音楽一覧

争いなど芸術の前では

一時は話題の中心だったウクライナ問題も、ここ最近はすっかり鳴りを潜め、巷間ウクライナ疲れなどとも言われています。ロシア・ピアニズムに心酔し、ロシア芸術を愛するものとしてはなんとも複雑な胸中ではありますが、現在のロシア政府が極めて不法かつ非人道的な行為によって侵略を行っているという事実は、時が過ぎても薄らぐことはありえません。

とはいえ、ウクライナに対して形となるほどの支援をする甲斐性も持ち合わせないのですが、せめて気持ちだけは反戦、反侵略者、反独裁者でありたい、という思いでレコードに針を落としています。

シェーンベルク 《ナポレオン・ボナパルトへの頌歌》,弦楽三重奏曲エレン・アドラー(reciter) ルネ・レイボヴィッツ(cond) ヴィレ...

《ナポレオン・ボナパルトへの頌歌(Ode to Napoleon Buonaparte)》は、第二次世界大戦が転機を迎えつつあった1942年、シェーンベルクがバイロンの檄詩へ作曲したものです。

若きバイロンは、自由と平等を掲げて王政を打ち破ったナポレオンが、事もなげに皇帝へと即位し、実のところただの覇権主義者の俗物であったことへの幻滅と怒りを、激しい詩へと表しました。ここで言う「頌歌」は、もちろん讃えるものではなく辛辣なアイロニーです。ナポレオンへの幻滅という意味では、ベートーヴェンの《英雄交響曲》も有名です。

シェーンベルクはその内容を、政権を簒奪し独裁国家を作り上げたヒトラーになぞらえ、見事な効果のシュプレヒシュティンメを用いてバイロンの詩に相応しい激烈な音楽を作曲します。シェーンベルクは「この曲が、今度の戦争によって人類の中に目ざめた罪悪への苛立ちを無視してはならない」と作曲の動機を述べていますが、この苛立ちはまさに現在へと繋がっています。

この曲の演奏では、ジョン・ホートンとグレン・グールド、ジュリアード四重奏団による素晴らしい録音が知られていますが、余りにも見事に設計され、演奏されているため、美しすぎる音楽となっている嫌いがあります。それほど多くはない録音から私が最もバイロン卿とシェーンベルクの心情を表していると感じるのは、このDial盤です。エレン・アドラーの女声による朗唱が色を添えます。

コーリッシュ率いるプロ・アルテ四重奏団他による、Dial盤と同時期のライブ録音CDも緊張の漲る素晴らしい演奏ですが、音はお世辞にも良いとは言えないものでした。

F. ジェフスキ 《不屈の民》の主題による変奏曲ウルスラ・オッペンス(pf)茶-模様,ステレオ作曲家監修による録音,海外盤では唯一のレコード...

現在ヨーロッパなどでは、ウクライナへの共感を表す曲としてジェフスキーの《「不屈の民」による変奏曲》がしばしば演奏されているそうです。

この曲ははチリの革命歌「不屈の民」を主題とした長大かつ超絶技巧を要する曲ですが、主題が平明であることや口笛を使うなどユーモラスな面があり、現代音楽としては異例の人気曲なのだそうです。

ジェフスキー自身は政治的思想を隠そうとせず、この曲に関してもチリの軍事クーデターに限ったことではなく、西洋文明へのアンチテーゼが織り込まれていると言われています。ジェフスキーにしては奇抜な部分の目立たない真っ当なピアノ変奏曲であることが、より一層曲に対する思い入れの強さを感じさせます。

日本では高橋悠治による演奏で知られるようになりましたが、近年は作曲者以外にも多くのピアニストが演奏、録音しています。日本での公演や日本人ピアニストによる演奏も増えていて、私も数年前にイゴール・レヴィットによる演奏を聴きました。ユダヤ難民、人権活動家としても知られるレヴィットが演奏して間もなくに、このような出来事が起こったのは何か象徴的です。

なお、LPレコードは委嘱初演者ウルスラ・オッペンスによるものと、前述高橋悠治のものしかないと思います。

いずれの曲も、時の不条理に対する抗議の意思を強く感じさせるものですが、音楽として聴いていると、その芸術としての絶対的な美しさにすっかり気持ちを持っていかれてしまい、芸術というものは一体、思想というものとどのように連関し繋がっているのだろうか、あるいは絶対的な美といものは独立して屹立しうるものなのか、という問いすら浮かんできます。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と言われますが、果たしてウクライナ問題はどのような終幕を迎えるのか。せめて人類に叡智というものが少しでも残っていることを期待したいのですが…。


音楽と精神性なるもの

昨日facebookの投稿で知ったのですが、ピアニストのアレクセイ・リュビモフがモスクワで行ったコンサートの前半で、ウクライナの作曲家シルヴェストロフの作品を弾いたところ、後半になって警官が闖入してコンサートを中止させたのだそうです。

ウクライナの惨状を思えば、モスクワでコンサートができている、それだけでも過分に過ぎることなのかもしれませんが、それにしても時の権力が芸術活動にこれほどあからさまな干渉をしてきたことに底知れぬ怖ろしさを感じるとともに、その横暴にはただただ呆れ果てるばかりです。

動画を見ますと、シューベルトの即興曲第1番の冒頭で警官が中止を叫んで聴衆が帰りかけますが、リュビモフは演奏を続け、警官の制止と監視の中第2番を最後まで弾ききり、万雷の拍手を浴びている様子が見て取れます。

外面的な事実を追えば、たった2人の警官によって(その裏には幾千幾万の権力の追従者がうごめいているのでしょうが)コンサートは中止の止むなきに至り、リュビモフや聴衆がその横暴に対して何か物理的な抵抗ができていたわけではありません。しかしリュビモフの演奏や聴衆の振る舞いからは声にならない感情や想い、精神の発露といったものが感じられたのもまた確かです。

音楽という芸術は、カントがいみじくも「熟考するためのものを何も残さない」と言ったように、言語化できないという意味において、何か主義主張を表明することは難しく、故に政治活動、反体制運動などを実効的に行うことも困難です。それは、ソ連時代、マヤコフスキーやメイエルホリド、ミホエルスといった物言う芸術家が次々と粛清されていく中、音楽家はおそらくただの一人も粛清されなかったことからも、権力者から見た音楽芸術の立ち位置を推し量ることができます。

それにも関わらず、音楽芸術は人間が生活していく上において必要不可欠な何か、「精神性」とでも呼ぶべきものを備えており、その「精神性」は物言わぬ形で我々に影響を与え、権力側ばかりではなく、反権力の側にもさまざまなものを訴えかけているように思えるのです。

かねてよりクラシック、それも〝レコード芸術〟界隈では、「精神性」という言葉がしきりと使われてきました。かの吉田秀和は「フルトヴェングラーには精神性がある」と言い、宇野功芳は「カラヤンには精神性が無い」と言うのがある種の決まり文句でした。これら評論家先生の名前を出すだけで「精神性」の流行した時代が分かろうというものですが、幸か不幸かその時代がいわゆる〝レコード芸術〟の全盛期と重なったこともあり「精神性」なる言葉は不必要に濫用されてしまうことになります。

残念ながら流行には反動がつきもので、カラヤンを皮切りとして、クライバー、アバドからラトルやドゥダメルへと至る指揮者達の時代に「精神性」という表現はほとんど使われることはなくなりました。対照的にフルトヴェングラーらいわゆる「精神性」時代の指揮者たちは「録音の悪い、古臭い」演奏とされ、今や「精神性ある演奏」は悪い音や情けない演奏を褒めるための慣用句とさえ言われる始末です。

たしかにここで使われている「精神性」という言葉は、端的に言ってしまえば賛美や批判のための道具、それも言葉の定義が曖昧なことによって反論の焦点すらぼやかしてしまうような、まことに都合のよい道具として使われていたように思えます。

では本来の意味での「精神性」とは何か、ということになるとこれは極めて難しい問題となります。カントの芸術論やニーチェの『悲劇の誕生』あたりが足掛かりとはなるのでしょうが、広大無辺な芸術論の中に含まれる概念の一つであると考えられることからも、私ごときが定義どころか議論することすらためらわれるような代物といえます。

とは言え、あれやこれやの書籍をつまみ食いしながら私なりの理解をもって言えることは「芸術とはすなわち精神活動に他ならない」ということです。アリストテレスが「知性や思考がなければ実践(表現)はできない」と言ったように、何かを表現するためには知性や思考といった精神活動は不可欠です。故に、たとえコンピューターも形無しとなるような技術的に完璧な演奏があったとしても、そこに精神活動が不在であれば、それはただの精緻な運動行為であって芸術と呼べるものとは言えないでしょう。

アリストテレスはポイエーシス(創造)の目指すところは最高善、すなわちエウダイモネイン(幸福)であると説きました。このような悲劇的な状況の最中、リュビモフの演奏はもちろんのこと、この世のありとしある芸術活動──精神活動がエウダイモネインへの道しるべとなっている、と信じたいものです。


カサンドルとレコードジャケット──およそ20年ぶりの『カッサンドル展』に寄せて

「カサンドル工房──ATELIER CASSANDRE」は、レコードコレクター、ことにジャケットを愛好するコレクターにとっては見過ごすことのできない名前の一つではないでしょうか。磨ぎ澄まされたタイポグラフィと幾何学模様とで織りなされたその装丁は、今日のようにフランスの初期版が容易に入手できるようになる以前から、またカサンドルというデザイナーの名を知る前から指に刺さった棘のようにして我々コレクターに印象を刻んだのでした。

はなはだ怪しげな記憶ですが、私がはじめて入手したカサンドルのレコードジャケットは、ディヌ・リパッティの『ブザンソン告別演奏会』のアメリカAngel盤ではなかったかと思います(奇しくも今年はリパッティ生誕100年にあたります。リパッティも私にとって思い出深いピアニストの1人ですので、いずれ一文をしたためたいと考えています)。灰色と朱赤の縁模様の中になんの気取りもないセリフ体で「Dinu Lipatti」と置かれた文字が不思議と強く印象に残りました。その後、Pathé盤(フランスColumbia盤などの国外輸出用レーベル)のジェラール・スゼー『ラヴェル歌曲集』やジャニヌ・ミショーの『パリのワルツ』(スノヴィッシュに『ヴァルス・ド・パリ』というのもよいでしょう)などを手にしましたが、カサンドルというデザイナーは未だ霧の向こう側でした。

写真はオリジナルのフランスColumbia盤。ただし、アメリカAngel盤も箱だけはフランス製で、フランス盤と同一の造作でした。

私がカサンドルを、というよりもレコードジャケットというものがコレクションとして成り立つものとして認識したのは、1992年に出版された『12インチのギャラリー―LP時代を装ったレコード・ジャケットたち』を読んでからではないでしょうか。深更、六本木のABC(青山ブックセンター)でその本を見かけ、時間も忘れて何度も読み返してから購入したことを今でも良く覚えています。当時は『デザインの現場』増刊でしたが、何年か後にはカバー付き単行本として再販されました。多分に初めて手に取った時の感激が重なっているのでしょうが、私は今でも増刊版の雑誌らしい造りとキッチュなデザインが好きです。

『パリのワルツ』ジャニヌ・ミショー。《ファシナシオン》《愛の小径》《ムーラン・ルージュ》ほかコケットなミショーならではのワルツ名品がずらりと並びます。なおジャケットは「ATELIER CASSANDRE-JOUBERT」名義。この頃より「ATELIER JOUBERT」名義のものが多くなってきます。出典を忘れてしまいましたが、リュック・ジュベールはカサンドル工房の写真撮影を担当しており、このジャケットのエッフェル塔の写真もジュベール撮影と記載されています。

話が横道へ逸れてしまいました。カサンドルはアールデコの申し子として、また街頭ポスターの旗手として1920年台から30年台のパリの街を席巻します。その後、雑誌『ハーパース・バザー』の表紙デザインやいくつかの書体デザイン(後のジャケット装丁にも多用されたペニョー体など)、舞台装置の製作などを行い、1950年代中頃より、フランスPathé社のレコードジャケットの装丁を手がけるようになります。

当時のLPレコードは現在とは比べ物にならないほどの高級品であったため、Pathé社はそれに相応しい装丁を求めたのでしょう。Mercure印刷所で製作されたカサンドルによるジャケットは、厚いボード紙2枚を合わせたジャケットにデザインを施した化粧紙が張られ、レコードはタイトルが箔押しされた引き出し棒の付いた内袋に収められました。この棒付きジャケットのものが「Deluxe盤」とされ、紺の縞模様の統一デザインにタイトル紙が貼りつけられた簡略版ジャケットが廉価な「Standard盤」として、同一の盤が2つの価格体系で販売されたのです。カサンドルによるジャケットデザインは、おそらく1955年頃から50年代末頃まで手がけられ、およそ5年の間にデザインされたジャケットは、あまりに膨大なため数えようとしたことはありませんが、100を優に超え200点近くに上るのではないかと思われます。

同一番号のDeluxe盤とStandard盤。このマルケヴィッチによる《音楽の捧げもの》のDeluxe盤装丁は、舞台美術を想起させ、カサンドルの絵画的傾向も伺える名作の一つです。

カサンドルは当時、デザイナーとしてよりも画家として認められることを望んでいたと言われ、ジャケット装丁の中にもいくつか絵画的作品を用いたものを見ることができます。この時期には、エクサンプロヴァンス音楽祭の『ドン・ジョヴァンニ』の舞台美術も手がけており、この時の舞台美術集が『Decor de Don Juan』としてスイスのKiester社から発売された他、ロスバウト指揮によるその時の実況録音盤はカサンドルの禁欲的なタイポグラフィ装丁によってPathéレーベルより発売されました。この実況録音盤は、録音状態の悪さを超えた名演として今なお愛好され続けています。

1968年、5月革命の熱気冷めやらぬ中、カサンドルは拳銃で自らの生に終止符を打ちます。鬱症状であったこと、画家として望むような評価が得られなかったこと、広告芸術の変容に耐えられなかったこと、新たな書体デザインが認められなかったことなど、その要因は種々推測され、今開催されているカサンドル展の目録では、その死の要因を様々な史料をもとにして見事にひもとかれています。しかし、「芸術家の死」というものは、自ら選んだものであっても、あるいはそうでなかったとしても、時代と分かちがたく結びついていはしないでしょうか。カサンドルの死は、広告芸術が変容した年、民主主義が大きく転換した年、文化と社会との関係が劇的な変遷を遂げた年、すなわち1968年でなければならなかった、と思われてならないのです。

会期も残り1ヶ月ほどとなってしまいましたが、八王子夢美術館にて『カッサンドル・ポスター展』が開催されています。庭園美術館、サントリー天保山ミュージアムでの展覧会からおよそ20年ぶりの展覧会となります。

私は、埼玉県立近代美術館で開催されていた折に足を運びましたが、オリジナルポスターの色彩が持つ魅力、作品としての力強さに半ば圧倒されました。100年近くも前の作品たちによって、会場全体がさながらアールデコの直線のように張りつめている様には驚くほかありませんでした。レコード店の必需品『Pathé蓄音機』のオリジナルプリントや、エルメスのためにデザインした洒脱なトランプ、画家としての作品など展示作品も多岐にわたり、少数ですがレコードジャケットも展示されていました。目録は、美しい印刷とともに上述の通りカサンドルの死にまつわる読み応えある小論などあり、今回もまた保存版とするに相応しい出来となっています。

カッサンドル・ポスター展──グラフィズムの革命

Posters of A.M.Cassandre A Graphic Revolution
2017/04/07(金)〜 2017/06/25(日)
開館時間 10:00〜19:00
入館は閉館の30分前まで
休館日  月曜日

開催概要
ウクライナに生まれ、フランスで活躍した20世紀を代表するグラフィックデザイナー、カッサンドル(1901年〜1968年)。彼が生み出した作品は、時代の先駆的な表現として、グラフィックデザイン界に「革命」をもたらします。都市の街頭を埋め尽くしたポスターはもちろん、レコードジャケットや雑誌の表紙等、数々の複製メディアの仕事を手がけ、生活の隅々にそのデザインが満ち溢れました。カッサンドルは機械と大量消費の時代をまさに体現したのです。
この展覧会ではカッサンドルの数々の仕事を、ファッションブランド「BA-TSU」の創業者兼デザイナーである故・松本瑠樹氏が築いたコレクションを通してご紹介します。松本氏のカッサンドル・コレクションは、保存状態の良好なポスターの代表作、およびカッサンドル直筆の貴重なポスター原画を含むものとして、世界的に高く評価されています。国内ではおよそ20年ぶりの回顧展となる本展で、カッサンドルが到達した至高のポスターデザインをご堪能いただければ幸いです。
※5月23日より作品の一部に展示替えがあります。

CLASSICUSでもプチ・カサンドル展。Hermèsへデザインしたトランプとジャケットいくつか。ここでは少し趣向を変えて、タイポグラフィよりもグラフィックを中心としたジャケットを集めました。カサンドルは決して幾何学と直線の信奉者だったわけではなく、アーツ・アンド・クラフツやアールヌーヴォーからもいかに多くのものを汲み得ていたのかが分かります。参考:Jacket Arts──ATELIER CASSANDRE


ジャン・ロンドーの《ゴルトベルク変奏曲》──楽譜をめくる意味

過日、ジャン・ロンドーのチェンバロによる《ゴルトベルク変奏曲》のコンサートを聴いてきました。

ジャン・ロンドーは、この文章を書くにあたって調べてみたところ、鬼才とも呼ばれるフランスの若手チェンバロ奏者でこれが初来日だったとのことです。

私はゴルトベルク変奏曲を殊のほか愛好してはいるものの、このコンサートは行けなくなった友人からチケットを譲り受け、物見遊山で出掛けたことを告白しておきます。その友人も、ロンドーのチラシが余りにおかしかったのでチケットを購入したようですが。

ともあれ、当日私は文化会館の席に収まり、演奏会は始まりました。リパッティやバックハウスを思い出させるようなアルペジオを爪弾いたのち、弾きはじめられた《ゴルトベルク変奏曲》は拍子抜けするほどオーソドックスで、むしろ奇抜なチラシや「鬼才」という言葉が少し煽りすぎなのではと感じられるほどです。

それにしても、強弱のつかないチェンバロという楽器による演奏は、グールドをはじめとしたピアノによる名演を聴いた耳にとっては残念ながら余りにもモノクロームであって、その欠点を補うためにフレージングを強調したりテンポを細かく動かしてはいるのですが、これがまた弦楽器の古楽器奏法独特のアクセントを彷彿させてしまいます。古楽器演奏のあの年々どぎつくなるフレージングやアクセントは、音量による表現不足を補うものであったのかと妙に得心してしまいます。そういえば、《冬の旅》をフォルテピアノで伴奏した演奏会でも、テンポをことさら揺らす伴奏に閉口したものでした。

本来デュナーミクやアゴーギク(私は、この目を引く外来語があまり好きになれません。日本人なのですから「抑揚」と「緩急」で良いではないかと思ってしまいます)というものは、表現や歌いまわしの中において分離不能な混淆物として現れるはずであるのに、昨今の古楽器奏法は、まるで抑揚がつけられないので代わりに緩急をつけているようにすら思われてしまいます。18世紀に演奏された場や空間を想像するに、それほどの濃淡ある表現が必要であったとも思われないのですが。

一つの頂点ともいえる第25変奏では、始める前に大きく間を取り、ゆったりとしたテンポで繰り返しも全て行い、この変奏への思い入れは大いに感じられましたが、表現としての深みがその思い入れほどあったでしょうか。さらに言えば、この変奏をこれほど大切に扱っておきながら、ダ・カーポ主題へと戻る直前の最後の高揚、クオドリベットを繰り返しも行わずに弾き流したのことには少なからず失望を覚えました。私はバッハがこの変奏を最後に配したことには少なからぬ意味があると信じているのですが。とはいえ、第14変奏や16変奏などではチェンバロの鋭い音色を活かした表現で面白さを感じもしましたが、全体としては余り惹きつけるようなものは感じられませんでした。

もう一つ目を引いたのが曲の間です。ロンドーは多くの曲間に一呼吸を置いていましたし、勿体をつけたような楽譜のめくりかたをして長い間を取ったりもしていました。曲を間断なく続けたいのであれば、暗譜するなり譜めくりをつけるなりできるわけですから、何かしら彼なりの考えがあってのことだとは思いますが、音楽の流れが遮られるような気がして私にはあまりしっくりと来ませんでした。あるいはこれは新手のアゴーギクなのでしょうか。

楽譜をめくるという行為にはもちろん意味があります。タルガムのTED講演によれば、リヒャルト・シュトラウスが自作の指揮で淡々と指揮棒を上下させながら譜面をめくっているのは、もちろん自分の曲を忘れてしまったのではなく、「楽譜によって演奏するのだ」という暗喩を楽団員へと伝えているのだそうです。一体ロンドーは誰に向かって楽譜をめくっていたのでしょうか。

ダ・カーポ主題が静かに終わりをつげましたが、誰一人として拍手をすることなく、ロンドーも微動だにしません。一体この静けさは何なのでしょう。決して満足のいかない演奏ではなかったとしても、そこまで深く心に染み入るような演奏であっただろうか、と自問してしまいます。30秒、あるいは1分くらいたったでしょうか、熱烈な拍手とブラボーが湧き起こりました。正直を言うと、私は高揚したこの場の雰囲気と自分との落差にすっかり冷水を浴びせられた格好となり、いささかなりに楽しんでいた気分も雲散霧消してしまいました。拍手の鳴り止まぬ中、席を立って早々に文化会館を後にしました。


【お知らせ】桑田穣 J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

 

この企画には半ば関わっているので手前味噌となってしまいますが、当店のお隣、Ralph and Sunnieにて、ヴァイオリニストの桑田穣氏の演奏による、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータを聴く会が下記の通り開催されます。

 

J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

桑田穣(ヴァイオリン)

2011年5月14日(土)

開演 18:30 (開場 18:00)

演奏曲目

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番, BWV 1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番, BWV 1004

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番, BWV 1003

 

詳細、お問い合わせはRalph and Sunnieまでお願いいたします。

それほど多いというわけではありませんが、職業柄クラシックの演奏家の方々とも知り合うことがあります。その中の一人がヴァイオリニストの桑田さんです。

よく「演奏家は自分が一番と思っているから、人の演奏は聴かない」と言われます。実際にはこの言葉はかなり極端であるとは思うのですが、わたしがこれまでに出会った演奏家の多くは、他の演奏を参考程度にしか聴かなかったり、演奏技術に非常にうるさい方が多かったように思います。ピアノでいえば均一なタッチ、揺れないテンポ、混濁しないペダルワークなどなど…これらが少しでも破綻するようであれば、良くない演奏というわけです(この線でいくとわたしの好きな昔のロシアのピアニストなどは全員落第なのですが)

たしかに楽器の演奏は、素人目で見てもかなり難しく、また特殊な技術が必要であることは分かりますし、技術がなければ表現できないことというのも随分あるのだと思います。しかし、残念なことに音楽は計算や競技ではなく芸術です。技術をいくら磨いたところでそれが芸術的表現へとつながらなければ全く無意味なことになってしまいます(最近は、乱立するコンクールなど、音楽がまるでオリンピックのようになりつつあるようにも思えますが…)

桑田さんは(失礼ながら)演奏家には珍しく、1950年代や60年代に録音された音楽──技術より以上に音楽が重視された時代、音楽がまだ芸術であることを十全に保っていた時代の音楽を聴くのを楽しみとされている方です(今でこそ何人かそのような演奏家の方々とも知り合いになりましたが)。ウォルフガング・マルシュナー、ポール・マカノヴィツキー、ユリアン・シトコヴェツキー等々。そして、わたしが何よりも好きな時代もこの時代なのです。

そんな風にして、日々情報をやり取りさせていただいていた桑田さんですが、最近バッハの無伴奏を練習しているという話を聞きおよび、それならば、と話が進みこのコンサートが開催できる運びとなったのでした。

50年代、60年代の「芸術」を楽しまれる桑田さんが、どのようなバッハを奏でるのか、期待ふくらむ今日この頃です。


ヴィヴィアナ・ソフロニツキー オール・ショパン・プログラム

年の瀬もおし迫った12月26日、昨年最後のコンサートは、ヴィヴィアナ・ソフロニツキーによるオール・ショパン・プログラムでした。

ソフロニツキー、この名前は私にとって、ネイガウスなどとともに特別なものです。演奏を聴かずとも「名演」と宣言してしまって間違いのない名前といっても良いでしょう。

そんなある日、ソフロニツキーが来日するという情報が舞い込んできました。はて、わがウラディーミル・ソフロニツキー師は1961年に身罷っているはずだが、と調べてみると、来日するのは、ヴィヴィアナ・ソフロニツキーといって、ソフロニツキー師の娘のようなのです。娘ですからソフロニツカヤではないかとも思うのですが、ロシアも少しづつリベラルになっているのかもしれません。

そのヴィヴィアナさんがショパンを演奏するというのですが、これが困ったことにショパン時代の古い楽器(の復刻)、つまりフォルテピアノでの演奏なのです。一般にレコードマニアと呼ばれる人種はあまり古楽器が好きではなく、残念ながら私もその例に漏れないのです。しかしソフロニツキーという名前には逆らえません。早速チケットを手配しました。

とはいえ、ソフロニツキー師は非常にレベルの高いロシア・ピアニズムの中でも別格中の別格のピアニストでしたから(トロップさんが、それは神の啓示のごとくであった、とおっしゃっていたのを覚えています)、ヴィヴィアナさんに過大な期待するのは禁物です。

一聴しての感想は、やはりフォルテピアノの音は小さいということと、意外に細かなニュアンスは出せるものだな、ということでした。しかし聴き進んでゆくと、どうにもヴィヴィアナさんの演奏とウラディーミル師の演奏が重なって聴こえてきてしまうのです。その力強く粘ったようなタッチは、悲劇的な色彩を帯びていて、そう、極論してしまうとウラディーミル師生き写しなのです。フォルテピアノのパラパラとした音が、ウラディーミル師の悪い録音の音と妙に似ているのが、またおかしくもあります。

ここまで似るのは何故なのか。同行したピアニスト氏の推測では、体格(彼女はとても背が高い)や手の形、あるいは音を聴く耳が遺伝しているのかもとのことでした。

アンコールでは、3台目のフォルテピアノを出してきての聴き比べの後、一番古いモデルでモーツァルトの幻想曲を演奏しました。それは素晴らしい演奏であったのですが、その力強いタッチやウラディーミル師譲りの解釈は、フォルテピアノで弾くモールァルトの様式からはかけ離れているようにも感じました。

何にしても、毎年数え切れないほどのロシア・ピアニストが来日しているなか、これほどのピアニストが今までほとんど知られていなかったというのは驚くべきことだと思います(ソフロニツキーのピアニズムが今どきあまり受けるタイプではないのかもしれませんが)

見ているとフォルテピアノが楽しくて仕方がない様ではありますが、残念ながらヴィヴィアナさんのピアニズムはモダン・ピアノでこそ生きるのではないかと思います。次の機会には、ぜひモダン・ピアノで聴いてみたいものです。

 


竹内進 バリトン・リサイタル

ひとつ飛ばしてしまいましたが、昨年12月6日に行われた竹内進さんによるフランス歌曲リサイタルです。

竹内さんはフランスの名バリトン、カミーユ・モラーヌに師事された方なのですが、私にとってもモラーヌは特別な存在であったため話の合わないはずはありません。時々ふらっとお店に現れては、モラーヌ来日時の話、モラーヌのライバルであったジャック・ジャンセンのこと、留学時代のスコラ・カントルムの話などを聞かせてくれるのです。

そんな竹内さんは、年に1度フランス歌曲リサイタルを催されており、その年ごとに作曲家やテーマを定めたプログラムを用意されます。昨年はプーランクでしたが、今年はさらに一歩進んで、フランス六人組胎動期の作品です。

一口に六人組の歌曲作品といっても、プーランクは歌曲全集が発売されているなど比較的その作品は知られていると思うのですが、他の作曲家はというと、ミヨーやオネゲルといった有名な作曲家ですらあまり録音がなく、オーリック、デュレ、タイユフェールともなると、歌曲の録音を探すこと自体が骨の折れる作業となってしまいます(これは主にレコードの場合ですが、CDでもそれほど事情は変わらないと思います)

それでもSPの時代から、六人組の歌曲コンサートを始めて行ったジャヌ・バトリやクレール・クロワザがいくつかの録音(作曲者自身のピアノによる)を残していますし、高名なメリザンド歌手イレーヌ・ヨアヒムは、LP初期に「フランス六人組」という大変に素晴らしいアルバムを残しています。

竹内さんのコンサートの特徴の一つは、歌う前に竹内さん自らが、ときには関連する資料や写真を手に、曲を解説をすることです。その朴訥とした口調と、「今日はどうものどの調子がおかしくて…」とか「練習不足で…」と言うような、わたしが勝手に「自虐ネタ」と呼んでいるコメントを聴くのが密かな楽しみとなっています。

もう一つの特徴は、訳詩付きの大変に凝ったプログラムで、訳文も竹内さん自らが意味の伝わる範囲で逐語的に訳されたもので、巷で読むことのできる文学的意訳とは、また一味違ったものとなっています。そもそも、多くの曲は日本語の訳文さえ手に入れるのに一苦労するようなものばかりなのですが。

肝心のコンサートは、ご本人はこれまた自虐的に「今日は特に調子が悪かったので…」とおっしゃっておりましたが、私は初めて聴くデュレのモダンな作風に「おお」と思ったり、ミヨーの「花のカタログ」が、実は花屋さんの宣伝をそのまま詩に使っていることを初めて知ったり、おなじみ動物詩集でアポリネールの天才ぶりを再認識したりと、実に楽しい一夕となったのでした。

昨今は、本場フランスでもフランス歌曲はあまり顧みられていないように思います。ましてや日本でフランス歌曲を聴く機会というのは、(外来演奏家が歌うような有名曲を除けば)非常に限られていると言わざるをえません。竹内さん自らおっしゃるように、師であるモラーヌとは比較できないのかもしれませんが、このような機会を毎年用意してくださる竹内さんの姿勢には頭の下がる思いです。

 


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(ゴルドベルク変奏曲)

明けて12月24日は、ゴルドベルク変奏曲です。

演奏会場は、平均律クラヴィア曲集の武蔵野文化会館(小ホール)から東京文化会館へと、都会へ出てまいりました。客層もカジュアルだった前日とは打って変わり、コンサートホールへ来ているぞ、という雰囲気に満ちています。これは、お隣大ホールで行われているクリスマス恒例(であろう)メサイアの影響もあるのかもしれません。

前日の平均律クラヴィア曲集全曲演奏会については、すでに書いた通りなのですが、ゴルドベルク変奏曲ではまた違った面が出てくるのではないか、との期待もありました。

しかし残念ながら、前日の演奏と大きく異なるようなことはなく、緻密に組み立てられた熱演、という以上の印象を得ることはできませんでした。

わたしが音楽を聴くとき、それがどんなに感心しないもの、突飛なものであっても、すくなくともわたしよりも音楽的経験が豊かで、音楽に対しても真剣である人が、このように弾いているのであるから、何かわたしには計り知れない意図があるのではないか、とまずは演奏よりも自分を疑って考えるのですが……リフシッツの意図はどうもわたしには分かりかねたようです。

コンサートの後、同行した方々とお店で軽くワインなどを飲みながら(当然私は水なのですが)雑談などしたのですが、ひとしきり誰のゴルドベルクが良いかなどと話した後、「ソコロフのゴルドベルクを聴こう」ということになりました。このとき、同行した方々も、リフシッツの演奏から私と同じような印象を得たのだということが、なにとはなしに分かったのでした。

 


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(平均律クラヴィア曲集)

先日、賛否の声渦巻くペーター・コンヴィチュニー演出の「サロメ」を聴いてきたのですが、その感想はさておき、昨年のコンサート記を続けることにします。

ようやくと年末に近づいてきて、12月23日、24日のコンスタンチン・リフシッツ演奏会です。リフシッツは23日に平均律クラヴィア曲集全曲を、24日にゴルドベルク変奏曲を弾くという、なんとも大胆な選曲、かつ日程です。巷は気もそぞろの12月24日にゴルドベルクを聴くというのも、なんともはや…。

ゴルドベルク変奏曲は、私のもっとも好きなピアノ曲の一つなのですが、今を去ること20年ほど前にニコライエワの演奏を聴いて以来、演奏会ではなかなか聴く機会のなかった曲でもあります。数年前のコロリョフの演奏会なども食指を動かされたのですが結局忘失してしまい、後で聞けばそれほどでもなかったとのこと。なかなか縁に恵まれないのです。

リフシッツについては名前を知っている程度だったのですが、平均律とゴルドベルクを連日演奏すると聴いて、つい触手が動いてしまったのです。

平均律については、全曲を演奏会で聴いたことは一度もなく、最近でこそ、ポリーニやシフが俎上に乗せてはいますが、実際演奏会へかけられることもそれほど多くはないのではないでしょうか。リフシッツは、全曲を1日で演奏してしまおうということで、前半に24曲、後半に24曲、間に数時間のインターバルが開くため、ほぼ半日がかりという、まるでマラソンのようなコンサートです。

肝心の演奏ですが、まずつまずきそうになったのがその配曲です。前半24曲というのは、実は第1巻の1番、第2巻の1番、第1巻の2番…というように、2巻を交互に弾き、12番までを弾いたのです(もちろん演奏会前から分かっていたことではありますが)

普段レコードでは、全曲を聴くにしても、抜粋を聴くにしても、たいてい1巻と2巻は分かれており、またこれは勝手な思い込みかもしれませんが、第1巻の24曲、第2巻の24曲というものは、24曲で一つの組曲のように構成されているように感じるのです。ことに第1巻でハ長調の前奏曲から始まり、ロ短調の壮大なフーガで終わるさまは、調性という宇宙を描いた壮大な絵画であるようにすら思えるのです(第2巻に関しては、もう少しカジュアルな、あるいはロマンティックな雰囲気を感じるのですが)

さて、その第1巻と2巻とが混ざって出てくるわけですから、聴く方としてはいまいち調子が出ないのです。とはいえ演奏は、美しい音色、ほぼ完璧にコントロールされた打鍵、さらには暗譜での演奏など、こと演奏技術に関しては(あくまで素人の私が見る限り)非の打ち所が無いといってよいような演奏でした。

しかし、その完璧な演奏から生み出される音楽には何かが足りないのです。いや足りないのではなく立派すぎたのかもしれません。バッハの楽譜を設計図とした建造物を、大聖堂のように、あるいは細密画のように、いささかの狂いもなく緻密に作り込んでいるように感じられたのです。しかし困ったことに音楽は大聖堂でもなければ、細密画でもありません。常にゆらぎ、うつろい、現れては消えていく蜃気楼のようなものです。そのゆらぎや頼りなさを確固たる形あるものとして表されてしまうと、それは音楽のようであって音楽とは異なものとなってしまうように思えてならないのです。

大気中をたゆたうような一見捉えどころのない音楽作品を、一瞬の閃きでつかみ取り、音とするのが演奏家という芸術家の使命でもあるでしょう。しかしリフシッツの演奏は、漂う音楽を捉えることをあきらめ、音楽の外観、表面を緻密に、しかしまるで形骸のように、再現するという道を選んだように思えてなりません。

誤解のないように書いておきますと、リフシッツのピアニストとしての技術的側面は、大変に高度なものであることは間違いありません。しかし残念ながらその技術によって生み出された音楽には、音楽の持つゆらぎ、息遣いといったものが希薄であったように私は感じたのでした。

とはいえ、第1巻ロ短調のフーガなどは実に美しく、聴き入ってしまったのですが、その後に第2巻の前奏曲が出てくるのですから……最期まで調子の狂わされた演奏会でした。

 


ワレリー・アファナシェフ演奏会

今年もはや一月が過ぎてしまいましたが、去年11月のコンサート回想が未だに終わっていません。困ったものです。コンサート第2弾は、鬼才アファナシェフです。この鬼才という言葉もどうかとは思いますが。

アファナシェフは一寸グールドと似たところがあって、いわゆるクラシック畑ではない知識人の間で話題となり、そこから本来のクラシック畑の聴衆ではない人々も含めて評判となった演奏家ではないかと思います。

たしかにグールドのときには、本人も含めたあれやこれやの論文で「なるほどそんな聴き方もあるものか」と思ったものですが、私も年を重ねひねくれものになったのか、同じような現象が再び起こると「ああ、またか」となってしまいます。

それというのも、グールドを聴く人、絶賛する人の多くは、グールドの弾くバッハなりモーツァルトは聴いても、バッハやモーツァルトという作曲家、あるいは他の演奏家にはほとんど興味を示さないからです。私に人の聴き方をどうこう言う権利はまったくないのですが、バッハやモーツァルト、シューベルトは媒介に過ぎず、グールドやアファナシェフを聴いているという現象には、何か違和感を感じてしまうのです。

そもそもなぜ知識人先生がそんなに特定の演奏家ばかりに難しい言葉や論理を労して肩入れするのかというのも不思議な話です。好きな演奏家であれば一人密やかに楽しんでいればよいだけなのに。

そんなことから、「ああ、またか」と来日はすれど聴きにいくことのなかったアファナシェフですが(もちろん数少ないレコードやCDでは聴いていて、私の中での位置はそれなりに決まっていたのですが)、またまた友人に誘われまして、好き嫌いはどうあれ、一度は聴いてみないといけないと思い、聴きにいくことになったのです。

そのアファナシェフはのっけから個性的な登場をしてきて少なからず驚きました。また、指先を反らすようにして弾くその様は、さながら魔女が呪術をかけているかの如きで、観るという意味では非常に面白いピアニストだと思います(ただ、私は目から映像が入ると音が変わって聴こえてしまうので、演奏会では極力目を閉じて聴いているのですが)

その風貌とも相まってこれは相当風変わりな音楽が出てくるのかと思いきや、出てきた音楽は思いの他真っ当で再び驚きました。もちろんテンポの速い、遅いでいえば、かなり遅い部類にはなるのでしょうが、その音や和声の感覚は、かなり正確かつ確信犯的にバランスの良い響きを目指しているように感じられ、異常感覚や侘び寂びというよりも、古典的均整を保って、どちらかといえば肯定的な響きすら持っているように感じました。

しかし、お花畑に蝶々が飛んでいるような紋切り型のイメージではなく、表面的なほがらかさの裏に隠された、暗く陰鬱なロマン的感情、一筋縄ではいかないシューベルトの音楽というものを聴いてみたいという欲求からすると、若干健康的過ぎる嫌いがあったのもまた事実です。

もっと平たく言ってしまえば、ソフロニツキーやユーディナ、リヒテル(あるいはエドゥアルド・エルドマンでも良いですが)で感じたような衝撃、驚きといったものを感じるまでには至らなかったということでしょうか。

むしろ感銘を受けたのは、ほとんど計算されつくしたかのような音楽の古典的均整と、個性的な奏法(ホロヴィッツかグールドかというような)でありながら、強烈な打鍵にもほとんど音を濁らせない技術で、ロシア・ピアニズムの技術的側面を十二分に感じることができました。

好き勝手なことを書き連ねてしまいましたが、実のところアファナシェフは侘び寂びや「もののあはれ」などというものはとうに通り過ぎ、古典的均整の中に新たな境地を見出していたのかもしれません。