音楽一覧

争いなど芸術の前では

一時は話題の中心だったウクライナ問題も、ここ最近はすっかり鳴りを潜め、巷間ウクライナ疲れなどとも言われています。ロシア・ピアニズムに心酔し、ロシア芸術を愛するものとしてはなんとも複雑な胸中ではありますが、現在のロシア政府が極めて不法かつ非人道的な行為によって侵略を行っているという事実は、時が過ぎても薄らぐことはありえません。

とはいえ、ウクライナに対して形となるほどの支援をする甲斐性も持ち合わせないのですが、せめて気持ちだけは反戦、反侵略者、反独裁者でありたい、という思いでレコードに針を落としています。

シェーンベルク 《ナポレオン・ボナパルトへの頌歌》,弦楽三重奏曲エレン・アドラー(reciter) ルネ・レイボヴィッツ(cond) ヴィレ...

《ナポレオン・ボナパルトへの頌歌(Ode to Napoleon Buonaparte)》は、第二次世界大戦が転機を迎えつつあった1942年、シェーンベルクがバイロンの檄詩へ作曲したものです。

若きバイロンは、自由と平等を掲げて王政を打ち破ったナポレオンが、事もなげに皇帝へと即位し、実のところただの覇権主義者の俗物であったことへの幻滅と怒りを、激しい詩へと表しました。ここで言う「頌歌」は、もちろん讃えるものではなく辛辣なアイロニーです。ナポレオンへの幻滅という意味では、ベートーヴェンの《英雄交響曲》も有名です。

シェーンベルクはその内容を、政権を簒奪し独裁国家を作り上げたヒトラーになぞらえ、見事な効果のシュプレヒシュティンメを用いてバイロンの詩に相応しい激烈な音楽を作曲します。シェーンベルクは「この曲が、今度の戦争によって人類の中に目ざめた罪悪への苛立ちを無視してはならない」と作曲の動機を述べていますが、この苛立ちはまさに現在へと繋がっています。

この曲の演奏では、ジョン・ホートンとグレン・グールド、ジュリアード四重奏団による素晴らしい録音が知られていますが、余りにも見事に設計され、演奏されているため、美しすぎる音楽となっている嫌いがあります。それほど多くはない録音から私が最もバイロン卿とシェーンベルクの心情を表していると感じるのは、このDial盤です。エレン・アドラーの女声による朗唱が色を添えます。

コーリッシュ率いるプロ・アルテ四重奏団他による、Dial盤と同時期のライブ録音CDも緊張の漲る素晴らしい演奏ですが、音はお世辞にも良いとは言えないものでした。

F. ジェフスキ 《不屈の民》の主題による変奏曲ウルスラ・オッペンス(pf)茶-模様,ステレオ作曲家監修による録音,海外盤では唯一のレコード...

現在ヨーロッパなどでは、ウクライナへの共感を表す曲としてジェフスキーの《「不屈の民」による変奏曲》がしばしば演奏されているそうです。

この曲ははチリの革命歌「不屈の民」を主題とした長大かつ超絶技巧を要する曲ですが、主題が平明であることや口笛を使うなどユーモラスな面があり、現代音楽としては異例の人気曲なのだそうです。

ジェフスキー自身は政治的思想を隠そうとせず、この曲に関してもチリの軍事クーデターに限ったことではなく、西洋文明へのアンチテーゼが織り込まれていると言われています。ジェフスキーにしては奇抜な部分の目立たない真っ当なピアノ変奏曲であることが、より一層曲に対する思い入れの強さを感じさせます。

日本では高橋悠治による演奏で知られるようになりましたが、近年は作曲者以外にも多くのピアニストが演奏、録音しています。日本での公演や日本人ピアニストによる演奏も増えていて、私も数年前にイゴール・レヴィットによる演奏を聴きました。ユダヤ難民、人権活動家としても知られるレヴィットが演奏して間もなくに、このような出来事が起こったのは何か象徴的です。

なお、LPレコードは委嘱初演者ウルスラ・オッペンスによるものと、前述高橋悠治のものしかないと思います。

いずれの曲も、時の不条理に対する抗議の意思を強く感じさせるものですが、音楽として聴いていると、その芸術としての絶対的な美しさにすっかり気持ちを持っていかれてしまい、芸術というものは一体、思想というものとどのように連関し繋がっているのだろうか、あるいは絶対的な美といものは独立して屹立しうるものなのか、という問いすら浮かんできます。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と言われますが、果たしてウクライナ問題はどのような終幕を迎えるのか。せめて人類に叡智というものが少しでも残っていることを期待したいのですが…。


音楽と精神性なるもの

昨日facebookの投稿で知ったのですが、ピアニストのアレクセイ・リュビモフがモスクワで行ったコンサートの前半で、ウクライナの作曲家シルヴェストロフの作品を弾いたところ、後半になって警官が闖入してコンサートを中止させたのだそうです。

ウクライナの惨状を思えば、モスクワでコンサートができている、それだけでも過分に過ぎることなのかもしれませんが、それにしても時の権力が芸術活動にこれほどあからさまな干渉をしてきたことに底知れぬ怖ろしさを感じるとともに、その横暴にはただただ呆れ果てるばかりです。

動画を見ますと、シューベルトの即興曲第1番の冒頭で警官が中止を叫んで聴衆が帰りかけますが、リュビモフは演奏を続け、警官の制止と監視の中第2番を最後まで弾ききり、万雷の拍手を浴びている様子が見て取れます。

外面的な事実を追えば、たった2人の警官によって(その裏には幾千幾万の権力の追従者がうごめいているのでしょうが)コンサートは中止の止むなきに至り、リュビモフや聴衆がその横暴に対して何か物理的な抵抗ができていたわけではありません。しかしリュビモフの演奏や聴衆の振る舞いからは声にならない感情や想い、精神の発露といったものが感じられたのもまた確かです。

音楽という芸術は、カントがいみじくも「熟考するためのものを何も残さない」と言ったように、言語化できないという意味において、何か主義主張を表明することは難しく、故に政治活動、反体制運動などを実効的に行うことも困難です。それは、ソ連時代、マヤコフスキーやメイエルホリド、ミホエルスといった物言う芸術家が次々と粛清されていく中、音楽家はおそらくただの一人も粛清されなかったことからも、権力者から見た音楽芸術の立ち位置を推し量ることができます。

それにも関わらず、音楽芸術は人間が生活していく上において必要不可欠な何か、「精神性」とでも呼ぶべきものを備えており、その「精神性」は物言わぬ形で我々に影響を与え、権力側ばかりではなく、反権力の側にもさまざまなものを訴えかけているように思えるのです。

かねてよりクラシック、それも〝レコード芸術〟界隈では、「精神性」という言葉がしきりと使われてきました。かの吉田秀和は「フルトヴェングラーには精神性がある」と言い、宇野功芳は「カラヤンには精神性が無い」と言うのがある種の決まり文句でした。これら評論家先生の名前を出すだけで「精神性」の流行した時代が分かろうというものですが、幸か不幸かその時代がいわゆる〝レコード芸術〟の全盛期と重なったこともあり「精神性」なる言葉は不必要に濫用されてしまうことになります。

残念ながら流行には反動がつきもので、カラヤンを皮切りとして、クライバー、アバドからラトルやドゥダメルへと至る指揮者達の時代に「精神性」という表現はほとんど使われることはなくなりました。対照的にフルトヴェングラーらいわゆる「精神性」時代の指揮者たちは「録音の悪い、古臭い」演奏とされ、今や「精神性ある演奏」は悪い音や情けない演奏を褒めるための慣用句とさえ言われる始末です。

たしかにここで使われている「精神性」という言葉は、端的に言ってしまえば賛美や批判のための道具、それも言葉の定義が曖昧なことによって反論の焦点すらぼやかしてしまうような、まことに都合のよい道具として使われていたように思えます。

では本来の意味での「精神性」とは何か、ということになるとこれは極めて難しい問題となります。カントの芸術論やニーチェの『悲劇の誕生』あたりが足掛かりとはなるのでしょうが、広大無辺な芸術論の中に含まれる概念の一つであると考えられることからも、私ごときが定義どころか議論することすらためらわれるような代物といえます。

とは言え、あれやこれやの書籍をつまみ食いしながら私なりの理解をもって言えることは「芸術とはすなわち精神活動に他ならない」ということです。アリストテレスが「知性や思考がなければ実践(表現)はできない」と言ったように、何かを表現するためには知性や思考といった精神活動は不可欠です。故に、たとえコンピューターも形無しとなるような技術的に完璧な演奏があったとしても、そこに精神活動が不在であれば、それはただの精緻な運動行為であって芸術と呼べるものとは言えないでしょう。

アリストテレスはポイエーシス(創造)の目指すところは最高善、すなわちエウダイモネイン(幸福)であると説きました。このような悲劇的な状況の最中、リュビモフの演奏はもちろんのこと、この世のありとしある芸術活動──精神活動がエウダイモネインへの道しるべとなっている、と信じたいものです。


シュターツカペレ・ドレスデン [News写真2004年12月]

日本ではドレスデン国立歌劇場と呼ばれるシュターツカペレ・ドレスデンは、ヨーロッパでも最も古い歴史を誇る管弦楽団の一つで、その壮麗な歌劇場はゼンパー・オパーとも呼ばれます。

2003年春、ベルリンから列車に乗り、初めてドレスデンを訪れました。貧乏旅行のため2等自由席へ乗ったのですが、この時向かいに座っていたドイツ人とおぼしき3人が実に個性的だったので今でも記憶に残っています。一人は強面で屈強な軍人のようなスキンヘッドのおじさん。一人は撫でつけた髪がきれいにM字に剃りこまれているように見えるやさ男。もう一人はやや着古したGジャンを着て頭髪が少し後退し、背が高く痩せたお兄さんで、「特攻野郎Aチーム」のモンキーを思わせる雰囲気です。このお兄さんがどさっと置いた大きなザックには、なぜか着ぐるみのライオンらしき頭がぶら下がっているのですが、誰もそれには気をとめず、ヨーロッパ人らしくしかつめらしい表情をしています。

別々に乗り合わせたこの3人は時々会話を交わしていたのですが、私たちは、もともと旧東ドイツ圏であることもあって、英語が通じるかどうか自信が無かったので(もちろん英語でも自信は無いのですが)、ライオンの頭やら、スキンヘッドおじさんの職業やら興味津々だったにもかかわらず話しかけることができませんでした。今にして思えば残念なことをしたものです。

ドレスデンに着いた時、新駅か旧駅か分からず外をきょろきょろ眺めていたら、スキンヘッドおじさんがドイツ語で多分「旧駅は一つ先だよ」というような事を教えてくれたのが、唯一交わした会話でした。

ドレスデンは旧市街しか歩いたことがありませんが、第2次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたにも関わらず大変に美しい街で、その最たるものが、写真のシュターツカペレ・ドレスデンとツヴィンガー宮殿でしょう。この時、灰燼と化した聖母教会は、欠片を一つ一つ組み合わせながらの再建途上で、バッハのカンタータ演奏で有名な聖十字架教会は内部が煤けて黒くなっていたのが印象的でした。

しかし、まだ少し冷えこむ夜のエルベ川沿いを歩いてたどり着いた、闇夜に光り輝くゼンパー・オパーはひときわ印象に残ったのでした。


聖トマス教会(ライプツィヒ) [News写真2005年1月]

ドレスデンから電車で1時間ほどのところに、ゲーテが学び、バッハの活躍した町、ライプツィヒがあります。ライプツィヒに向かうべく夕方にドレスデン駅に着いたまさにその時、ライプツィヒ方面行き電車が出発するところで、チケットを買う間もなく飛び乗りました。

ライプツィヒは、見本市が行われるなど旧東ドイツの都市の中では比較的大きな町なのですが、旧市街は意外に小ぢんまりしており、有名なゲヴァントハウスは旧市街の少し外側にあります(外側にあって良かったというデザインですが…)

その旧市街の入り組んだ道の中ほどに、かつてバッハもカントールをつとめたという聖トマス教会があります。教会の前の小さな広場には、バッハの銅像があり、いやが上にもバッハとクラシック音楽の歴史を感じさせます。

ルター派の教会らしく外観は質素な造りですが、内部の白い天井には装飾とともに網目のように赤いアーチが入り組み、荘厳というよりは意外なほど明るい雰囲気を漂わせています。この時は、(ギュンター・ラミンのジャケット写真に写っている)合唱団の並ぶ2階のオルガン付近が工事中で幕に覆われていたのが、トマス教会合唱団の愛好家としては少し残念でした。

曇り空だったこともあって教会の内部はほの暗かったのですが、写真に写っている内陣付近は、ステンドグラス越しに差し込むやわらかな光と照明に美しく照らしだされていました。

一通り教会を見て回ったあとは、バッハもシューマンもゲーテも通ったというヨーロッパ最古のカフェ、「カフェ・バウム」で一服するのが正しい観光客といえましょう。


サイトウキネン・フェスティヴェル

柄にもなくご招待を受けて、サイトウキネン・フェスティヴァルでR.シュトラウスの《サロメ》を観てきました。

サイトウキネン・フェスティヴァルのチケットは、例年であれば小澤征爾が指揮をするため入手は困難を極めプラチナチケットと化しているのですが、今年は小澤の体調不良からオペラの指揮に代役が立てられたため(結局のところ、管弦楽コンサートでもわずかしか振らなかったようです)、ブロンズチケットかスチールチケットか、といった具合で、容易に入手できたようです。

あまりオペラは聴かない私ですが、近現代ものには好きなものも多く、R. シュトラウスは《サロメ》の他にも《エレクトラ》や《ばらの騎士》など、好きなオペラ作品の多い作曲家の一人です。

《サロメ》は言わずと知れたオスカー・ワイルド(とビアズリーの挿絵!)による、さまざまなスキャンダルをひき起こした戯曲で、その退廃的、背徳的な雰囲気は、後期ロマン派も極まったR.シュトラウスによって、実に官能的に音楽となっています。ワイルドもR.シュトラウスも、時代の求めた芸術家であったのでしょう。

さて、演奏については私は評論家でもありませんのであれこれと言うことはできませんが、舞台はなかなか面白く、最後まで見ごたえがありました。歌手もその実力のほどは分かりませんが、音楽と戯曲の世界へ溶け込んでいて、ちょっと油断すると《サロメ》の世界へ惹き込まれてしまいそうでした。しかし、なんと恐ろしい話でしょう。私にとっては、下手なホラー映画などよりはるかに恐ろしく猟奇的です。

それにしても、まさか生きている間に《サロメ》を演奏会で観ることができるとは思ってもみませんでした。世界を見渡せば少し流行ってはいるようですが、それでも日本で舞台に掛けるには勇気のいる作品です。小澤征爾についてはいろいろと意見もあるのでしょうが、このような作品(以前にはプーランクやブリテン、ヤナーチェクなどが上演されており、来年はなんとバルトークの《青髭公の城》です)を舞台で観られるフェスティヴェルというものは、いろいろと困難もあるのでしょうが、ぜひとも続けていって欲しいものです。

松本へ行くといつも立ち寄らせていただく「レストラン鯛萬」。木組みの高い天井が美しいメインホールで早めの夕食をいただきました。

 


おわら風の盆

松本から足を延ばして、富山は八尾のおわら風の盆を見てきました。なんだかんだと今年でもう3年連続の訪問となってしまいました。

風の盆は、他の盆踊りとは少し趣きが異なっていて、おわら節というゆったりとした息の長い歌とともに、踊り手がゆっくりと進んでいきます。踊りもまた独特で、編笠を目深にかぶり、揃いの浴衣で踊る姿は、夏の盆踊りというよりは、静かな秋の風情を感じます。

風の盆の魅力はなんといってもその音ではないかと思います。楽器(地方)は三味線が中心なのですが、大きな特徴は胡弓が使われることで、夕闇に響く胡弓の哀愁を誘う音は、単調な旋律の繰り返しにも関わらず知らず知らず惹きつけられてしまいます。

ただ、この風の盆は古くからある狭い町で行われる上に、観光に訪れる人の数がとてつもなく多いため、7時頃から行われる正式な町流しは押すな押すなの大盛況となってしまい、あの哀愁を帯びた旋律をなかなか素直に味わうことができません。

そこで今年は思い切って、深夜1時頃に出かけ、数人の地方と踊りで練り歩く、夜流しを楽しむことにしました。写真のように深夜とはいえまだたくさんの人が居ますが、これが正式な町流しともなると、立すいの余地も無くなってしまいます。

古い町並みの残る諏訪町で、行きつ戻りつする夜流しを眺めていると、都会で溜め込んだ雑事、雑念などはすっかりどこかへ飛んでいってしまい、ゆったりと流れるおわら節にただ聴き入るばかりでした。


ピエロ・リュネール

《月に憑かれたピエロ》。なんと想像力を湧き立たせる名前でしょう。レコードを選ぶとき、一丁前に「このジャケットで演奏の悪いはずがない」と宣ったりいたしますが、その体でいくなら「この題名で曲の悪いはずがない」です。

事実、そんな題名から入ったわたしも、いつの間にやら《ピエロ》からシェーンベルクへのめり込み、ベルク、ウェーベルンとお決まりの道筋を辿ったのでした。しかし、未だに《ピエロ》は格別好きな作品で、機会あらば聴くようにしているのです。

さて、その聴く機会が思いもかけぬ形で訪れました。桐朋音大の学生さんたちが学園祭で演奏するというのです。幸いご近所であることもあり、早速お邪魔してきました。

プログラムは、シェーンベルク論、作品解説、全訳詩と盛りだくさんで、天井にはプロジェクターで訳詩が投影されるという仕掛けもあり、この演奏への意気込みが大いに感じられました。

演奏について古今の名演と比べるのは意味のないことですが、プログラムの意気込みそのままに、作品に近づこうという気持ちの感じられた演奏でした。歌手の声の質も曲想に合っていたように思います。目を閉じて聴いているうちに、いつしか《ピエロ》の世界を垣間見ることができました。

このような難曲(技術の面だけにとどまらず)を学生さんが演奏するのですから、日本の音楽水準の高さには感心するばかりです。大胆な挑戦を果した学生諸氏に心からの拍手を送りたいと思います。


三宅麻美ベートーヴェン・ツィクルス

今年もあっという間に暮れとなってしまいました。もしかすると、光陰の矢に乗っかってしまっているのでしょうか。

10月から12月にかけては、個人的なことでドタバタとしていた上に、前々からチケットを買っていたコンサートがずいぶんと重なってテンヤワンヤしてしまいました。いまさらですが、いくつかのコンサートの感想などを書いてみたいと思います。

まずは11月に行われた三宅麻美さんの「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 全曲演奏会 第1回」です。

三宅麻美さんは、以前にピアニストの友人から紹介されたのですが、話してみると、なんとショスタコーヴィチがお好きであるという。とりわけ弦楽四重奏の15番やヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタがお好きでらっしゃるという。しかも前奏曲とフーガ全曲を日本人として初めて録音されたのだそうで、これはもう完全に私の好みと一致してしまっている変態、いや、素晴らしい感性をお持ちの方なので、すっかり話がはずんでしまいました。

そういえば、この春には三宅さんと荒井英治さんによるショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ他を聴いたのですが、演奏が音楽に解けこんでいくような素晴らしい演奏で、なんというか、久しぶりにショスタコーヴィチらしいショスタコーヴィチを聴いたような気がしたのでした(レコードも含めてです)

そんな三宅さんがベートーヴェンを全曲演奏されるというのですから、これは聴き逃すわけにはまいりません。

ベートーヴェンというのは、戦後の日本でもっとも聴かれてきた作曲家であろうと思うのですが、経済成長が怪しくなりはじめた頃から、マーラーだブルックナーだショスタコーヴィチだと言われはじめ、ベートーヴェンのような前向きで力強い音楽というものが、やや飽きられたというか、多様性の波にのまれてしまったような状況なのではないかと思います。

しかし、ずいぶんと音楽のつまみ食いをしてきた現在の私にとっても、最後の最後にたどり着く作曲家は(もちろんシェーンベルクであるとかショスタコーヴィチが好きであることには変わりはないのですが)バッハかベートーヴェンではないかと感じてしまうのです。特に私の好きなベートーヴェン後期の作品は、幾度となく聴いても常に新たな発見があり、すべてを内包し、ついに音楽の真理に達したのではないかと思わせる一方、極めて個人的な感情にもつながっているように思うのです。

今回の演奏会は作品番号以前のものから、1、2、3番というプログラムでしたので、普段後期のソナタばかりを聴いている私は、気楽な気分で聴きに出かけたのですが、ベートーヴェンという作曲家の凄さというものを思い知る羽目となりました。

三宅さんの演奏を聴いていると、ときに「えっ、こんなフレーズがあったの?」と思ったり、「こんな仕掛けがあったのか」と気づく場面に出くわし、ベートーヴェンの革新性と天才はすでに初期の頃からあったことを、あらためて知ったのでした。甘さを廃した演奏は、ベートーヴェンの旋律の美しさを浮き立たせるに余りあるものでした。ベートーヴェンの旋律は、甘く流麗に弾いていても、それは結局表面を撫でているだけに過ぎず、決して彼の音楽の本質にはたどり着けないのではないかと思います。

本当は一飛びに後期のソナタが聴きたいのは山々なのですが、三宅さんのツィクルスを順を追って聴いていくうちに、次々と新たな発見に出会えそうな予感がしています。


竹内進 バリトン・リサイタル

ひとつ飛ばしてしまいましたが、昨年12月6日に行われた竹内進さんによるフランス歌曲リサイタルです。

竹内さんはフランスの名バリトン、カミーユ・モラーヌに師事された方なのですが、私にとってもモラーヌは特別な存在であったため話の合わないはずはありません。時々ふらっとお店に現れては、モラーヌ来日時の話、モラーヌのライバルであったジャック・ジャンセンのこと、留学時代のスコラ・カントルムの話などを聞かせてくれるのです。

そんな竹内さんは、年に1度フランス歌曲リサイタルを催されており、その年ごとに作曲家やテーマを定めたプログラムを用意されます。昨年はプーランクでしたが、今年はさらに一歩進んで、フランス六人組胎動期の作品です。

一口に六人組の歌曲作品といっても、プーランクは歌曲全集が発売されているなど比較的その作品は知られていると思うのですが、他の作曲家はというと、ミヨーやオネゲルといった有名な作曲家ですらあまり録音がなく、オーリック、デュレ、タイユフェールともなると、歌曲の録音を探すこと自体が骨の折れる作業となってしまいます(これは主にレコードの場合ですが、CDでもそれほど事情は変わらないと思います)

それでもSPの時代から、六人組の歌曲コンサートを始めて行ったジャヌ・バトリやクレール・クロワザがいくつかの録音(作曲者自身のピアノによる)を残していますし、高名なメリザンド歌手イレーヌ・ヨアヒムは、LP初期に「フランス六人組」という大変に素晴らしいアルバムを残しています。

竹内さんのコンサートの特徴の一つは、歌う前に竹内さん自らが、ときには関連する資料や写真を手に、曲を解説をすることです。その朴訥とした口調と、「今日はどうものどの調子がおかしくて…」とか「練習不足で…」と言うような、わたしが勝手に「自虐ネタ」と呼んでいるコメントを聴くのが密かな楽しみとなっています。

もう一つの特徴は、訳詩付きの大変に凝ったプログラムで、訳文も竹内さん自らが意味の伝わる範囲で逐語的に訳されたもので、巷で読むことのできる文学的意訳とは、また一味違ったものとなっています。そもそも、多くの曲は日本語の訳文さえ手に入れるのに一苦労するようなものばかりなのですが。

肝心のコンサートは、ご本人はこれまた自虐的に「今日は特に調子が悪かったので…」とおっしゃっておりましたが、私は初めて聴くデュレのモダンな作風に「おお」と思ったり、ミヨーの「花のカタログ」が、実は花屋さんの宣伝をそのまま詩に使っていることを初めて知ったり、おなじみ動物詩集でアポリネールの天才ぶりを再認識したりと、実に楽しい一夕となったのでした。

昨今は、本場フランスでもフランス歌曲はあまり顧みられていないように思います。ましてや日本でフランス歌曲を聴く機会というのは、(外来演奏家が歌うような有名曲を除けば)非常に限られていると言わざるをえません。竹内さん自らおっしゃるように、師であるモラーヌとは比較できないのかもしれませんが、このような機会を毎年用意してくださる竹内さんの姿勢には頭の下がる思いです。

 


【お知らせ】桑田穣 J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

 

この企画には半ば関わっているので手前味噌となってしまいますが、当店のお隣、Ralph and Sunnieにて、ヴァイオリニストの桑田穣氏の演奏による、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータを聴く会が下記の通り開催されます。

 

J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

桑田穣(ヴァイオリン)

2011年5月14日(土)

開演 18:30 (開場 18:00)

演奏曲目

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番, BWV 1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番, BWV 1004

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番, BWV 1003

 

詳細、お問い合わせはRalph and Sunnieまでお願いいたします。

それほど多いというわけではありませんが、職業柄クラシックの演奏家の方々とも知り合うことがあります。その中の一人がヴァイオリニストの桑田さんです。

よく「演奏家は自分が一番と思っているから、人の演奏は聴かない」と言われます。実際にはこの言葉はかなり極端であるとは思うのですが、わたしがこれまでに出会った演奏家の多くは、他の演奏を参考程度にしか聴かなかったり、演奏技術に非常にうるさい方が多かったように思います。ピアノでいえば均一なタッチ、揺れないテンポ、混濁しないペダルワークなどなど…これらが少しでも破綻するようであれば、良くない演奏というわけです(この線でいくとわたしの好きな昔のロシアのピアニストなどは全員落第なのですが)

たしかに楽器の演奏は、素人目で見てもかなり難しく、また特殊な技術が必要であることは分かりますし、技術がなければ表現できないことというのも随分あるのだと思います。しかし、残念なことに音楽は計算や競技ではなく芸術です。技術をいくら磨いたところでそれが芸術的表現へとつながらなければ全く無意味なことになってしまいます(最近は、乱立するコンクールなど、音楽がまるでオリンピックのようになりつつあるようにも思えますが…)

桑田さんは(失礼ながら)演奏家には珍しく、1950年代や60年代に録音された音楽──技術より以上に音楽が重視された時代、音楽がまだ芸術であることを十全に保っていた時代の音楽を聴くのを楽しみとされている方です(今でこそ何人かそのような演奏家の方々とも知り合いになりましたが)。ウォルフガング・マルシュナー、ポール・マカノヴィツキー、ユリアン・シトコヴェツキー等々。そして、わたしが何よりも好きな時代もこの時代なのです。

そんな風にして、日々情報をやり取りさせていただいていた桑田さんですが、最近バッハの無伴奏を練習しているという話を聞きおよび、それならば、と話が進みこのコンサートが開催できる運びとなったのでした。

50年代、60年代の「芸術」を楽しまれる桑田さんが、どのようなバッハを奏でるのか、期待ふくらむ今日この頃です。