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RCA 17cm EP盤の楽しみ

17cm盤コレクションというと、Ducretet-ThomsonだとかChant du Mondeを思い浮かべる不純な向きもあろうかとは思いますが、ここでご紹介するのはコレクターズアイテムとは言い難いアメリカRCAの17cmEP盤です。

LP黎明期のRCA Victor(以後RCA)は、30cmや25cmの33回転盤、いわゆるLP盤と同時に、同じタイトルを45回転EP盤の箱物セットでも発売していた時期がありました。1枚のLPで聴けるものを、わざわざ複数枚のEP盤を裏返しながら聴くという行為は一見馬鹿げたことのようにも思えますが、そこには音質といった単純な問題のみならず、RCAのEP盤ならではの合理的、あるいは好事家的な理由が存在するのです。

1940年代末頃、ベータ対VHS戦争(この表現が既に陳腐化しているのが寂しい限りです)にも比すべき、LP対EP戦争があったことは今や余り知られていません。

アメリカColumbiaが記念すべき世界初のLP盤を発表したのは1948年6月のことです。後塵を拝すこと半年余り、1949年2月にRCAは45回転17cmのEP盤を発表しました。RCAがEP盤を採用した理由として、33回転盤よりも線速度を速く取れることによる音質の優位性(ただし17cmのEPでは、LPに比べて内周を使うため、その分線速度の有利は失われていたはずです)や、78回転SPとほぼ同じ時間を収録できることから、これまでSPに慣れ親しんできた音楽ファンが違和感なく移行できることなどが挙げらるでしょう。しかし、実のところ最も大きな理由はライバル会社であったColumbiaが発表した規格をそのまま踏襲することに少なからぬ心理的抵抗があったからではないでしょうか。

かくしてColumbia対RCAのLP対EP戦争が始まった訳ですが、1950年1月、RCAは早くも33回転LPを発売し、Columbiaもポピュラー音楽を中心にEP盤を充実させていくことによって、LP対EP戦争は意外にもあっさり収束へと向いました。RCAはその後もEP盤セットを発売し続けましたが、1950年代半ばにはその発売も行われなくなり、内心忸怩たるものはあったにせよ、結果的にRCAはColumbiaのLP規格に合流することになります。

歴史的な事はこれくらいとして、順を追ってRCA EP盤の底知れぬ魅力を探っていくとにしましょう。

1.音質優位性
前述の通り、33回転LP盤に比べ45回転盤の方が線速度が速い(が盤が小さい事においては不利)がゆえの高音質という考え方が一つあります。これは、体感しにくいこととはいえ異論のないところです。

ここで注目したいのが盤の材質の問題です。およそLPの初期プレスはビニールの材質、プレスの品質において余り褒められたものではない傾向があり、それはRCAのLM盤(LP盤)とて同様です。ところが、こと初期RCAのレッドビニル盤に限っていうと、サーフェスノイズも少なくプレスの品質においてもLP盤を上回っているように感じられます。プレスが良いということは、すなわち高音質である、と言うことです。日本のいわゆる「赤盤」の評判が悪かった事とは対称的です。

もう一つ音質に関わる問題が「またか」と言われてしまうであろうイコライザーカーブです。かねてよりRCAはLP(RCAカーブ)とEPでイコライザーカーブを変えていたのではないか、という説が囁かれていました。EP盤には、RCAが78回転SP末期のビニルプレス盤で用いていたイコライザーカーブをそのまま使っていたという資料もあるようです。これが事実とすると、LPとEPの音質の違いは容易に説明がつくのですが、それ以上に、極めて個性的なイコライジングカーブであるRCAカーブ(LP)に比べ他のイコライザーカーブに比較的近いEP用RCAカーブは、一般的な機器において再生が容易であった、という仮定が成り立ちます(この場合、音質についてはそれぞれ適正なイコライジングを施して評価する必要があるわけですが)。これらについては確実な資料に当たったわけではありませんので、引き続き調べていきたいところです。

2.LP未発売盤の存在
これは最もわかり易い理由です。かつては「CD化されていないからLPを買う」という決め台詞があったものですが、(今やありとあらゆるものがネットやYouTubeに転がっている状態ですから何をか言わんやですが)これと同じような論法がRCA EP盤にも成り立ちます。すなわち、EP盤で発売されていながら、LP(LM番号など)では発売されていなかったものが相当数あったのです。

有名なところでは、エルナ・ベルガーの『歌曲リサイタル』があります。エルナ・ベルガーはRCAにもう1枚『モーツァルト歌曲集』を残しており、こちらはLP(LM番号)でも発売されたのですが、『歌曲リサイタル』は78回転SP盤(DM番号)とEP盤(WDM番号)しか発売されませんでした。

ベルガーと同様のものに、ドイツの大ソプラノ、ロッテ・レーマン最後のスタジオ録音《ソング・リサイタル》やブラームスの《ジプシーの歌》などがある他、プリムローズの『サラサーテアーナ』も希少なEPのみ発売盤です。

ここで少し脱線して、合理的に考えられているRCAのレコード番号について書いてみます。1950年前後のRCAは78回転SP盤、LP盤、EP盤が併売されている状況でした。例えば後述するルービンシュタインのラフマニノフには、EPに〔WDM 1075〕、LPに〔LM 1005〕という番号が振られていたのですが、するとたとえSPの番号を知らなくても、SPの番号は〔DM 1075〕と分かる仕組みになっているのです。この伝統はステレオ期になっても続き、例えばミュンシュの《幻想交響曲》などはステレオ盤が〔LSC 1900〕であれば、モノラル盤は〔LM 1900〕であることが、立ちどころに知れるのです。もちろん幾分かの例外が存在するのは、他の多くの規則と同様のことです。

3.ボーナス曲の存在
これは、前項にも通じる部分でもありますが、EP盤の最後の面に空きが出来たときなど、EP片面に収まる曲が、まるでボーナストラックのように収録されていることがあります。これは78回転SP盤の伝統を引き継いだもので、後述しますがそのほとんどはSP盤と全く同じ面割りで収録されています。面白いことに、LP(LM番号)盤には、これらEP1面分の曲が収録されないことが多いため、さながらEP盤のためのボーナス曲のようになっているのです。また、これらの曲はEPのみでしか聴くことができないものも多く、コレクター心をくすぐらずにはおきません。

身近な例えで申し訳ありませんが、このルービンシュタインのラフマニノフでは、最後の面に少し場違いなショパンの即興曲が収められています。パガニーニ四重奏団のベートーヴェンなどにも、最終面に小粋な楽章が収録されているものがあります。

ここで一寸注意が必要なのは、イトゥルビの『リサイタル』のようにEP盤には収録されていなかったものがLP盤に収録されていることがままあることです。これはこれで、ますますコレクター心をくすぐる話ではあります。

4.面割りの秘密
これも前に少し触れていますが、RCAのEP盤の建前は78回転SP盤と同じような感覚でマイクログルーブ(LP規格の溝)盤を楽しめることでした。そこで、いくつかの盤を調べてみますと、特に初期のEP盤のほとんどは、同時、あるいはEP以前に発売されていたSP盤の1面と完全に対称となるように収録されていることが分かります。

ここでハイフェッツのチャイコフスキーを俎上にあげてみましょう。この1950年のイギリスHMV録音は、イギリスで4枚組8面のSP〔DB 21228-31〕として発売されました。LP時代になり、イギリスではこの録音を25cm盤LPで発売しましたが、当時提携関係にあったアメリカRCAでは、LPと同時にHMVのSP盤と全く同じ面割の4枚組EP〔WDM 1442〕としても発売しました。

この「SP盤と同じ面割り」がなぜ重要かというと、当時すでにテープ録音を行っていたはずのHMVが、この録音を楽章ごとではなく、面ごとに演奏を止めて録音していたからです。これはテープ録音以前に長い曲をSP録音する際の手法です。

面ごとの録音では、区切りとなる部分で演奏の余韻や残響を残した状態で中断することになり、演奏家によってはリタルダント(テンポを徐々に落とす)を掛けたり、次の1音を弾いてから終えたりもしていました。このような録音をLP化する場合、継ぎ目となる残響や余計な1音などは編集で削られてしまうことになります。つまりLPで聴くこのハイフェッツの演奏は、僅かではあるものの本来の録音から欠落したものを聴いていることになるのです。逆に考えれば、RCAのEP盤では(実に重箱の隅的な話ではありますが)、この録音を隅なく味わうことができるという寸法です。

なぜテープ録音にも関わらず「面ごと収録」を行ったのかは詳らかではありませんが、後の編集の手間よりも演奏を止めてしまった方が手っ取り早かったのか、あるいはSP時代から録音を続けていた演奏家にとっては、この方法の方が演奏し易かったのかもしれません。

蛇足となりますが、このハイフェッツ盤は、フランスでもEP盤セット〔A 95205-6〕として発売されましたが、やんぬるかな、こちらはEP2枚に詰め込んでしまったため、せっかくのEP盤でありながら欠落部分が生じてしまっています。

ハイフェッツの例にとどまらず、パガニーニ四重奏団やルービンシュタインなど多くの演奏がテープ録音にも関わらず面ごと収録をしていたと推測(ほぼ確定)されます。また、クーセヴィツキーやトスカニーニなど、かつてのSP盤の復刻においても演奏を編集で繋げることなく、SP同様の面ごとに聴くことができるのはある意味で有り難いことです。

5.プレーヤーの楽しみ
この考察は、順を追うごとに偏執的となっていくのですが、ついには音楽鑑賞を超越してプレーヤーを眺める楽しみにまで至ってしまいました。

RCAはEP盤セットを発売すると同時に、EP盤専用のオートチェンジャー(自動再生)プレーヤー〔Victorola 45-EY〕を発売しました。これがEP盤専用の小じんまりとしていてかわいいなりをしているのですが、太いスピンドルの上部にEP盤を重ねてセットして再生すると、1枚の再生が終わるごとに自動的に次の盤を落としてはまた再生するという、実に良くできたメカニズムを隠し持っています。すべての再生が終わると、盤をまとめて裏返してセットし直せば、残りの面が再び自動で再生されるため、人の手を煩わすのはLP盤と同じく1度だけで済むという訳です。

この動きを眺めていると、音楽すら忘れて見入ってしまうほどに良くできたメカニズムです。しかも初期のモデルには真空管アンプが内蔵されていたため、オーディオマニアが楽しむ余地も十二分に与えられています。

YouTubeなどには実働映像が色々とありますので「百聞は一見にしかず」、ご覧になってみて下さい。ただし、万が一にもこれを購入する羽目になりますと、もはや病膏肓、抜き差しならぬマニア道を邁進することになってしまうことでしょう。

RCA EP盤の世界は、斯くも楽しく、また恐ろしき世界なのです。

RCA Victrola 45-EY-2

レナード・スラトキンの選ぶキワモノジャケット20選

MCS山根氏のTweetを眺めていたら、表題のTweetを紹介されていて、これがかなりヒネリの効いた楽しい企画でしたので、幸いスラトキン氏のTweetは一般公開されていることもあり、20件全てここに列挙させていただくことにしました。

今や巨匠指揮者の一人、レナード・スラトキンは、弦楽四重奏好きであれば一度は耳にしているであろう、1958年エジンバラ音楽祭における伝説的な「ベートーヴェン後期四重奏曲演奏会」を行ったハリウッド四重奏団の第一ヴァイオリンで、指揮者としても活躍した、フェリクス・スラトキンの子息になります(同四重奏団のチェリスト、ヴィクター・アラー女史が母君)。

このワーストジャケット企画の合間にも、『ハリウッド四重奏団の芸術』や『フェリクス・スラトキンの芸術』の紹介を、しかも日本のファン向けにTweetしており、音楽史の連続性を感じることができます。

それにしても二の句がつげないようなジャケットの数々、よくぞ見つけた(架蔵していた?)ものです。スラトキンの一言コメントも秀逸です。対抗して、共産圏キワモノジャケット集でも集めようかと思ってしまいました。


【オーディオ】Pathé 縦振動盤をカートリッジ再生してみる

いわゆるSP盤(スタンダード・プレイ盤、つまり標準再生盤ということですが、実はLP期の45回転17cm盤も初期にはSP盤(Standard Play)とEP盤(Extended Play)の2種があり、紛らわしさからか、諸外国では一般に45rpm盤、78rpm盤と呼ばれています)の中に、少し特殊なものとして、縦振動盤というものがあります。

通常、LP、SPにかかわらず、モノラル盤の音溝は振動が横に記録されており、顕微鏡で見ると川のように蛇行した溝が確認できます。ところが、縦振動盤というものは、振動を上下に記録しているため上から見た溝はほぼ一直線に見えることになります(後述しますがPathé系の盤は少し事情が異なります)。

縦振動盤には、おおまかに分けて2つの流れがあります。一つはエジソン系のもので、もう一つはPathé系です。そもそも縦振動が採用された理由の一つは、最初の量産録音再生装置であったエジソンの蝋管に縦振動が採用されていたことが大きかったのではないかと考えられます。

縦振動盤は溝の幅が一定のため、溝の送り幅を小さくできることや、音質にも利点がある(少なくともエジソンはそう考えていたようです)と言われていました。たしかに、 当時ヴァリアブルピッチ(溝の幅によって送り幅を変える技術。SP末期に使われるようになりました)などという技術はありませんでしたので、横振動の振り幅が大きくなると盤全体の送り幅も大きくしなければなりませんでした(結果として収録時間が短くなる)。しかし、振動の振り幅という点では縦振動盤も、大きな振り幅ともなれば盤の芯に当たってしまう、あるいは溝が浅くなりすぎてしまう可能性があるのですから、大きな利点とは呼べないように思えます。また、音質に関しても横振動円盤記録方式(いわゆる普通のSP盤)を開発したベルリナーは、縦振動方式は機構上歪みが発生しやすいと考えていたようです。

結論から言ってしまえば、ベルリナーの開発した横振動溝の円盤記録方式が録音、再生、さらに量産の容易さなどからスタンダードの地位を得て、1930年頃には縦振動盤は姿を消すことになります。

さて、この縦振動盤を20世紀もはるか遠くなった現代に再生するためには、いくつかの選択肢があります。エジソン、あるいはPathéの蓄音機を使うのが、最も容易かつ真っ当なものですが、他にも、当時から縦振動用サウンドボックスや縦横兼用サウンドボックスというものがあり、様々な蓄音機に取り付けることができました。ただし、Pathé盤に関しては、溝の形が半円状で幅も広い特殊な形であったため、専用のボール針というものを使う必要がありました。

Pathéの縦振動方式はエジソンとは方法、考え方ともにかなり異なっており、単純に同じ縦振動の枠に入れるのが憚られるほどです。Pathé盤の溝を顕微鏡で見てみますと、溝の幅は一定ではなく、左右対称な形のステレオ盤の溝のように見えます。これは、広い溝で針先が深くなり、細い溝では針先が浅くなるというもので、さながら、棒2本を広げたり狭めたりしながら球を落とさずに運ぶゲームのような具合です。

従って、Pathé盤にはそれほど深い溝は刻まれておらず、エジソン盤のような底打ちの心配はあまり無かったのではないかと思われます。しかし好事魔多し、半円形で広くなったり狭くなったりする溝のトレースは大変に繊細なため、重針圧を誇るPathé製蓄音機でも針の下ろし方や盤のソリなどによって簡単に針飛びしてしまうという欠点がありました。

話は少し戻りますが、縦振動盤の再生方法としては、電気再生(カートリッジによる再生)も、針先をSP用としたステレオカートリッジを使うことによって可能となります。といいますのは、ステレオカートリッジは、溝の左右45度に刻まれた波形をトレースしているため、針先が縦に動いた時にも信号を再生しているためです。これは、ステレオカートリッジでモノラル盤(左右のみの音溝)が再生できることと、方向こそ違え同義のことです。

ちょっとした工夫として、縦振動用のカートリッジとする場合、横振動成分を打ち消すように結線することによって、不要な横振動にまつわるノイズを打ち消すことができます(このカートリッジで通常のSP盤を再生すると音はほぼ出ません)。

ステレオカートリッジのSP用針先は、Shureをはじめとして、NagaokaやStanton用など様々なものが入手可能で、エジソン盤は、3ミル針(75ミクロン)で容易に再生することができます。凝った方であれば、SPUにSP用針先を付けることも可能でしょう。

そこで問題となるのがPathé盤です。Pathé盤の電気再生は前述の特徴からも推察されるように、遥か以前から大変な難物とされてきました。太い3ミル針を使ったところで、所詮ボール針とは径が違い過ぎますので、溝の底をさらうような再生しかできず、それ以前にたいていの場合、針先が溝にきちんと接していないために簡単に針先が流れてしまい盤を最後まで再生することすら覚束ないという有様でした。

この問題の解決法としては、ボール針の針先をカートリッジへ移植するというような大掛かりなことしか考えられませんが、実際にそのような暴挙(快挙?)に出たという話は、残念ながら耳にしたことがありません。

例によって前置きが長くなってしまいました。Pathé縦振動盤アーティストの代表と言えば、名ヴァイオリニスト、ジャック・ティボー、それにニノン・ヴァラン女史ということになろうかと思います。我が手元には、ティボーは手放してしまったもののヴァラン女史など10枚ほどのPathé系縦振動盤があります。

これら僅かばかりの縦振動盤を、どうにかして手元のプレーヤーで再生したいというのが長年の願望だったのですが、そんな折も折、世界は広しでStanton用8ミル針というものが売られていることを知ったのでした。Pathéのボール針はおおよそ8ミルと言われていますのでPathé盤再生には最適と思われました。

早速、初期のStantonと共に手配して、RF297に取り付けられるようにEMTのシェルに入れたものが冒頭の写真です(アルミ風シールでそれっぽく仕上げたのはご愛嬌)。普通のシェルであれば、シェルリード線の改造だけでできたものが、EMTのシェルに押し込むために、切った張ったの難工事となってしまいました。

再生した結果は望外のもので、針圧を重めに設定し、針さえ丁寧に音溝に下ろせば、これまでの労苦など何事もなかったかのように最後まで安定して再生でき、またその音も十分すぎるクオリティを得ています(今でこそ安手のカートリッジの筆頭のようなStantonも、50~60年台は放送局用スタンダードとして使われていたのです)。

こうなってくると、もう一度ティボーを入手したい気持ちが湧き上がってきます。欲望というものは困ったもので、断捨離とは程遠い人生を送っている今日この頃です。


カサンドルとレコードジャケット──およそ20年ぶりの『カッサンドル展』に寄せて

「カサンドル工房──ATELIER CASSANDRE」は、レコードコレクター、ことにジャケットを愛好するコレクターにとっては見過ごすことのできない名前の一つではないでしょうか。磨ぎ澄まされたタイポグラフィと幾何学模様とで織りなされたその装丁は、今日のようにフランスの初期版が容易に入手できるようになる以前から、またカサンドルというデザイナーの名を知る前から指に刺さった棘のようにして我々コレクターに印象を刻んだのでした。

はなはだ怪しげな記憶ですが、私がはじめて入手したカサンドルのレコードジャケットは、ディヌ・リパッティの『ブザンソン告別演奏会』のアメリカAngel盤ではなかったかと思います(奇しくも今年はリパッティ生誕100年にあたります。リパッティも私にとって思い出深いピアニストの1人ですので、いずれ一文をしたためたいと考えています)。灰色と朱赤の縁模様の中になんの気取りもないセリフ体で「Dinu Lipatti」と置かれた文字が不思議と強く印象に残りました。その後、Pathé盤(フランスColumbia盤などの国外輸出用レーベル)のジェラール・スゼー『ラヴェル歌曲集』やジャニヌ・ミショーの『パリのワルツ』(スノヴィッシュに『ヴァルス・ド・パリ』というのもよいでしょう)などを手にしましたが、カサンドルというデザイナーは未だ霧の向こう側でした。

写真はオリジナルのフランスColumbia盤。ただし、アメリカAngel盤も箱だけはフランス製で、フランス盤と同一の造作でした。

私がカサンドルを、というよりもレコードジャケットというものがコレクションとして成り立つものとして認識したのは、1992年に出版された『12インチのギャラリー―LP時代を装ったレコード・ジャケットたち』を読んでからではないでしょうか。深更、六本木のABC(青山ブックセンター)でその本を見かけ、時間も忘れて何度も読み返してから購入したことを今でも良く覚えています。当時は『デザインの現場』増刊でしたが、何年か後にはカバー付き単行本として再販されました。多分に初めて手に取った時の感激が重なっているのでしょうが、私は今でも増刊版の雑誌らしい造りとキッチュなデザインが好きです。

『パリのワルツ』ジャニヌ・ミショー。《ファシナシオン》《愛の小径》《ムーラン・ルージュ》ほかコケットなミショーならではのワルツ名品がずらりと並びます。なおジャケットは「ATELIER CASSANDRE-JOUBERT」名義。この頃より「ATELIER JOUBERT」名義のものが多くなってきます。出典を忘れてしまいましたが、リュック・ジュベールはカサンドル工房の写真撮影を担当しており、このジャケットのエッフェル塔の写真もジュベール撮影と記載されています。

話が横道へ逸れてしまいました。カサンドルはアールデコの申し子として、また街頭ポスターの旗手として1920年台から30年台のパリの街を席巻します。その後、雑誌『ハーパース・バザー』の表紙デザインやいくつかの書体デザイン(後のジャケット装丁にも多用されたペニョー体など)、舞台装置の製作などを行い、1950年代中頃より、フランスPathé社のレコードジャケットの装丁を手がけるようになります。

当時のLPレコードは現在とは比べ物にならないほどの高級品であったため、Pathé社はそれに相応しい装丁を求めたのでしょう。Mercure印刷所で製作されたカサンドルによるジャケットは、厚いボード紙2枚を合わせたジャケットにデザインを施した化粧紙が張られ、レコードはタイトルが箔押しされた引き出し棒の付いた内袋に収められました。この棒付きジャケットのものが「Deluxe盤」とされ、紺の縞模様の統一デザインにタイトル紙が貼りつけられた簡略版ジャケットが廉価な「Standard盤」として、同一の盤が2つの価格体系で販売されたのです。カサンドルによるジャケットデザインは、おそらく1955年頃から50年代末頃まで手がけられ、およそ5年の間にデザインされたジャケットは、あまりに膨大なため数えようとしたことはありませんが、100を優に超え200点近くに上るのではないかと思われます。

同一番号のDeluxe盤とStandard盤。このマルケヴィッチによる《音楽の捧げもの》のDeluxe盤装丁は、舞台美術を想起させ、カサンドルの絵画的傾向も伺える名作の一つです。

カサンドルは当時、デザイナーとしてよりも画家として認められることを望んでいたと言われ、ジャケット装丁の中にもいくつか絵画的作品を用いたものを見ることができます。この時期には、エクサンプロヴァンス音楽祭の『ドン・ジョヴァンニ』の舞台美術も手がけており、この時の舞台美術集が『Decor de Don Juan』としてスイスのKiester社から発売された他、ロスバウト指揮によるその時の実況録音盤はカサンドルの禁欲的なタイポグラフィ装丁によってPathéレーベルより発売されました。この実況録音盤は、録音状態の悪さを超えた名演として今なお愛好され続けています。

1968年、5月革命の熱気冷めやらぬ中、カサンドルは拳銃で自らの生に終止符を打ちます。鬱症状であったこと、画家として望むような評価が得られなかったこと、広告芸術の変容に耐えられなかったこと、新たな書体デザインが認められなかったことなど、その要因は種々推測され、今開催されているカサンドル展の目録では、その死の要因を様々な史料をもとにして見事にひもとかれています。しかし、「芸術家の死」というものは、自ら選んだものであっても、あるいはそうでなかったとしても、時代と分かちがたく結びついていはしないでしょうか。カサンドルの死は、広告芸術が変容した年、民主主義が大きく転換した年、文化と社会との関係が劇的な変遷を遂げた年、すなわち1968年でなければならなかった、と思われてならないのです。

会期も残り1ヶ月ほどとなってしまいましたが、八王子夢美術館にて『カッサンドル・ポスター展』が開催されています。庭園美術館、サントリー天保山ミュージアムでの展覧会からおよそ20年ぶりの展覧会となります。

私は、埼玉県立近代美術館で開催されていた折に足を運びましたが、オリジナルポスターの色彩が持つ魅力、作品としての力強さに半ば圧倒されました。100年近くも前の作品たちによって、会場全体がさながらアールデコの直線のように張りつめている様には驚くほかありませんでした。レコード店の必需品『Pathé蓄音機』のオリジナルプリントや、エルメスのためにデザインした洒脱なトランプ、画家としての作品など展示作品も多岐にわたり、少数ですがレコードジャケットも展示されていました。目録は、美しい印刷とともに上述の通りカサンドルの死にまつわる読み応えある小論などあり、今回もまた保存版とするに相応しい出来となっています。

カッサンドル・ポスター展──グラフィズムの革命

Posters of A.M.Cassandre A Graphic Revolution
2017/04/07(金)〜 2017/06/25(日)
開館時間 10:00〜19:00
入館は閉館の30分前まで
休館日  月曜日

開催概要
ウクライナに生まれ、フランスで活躍した20世紀を代表するグラフィックデザイナー、カッサンドル(1901年〜1968年)。彼が生み出した作品は、時代の先駆的な表現として、グラフィックデザイン界に「革命」をもたらします。都市の街頭を埋め尽くしたポスターはもちろん、レコードジャケットや雑誌の表紙等、数々の複製メディアの仕事を手がけ、生活の隅々にそのデザインが満ち溢れました。カッサンドルは機械と大量消費の時代をまさに体現したのです。
この展覧会ではカッサンドルの数々の仕事を、ファッションブランド「BA-TSU」の創業者兼デザイナーである故・松本瑠樹氏が築いたコレクションを通してご紹介します。松本氏のカッサンドル・コレクションは、保存状態の良好なポスターの代表作、およびカッサンドル直筆の貴重なポスター原画を含むものとして、世界的に高く評価されています。国内ではおよそ20年ぶりの回顧展となる本展で、カッサンドルが到達した至高のポスターデザインをご堪能いただければ幸いです。
※5月23日より作品の一部に展示替えがあります。

CLASSICUSでもプチ・カサンドル展。Hermèsへデザインしたトランプとジャケットいくつか。ここでは少し趣向を変えて、タイポグラフィよりもグラフィックを中心としたジャケットを集めました。カサンドルは決して幾何学と直線の信奉者だったわけではなく、アーツ・アンド・クラフツやアールヌーヴォーからもいかに多くのものを汲み得ていたのかが分かります。参考:Jacket Arts──ATELIER CASSANDRE