以前にDialレーベルを紹介した時にも少し触れましたが、LP初期のマイナー・レーベルは百花練乱であり、その演奏の質は玉石混淆とはいえ、中にはメジャー・レーベルに劣らないどころか、むしろ、より名演と呼べるようなものが少なからずありました。
わが国の室内楽ファンにとって忘れられないマイナー・レーベルの一つがWestminsterレーベルです。レオポルド・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団による、モーツァルトの《クラリネット五重奏曲》は、文字通り不滅の名演であり、個々人の評価は別としても、聴いたことの無いクラシック・ファンはほとんどいないのではないでしょうか。
また、コンツェルトハウス四重奏団の後輩に当たる、バリリ四重奏団によるベートーヴェンやモーツァルトの四重奏曲全集も、多くのファンを獲得してきたモノラル期の名演の一つです。
ところで、バリリがコンツェルトハウスの後輩と書きましたが、この辺りの事情は少し複雑です。確かにバリリはコンツェルトハウス四重奏団のリーダー、カンパーよりも年少でしたが、バリリがウィーン・フィルのコンサート・マスターであったのに対し、カンパーは戦後までウィーン・シンフォニカーのメンバーであり、戦後の人員不足によって、ウィーン・フィルに入ったのでした。言ってみればバリリ四重奏団は戦前からの伝統ある「主流派」であり、そのメンバーも、前任者であったシュナイダーハン四重奏団のメンバーをそのまま引き継いでいます。このような事情は、それぞれの四重奏団の演奏の価値には全く関係の無いことではありますが。
1949年、アメリカに創設されたWestminsterレーベルは、ヨーロッパに強い繋がりを持ち、戦争によって疲弊し、物資が不足していたヨーロッパに強いドルを持って乗り込み、短期間に膨大な数の録音を成し遂げます。
最近、再発売されたCDのライナーノートや当時の証言を集めた本『ウィーン・フィルハーモニー──その栄光と激動の日々』などの資料によって、当時の状況がかなり詳しく窺えるようになってきました。それらによれば、録音は深夜遅く、オーケストラの仕事を終えた後に寒いスタジオで行われたであるとか、貰った報酬はわずかなもので、時には現物支給であったり、支払われないこともあったのだとか、当時の演奏家達にはレコードで聴く演奏からは伺い知ることのできない労苦があったようです。
このような証言を辿ってみると、Westminsterレーベルというのは、随分と「けしからん奴ら」であるということになります。たしかに、バリリやカンパーは、半ば騙されたように思ったり、腹立たしく思ったこともあったことでしょう。しかし、遠く離れた極東の地で、今に到ってもなお愛好され、名演の第一に挙げられ、このような文章の俎上に上がっているのは、まさにその「けしからん奴ら」によってなのです。私たちは、この「けしからん奴ら」を糾弾すべきなのか、それともこのような録音を残してくれたことに感謝すべきなのか、実に悩ましいところです。
CDの時代となり、技術の発展によるコストダウン効果も手伝って、現在はLP初期のように多くのマイナーレーベルが次々と出現してきています。このような動きがこの後どのように発展するのか、いろいろと想像を巡らせてしまう今日この頃です。