上では感じとることができます。

 対して、クラシックが音楽として誕生した時期は遥か昔であり、多くの時代、様式と、多くの地域の文化を、ある時は吸収し、ある時は影響を与えあいながら発展してきました。そのため現代に生きる我々が、クラシックの文化的背景にロックやジャズのような身近さ感じることは難しいでしょう。

 思うに、この複雑で巨大な文化的背景こそがクラシックを秘境たらしめている大きな要因の一つではないでしょうか。

 この複雑さ故に、クラシックは聴く前に情報の与えられることの多い音楽です。作曲家、演奏家の名前、使われている技法、作曲、演奏にまつわる話など。音楽は耳で聴き、感じとるものである、という考えかたからすると、聴く前に情報を得るということは、先入観や固定観念を与えるということであり、純粋に音楽に相対していないと考えられます。しかし同時に、その音楽の基礎となっている文化的背景を理解することなく、その音楽が理解できるのであろうか、という疑問も湧いてきます。このジレンマに対する私の答えは今のところ出ていません。

 いずれにしても、クラシックという秘境を探訪する人が増えるのは良いことです。異なる文化を知るということは、すなわち自分の文化を知るということでもあります。また、そのような人々が増えれば、私の疑問がいずれは氷解する日も来るのでしょうから。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年4月 掲載〕
写真:リトアニアの辺境作曲家、チュルリョーニスの生家(現博物館)。

【Music Bird】音楽の視覚化とA. M. カッサンドル

 自明のことではありますが、音楽は他の芸術、絵画や彫刻などと違い、目で見ること、手で触れることの出来ない芸術です。それは耳でのみ聴くことができ、19世紀末に蓄音機(Phonograph)が発明されるまでは、一回性の高い特殊なものでした。

 20世紀は音楽にとっても変革と激動の世紀でした。様々な形態の音楽が生まれてきたことはもちろんですが、蓄音機によって一回性の壁を越えた音楽は、LP時代に入ると新しく目で見るもの──ジャケットという姿を装って新たに出現することになります。人々は、既に知っている作曲家、演奏家のレコードを探すだけではなく、ジャケットを目で見て選ぶという選択肢を得たのです。

 30cm四方のジャケットに音楽、あるいは文化を映しとるという試みは、LP黎明期には既に始まり、商業主義と大置生産に飲み込まれてしまうわすか10年ほどの間に大きく開花することになります。それは主としてフランスで花開き、中でも偉大なアール・デコ・デザイナーであったA.M.カッサンドルを抜きにして語ることはできません。

 そのデザインは、後期のカッサンドルが好んだ単純明解な文字構成(タイポグラフィ)を特徴とし、文字組みやカリグラフィのようなタイプフェイスの変形、色彩の変化によって提示されるデザインは、
その音楽や演奏家だけではなく、フランスという国やその時代の空気をそのまま切り取ってきたかのような錯覚すら感じさせます。いみじくもカッサンドル自身が語ったように──「詩的」なエモーションを想起させるのです。

 カッサンドルは1950年代後半の3年ほどの間に100点を優に超えるジャケットのデザインを行いますが、その後、工房の写真家でもあったジョベールにその任を譲ります。しかし、そのジョベールのデザインにカッサンドルほどの説得力があったかどうか。総じて(特にクラシックにおける)ジャケットのデザインは年を経るごとに平凡になってゆき、12cm余りのCDというメディアの出現によって、完全に生命を絶ったと見るべきでしょう。

 逆説的に見れば、携帯音楽プレーヤーや高品質の音楽放送というものの出現は、利便性以上に、音楽の視覚化を試みたジャケットがその意味性を失うことによって、必然的にもたらされたものである、とも言えましょう。

 A. M. カッサンドルは1968年6月17日、パリにて自ら命を絶ちます。レコードジャケットが音楽を想起させるものから、レコードを認識、保護するものへと変化していった時代と重なるところに、運命の皮肉を感じざるを得ません。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年3月 掲載〕

【Music Bird】ロンドン音楽探訪

 2007年の初めはロンドンヘと出掛けてきました。とはいえ、ホールでのコンサートヘと通うでもなく、教会のランチタイム・コンサートなどを巡っていました。アカデミー室内管弦楽団で有名なセント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会では、女性による弦楽三重奏団がベートーヴェンと珍しいマルティヌーの曲を披露し、サザーク大聖堂では、アイアランドの弦楽四重奏曲を初めて耳にすることができました。しかし、ひときわ印象に残ったのは、セント・ポール大聖堂の有名な「囁きの回廊」へ登っていた時に、不意に下から聴こえてきたブリテンの《戦争レクイエム》のリハーサルでした。教会のドーム部分にある「囁きの回廊」は、壁際で囁いた声が反対側の壁際まで聴こえるという不思議な構造をしているのですが、そこで聴いた得も言われぬ響きはいまだ耳に残っています。

 19世紀未から20世紀前半にかけて、ロンドンはクラシック音楽の一大拠点でした。美しい円形劇場であるロイヤル・アルバート・ホールや、室内楽の名門ウィグモア・ホール、コヴェントガーデンとして知られる王立歌劇場などの名ホールにはイザイ、クライスラー、トスカニーニ、フルトヴ ェングラーなど、著名音楽家が次々と来演し、ヴォーン=ウィリアムス、エルガー、ディーリアス、ホルストなどイギリスを代表する作曲家が立て続けに現れました。

 しかし、19世紀後半までのイギリスでは著名な演奏家や作曲家はそれほど輩出されてきませんでした。それは、 14世紀からの英仏100年戦争によってイギリスとヨーロッパ大陸との交流が滞ったことと、それに続く英国教会とカトリック教会との分裂が、カトリックおよびプロテスタントの教会を揺藍としたクラシック音楽と疎遠になった一つの理由ではないかと思います。

 しかし、偉大な作曲家がいなかったわけではありません。 16世紀後半にはダウランドや、『フィッツ・ウィリアム・ヴァージナル・ブック』で知られるバード、ギボンズ、ブルなどの作曲家が出現しました。バードは「イギリス音楽の父」と呼ばれ、ギボンズはグレン・グールドが最も才能ある作曲家の一人として挙げていますが、グールドの奏する一風変わった「ソールズベリー伯爵に捧げるパヴァーヌ」を聴くと、それもむべなるかなと思わせます。

 その後、1695年に没したヘンリー・パーセルを最後に──イギリスヘ帰化した大作曲家、ヘンデルを除けば──長い空白が続きますが、19世紀後半のエルガーなどを経て、「パーセル以来の天才」と称されたブリテンの登場を侯つことになります。

 セント・ポール教会での《戦争レクイエム》はリハーサルを聴いただけで、その日の晩に行われた本番は聴きませんでしたが、日本ではまだ聴く機会の少ないブリテンやアイアランドを聴くことができたのは望外の喜びでした。

 名門ホールでの演奏会はもちろんですが、ヨーロッパとは少し異質の国イギリスでも、このような教会での演奏会がクラシック音楽の伝統を地道に守り続けているように感じられたロンドン訪問でした。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年2月 掲載〕
写真:セント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会のリハーサル風景。

【Music Bird】レコード蒐集家百景

 レコードコレクターはある意味で特殊な人々です。なぜなら今のメディアの主流はCDであり、レコード蒐集はごく限られた人々、いわばマイノリティの趣味であるからです。今回は、そんなコレクターの面々を(大雑把にではありますが)俯暇してみることにしましょう。

 何はさておき、この分野最大の勢力は、大指揮者フルトヴェングラーのコレクターを措いて他に考えられません。レコードコレクターと呼ばれる人々の中で、フルトヴェングラーを一度も聴いたことが無い、あるいは全く興味が無い、という人が果たしているでしょうか。「フルトヴェングラーは偉大な指揮者のうちの一人である」と斜に構えている私でさえも、ひとたびその演奏を聴けば、その素晴らしさに圧倒されてしまいます。

 フルトヴェングラーを典型として、レコードコレクターに多いのが演奏家のコレクターです。アシュケナージやプレトニョフなど今も活躍する演奏家はもちろんのことですが、古き良きを訪ねるレコードならではというところで、カザルス、クライスラー、ティボー、コルトーをはじめ、ハスキル、リパッティ、リヒテルなど。またもう少しマイナーなところでは、ウィーン・フィルのヴァイオリニストであ ったバリリや、スイスのペーター・リバールなど、マイナーな演奏家を追っているコレクターは枚挙に暇がありません。

 また、ドイツの指揮者、ルドルフ•ケンペのある大コレクターは、コレクションが嵩じて、ついには『指揮者ケンペ』という本まで上梓されています。本といえば、以前にも紹介した『ロシアピアニズム』の著者、佐藤泰ー氏は、ロシアピアニズムという枠のコレクターではありますが、実のところショパンのレコードを追い続けておられるコレクターでもあります。20年ほど前に発売された氏の著作『ショパン・デ ィスコロジー』こそ氏のコレクションの原点であろうと思います。

 演奏家コレクターから派生してもう少し広いコレクションを目指す方々がいます。中でも古今束西のヴァイオリニストをどこまでも追い続けているコレクターは少なくありません。それは、ジェームス・クレイトンというカナダのコレクター兼司書が『Discopaedia of the Violin』という、レコードの発明から発売された総てのヴァイオリンのレコードをほぼ完璧に網羅したディスコグラフィを出版した影響が少なくないのではと思います。

 また、前回触れた弦楽四重奏曲も、そのコレクターは少数ながら存在します。これも、幸松肇氏という日本における弦楽四重奏の生き字弓Iのような方がおられる影響が少なくないでしょう。手前味噌のそしりは免れませんが、縁あって氏が以前連載されていた記事を纏めた『レコードによる弦楽四重奏曲の歴史』を私が出版するという栄に浴することもできました。

 さてもう一つの勢力として曲コレクターという存在があります。 CD界隈では、ショスタコーヴィチや北欧マイナー作曲家が流行なのだそうですが、レコードの世界では、まるで時が止まったようにモーツァルトやバッハのコレクターが主流となっています。前記佐藤氏のショパンなど、マイナー中のマイナーともいえます。

 この曲コレクションが先鋭化すると、ベートーヴェンの《英雄》や 《第九》交響曲のみのコレクター、あるいは、バッハの《シャコンヌ》や《ゴルトベルク変奏曲》、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のみを集めるというようなコレクターを生み出すことになります。

 他にも、ハイファイ録音を中心に集めるオーディオファイル・コレクターというー派があり、イギリスDeccaを始めとする初期ステレオ録音の初版盤がその主な対象となっています。故長岡鉄男氏は、この分野で今なお最も影響力ある評論家であり、「長岡教徒」なる言葉まであるほどです。

 変り種としては、オペラ、それもテナーだけを集めるコレクターがおられるのですが、このお方、まさにテナーのように浪々と止め処なく牒り、興が乗ると自ら歌いだす、一部では有名な方です。

 このようなことを書いていると、以前「フルトヴェングラーが最高なのだから皆それを聴いていれば良いのに」と言っていた方に対して「全ての人がフルトヴェングラーしか聴かなくなってしまったらコレクターが居なくなってしまうじゃないか」と反論していた方がいたのを思い出します。

 いずれにしましても、これだけ様々な人々を惹きつけコレクターならしめる、音楽の力というものに、改めて驚きと畏敬の念を感じずにはいられません。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年1月 掲載〕
写真:コレクターの「聖典」? フルトヴェングラー「バイロイトの第九」。

【Music Bird】秋の夜の弦楽四重奏

 今年の秋は暖かい日が続いていますが、日暮れだけは着実に早くなり秋が深まりつつあります。

 一昔前の音楽愛好家諸氏の間では、交響曲、協奏曲、独奏曲と聴いてきて、最後に到達するのが、歌と弦楽四重奏曲である、と言われていたのだそうです。

 たしかに、歌は音楽の全くの原初である「歌うこと」であり、弦楽四重奏曲は、余計なものを削ぎ落とした緻密な構成と内的独白という意味でクラシック音楽発展の一つの到達点であると言えます。クラシック音楽を聴き進むうちに、この二つの対極する精華に辿り着くのは、ある意味で必然なのかもしれません。いささかこじつけですが、それは作曲家にも言えることです。例えば、ベートーヴェン最後の作品は《弦楽四重奏曲作品135》であり、様々な革新と実験を繰り返したシェーンベルクの遺作となったのは宗教的な合唱作品でした。

 このように充実した実りであり、また華美を廃した枯淡の境地でもある弦楽四重奏曲という分野は、秋に聴くにはまことに相応しい音楽であるように思います。

 弦楽四重奏曲を辿るということは、クラシック音楽の歴史を辿ることでもあります。弦楽四重奏曲の原型はバッハ以前から存在し、徐々に発展を続けながらハイドンによって形式として完成され、モーツァルト、ベートーヴェンによってより磨きがかけられました。まさに、ウィーン古典派と言われる作曲家達によって完成された「クラシック=古典」の歴史そのものでもあるのです。

 弦楽四重奏曲の最も不可思議であり魅力となっているのは、四人の弦楽器奏者によって奏されるということではないでしょうか。四人による合奏ということは、一人の奏者の気分によってテンポやフレージングを変えることは不可能です。反対に、独奏者や指揮者が、演奏会において何か霊妙な閃きによって、楽譜、あるいは練習からは思いもかけなかった表現が生まれることがあることは容易に想像がつきます。

 しかし、四重奏という四人の個性が、仮に一身同体となるまで練習に励んだとして、実際演奏会でそのような閃きが四人に等価に(あるいはアンサンブルに許容される差異の範囲で)現れ得るものだろうか、という疑問が常につきまといます。しかも、これこそ驚くべきことなのですが、最も素晴らしいいくつかの演奏の中には、そのような瞬間が間違いなく存在するのです。

 完璧な準備、練習と、芸術の閃き、という相反するとも思えるものが、弦楽四重奏の中には共存しているのです。このことが私を弦楽四重奏へと惹きつけてやまないのです。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番冒頭の永遠に続くかと思われるフーガに耳を傾けていると、そのようなことは全く瑣末事であると思えてくる秋の夜ですが……。

〔Music Bird プログラムガイド 2006年12月 掲載〕
写真:ウィーン・フィル伝説のコンサートマスター、アルノルト・ロゼの四重奏団。

【Music Bird】音楽と数値

 現代に生きる我々に、数値はなくてはならないものになっています。東京駅から御茶ノ水まで電車で何分、距離は何km、運賃は何円、今日の温度、湿度、果ては摂取カロリー、株価、と生活に関わる全てのものが数値で表されています。

 ところで西洋音楽の世界では、遥か昔から楽譜というものの発明によって音楽を数値化することに成功していました。西洋の音楽は、音を数値化する楽譜というものによって飛躍的に発展したといえるでしょう。楽譜が発明されるまでは、ある曲は作曲家が演奏者でもあり、しかもその人が生きている間(厳密に考えれば演奏に足る能力がある間)だけ存在しうるものでした。

 西洋以外では(おそらく西洋の一部でも)現在でも楽譜を使わない音楽は数多く存在します。しかしこれらの音楽は、口伝のような形でしか伝える手段が無く、しかもその性質上常に変形、消失の危機にさらされることになります。

 しかし、楽譜という数値は、音楽を完全に再現させるという意味ではまだ不完全でした。同じ楽譜を元にした演奏でも一つとして同じ演奏は存在しません。また、作曲した側の思い描いた音楽と、演奏する側の思い描いた音楽は、必ずしも、というよりも、まず一致はしないでしょう──ただ作曲者自身が演奏した場合を除いては。

 ところが、私はこの楽譜という不完全な数値化こそが西洋音楽発展の大きな秘密だったのではないかと考えています。不完全さ故にこそそれを表現する演奏芸術が大きく発展し、作曲家の不完全さを補う力、あるいは芸術をより完全なものへ近づけるための力となったのではないかと感じています。演奏家は作曲家すら気が付かなかった可能性を提示することすら可能となったのです。

 科学の発展によって数値が達用される範囲は飛躍的に増えていくと共に、数値はあらゆるものにますます大きく影響を与え続けています。現在でもミクロ、ナノ、とあらゆるものが分解、分析されていきます。最終的に人はあらゆるものを数値で表してしまうのかもしれません。

 しかし、楽譜の不完全さと同じように、どこまで分解しても音楽には数値化不可能な部分があり、その部分こそが音楽の不可思議な魅力の源泉なのではないでしょうか。そして、楽譜や時間も含め、身の回りの数値のことなど思い浮かばぬほど音楽に没入できたときこの源泉に触れているときなのではないでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2006年11月 掲載〕
写真:音楽を色で表そうと試みたスクリャービンのピアノ(スクリャービン博物館/モスクワ)。