演奏会一覧

音楽と精神性なるもの

昨日facebookの投稿で知ったのですが、ピアニストのアレクセイ・リュビモフがモスクワで行ったコンサートの前半で、ウクライナの作曲家シルヴェストロフの作品を弾いたところ、後半になって警官が闖入してコンサートを中止させたのだそうです。

ウクライナの惨状を思えば、モスクワでコンサートができている、それだけでも過分に過ぎることなのかもしれませんが、それにしても時の権力が芸術活動にこれほどあからさまな干渉をしてきたことに底知れぬ怖ろしさを感じるとともに、その横暴にはただただ呆れ果てるばかりです。

動画を見ますと、シューベルトの即興曲第1番の冒頭で警官が中止を叫んで聴衆が帰りかけますが、リュビモフは演奏を続け、警官の制止と監視の中第2番を最後まで弾ききり、万雷の拍手を浴びている様子が見て取れます。

外面的な事実を追えば、たった2人の警官によって(その裏には幾千幾万の権力の追従者がうごめいているのでしょうが)コンサートは中止の止むなきに至り、リュビモフや聴衆がその横暴に対して何か物理的な抵抗ができていたわけではありません。しかしリュビモフの演奏や聴衆の振る舞いからは声にならない感情や想い、精神の発露といったものが感じられたのもまた確かです。

音楽という芸術は、カントがいみじくも「熟考するためのものを何も残さない」と言ったように、言語化できないという意味において、何か主義主張を表明することは難しく、故に政治活動、反体制運動などを実効的に行うことも困難です。それは、ソ連時代、マヤコフスキーやメイエルホリド、ミホエルスといった物言う芸術家が次々と粛清されていく中、音楽家はおそらくただの一人も粛清されなかったことからも、権力者から見た音楽芸術の立ち位置を推し量ることができます。

それにも関わらず、音楽芸術は人間が生活していく上において必要不可欠な何か、「精神性」とでも呼ぶべきものを備えており、その「精神性」は物言わぬ形で我々に影響を与え、権力側ばかりではなく、反権力の側にもさまざまなものを訴えかけているように思えるのです。

かねてよりクラシック、それも〝レコード芸術〟界隈では、「精神性」という言葉がしきりと使われてきました。かの吉田秀和は「フルトヴェングラーには精神性がある」と言い、宇野功芳は「カラヤンには精神性が無い」と言うのがある種の決まり文句でした。これら評論家先生の名前を出すだけで「精神性」の流行した時代が分かろうというものですが、幸か不幸かその時代がいわゆる〝レコード芸術〟の全盛期と重なったこともあり「精神性」なる言葉は不必要に濫用されてしまうことになります。

残念ながら流行には反動がつきもので、カラヤンを皮切りとして、クライバー、アバドからラトルやドゥダメルへと至る指揮者達の時代に「精神性」という表現はほとんど使われることはなくなりました。対照的にフルトヴェングラーらいわゆる「精神性」時代の指揮者たちは「録音の悪い、古臭い」演奏とされ、今や「精神性ある演奏」は悪い音や情けない演奏を褒めるための慣用句とさえ言われる始末です。

たしかにここで使われている「精神性」という言葉は、端的に言ってしまえば賛美や批判のための道具、それも言葉の定義が曖昧なことによって反論の焦点すらぼやかしてしまうような、まことに都合のよい道具として使われていたように思えます。

では本来の意味での「精神性」とは何か、ということになるとこれは極めて難しい問題となります。カントの芸術論やニーチェの『悲劇の誕生』あたりが足掛かりとはなるのでしょうが、広大無辺な芸術論の中に含まれる概念の一つであると考えられることからも、私ごときが定義どころか議論することすらためらわれるような代物といえます。

とは言え、あれやこれやの書籍をつまみ食いしながら私なりの理解をもって言えることは「芸術とはすなわち精神活動に他ならない」ということです。アリストテレスが「知性や思考がなければ実践(表現)はできない」と言ったように、何かを表現するためには知性や思考といった精神活動は不可欠です。故に、たとえコンピューターも形無しとなるような技術的に完璧な演奏があったとしても、そこに精神活動が不在であれば、それはただの精緻な運動行為であって芸術と呼べるものとは言えないでしょう。

アリストテレスはポイエーシス(創造)の目指すところは最高善、すなわちエウダイモネイン(幸福)であると説きました。このような悲劇的な状況の最中、リュビモフの演奏はもちろんのこと、この世のありとしある芸術活動──精神活動がエウダイモネインへの道しるべとなっている、と信じたいものです。


サイトウキネン・フェスティヴェル

柄にもなくご招待を受けて、サイトウキネン・フェスティヴァルでR.シュトラウスの《サロメ》を観てきました。

サイトウキネン・フェスティヴァルのチケットは、例年であれば小澤征爾が指揮をするため入手は困難を極めプラチナチケットと化しているのですが、今年は小澤の体調不良からオペラの指揮に代役が立てられたため(結局のところ、管弦楽コンサートでもわずかしか振らなかったようです)、ブロンズチケットかスチールチケットか、といった具合で、容易に入手できたようです。

あまりオペラは聴かない私ですが、近現代ものには好きなものも多く、R. シュトラウスは《サロメ》の他にも《エレクトラ》や《ばらの騎士》など、好きなオペラ作品の多い作曲家の一人です。

《サロメ》は言わずと知れたオスカー・ワイルド(とビアズリーの挿絵!)による、さまざまなスキャンダルをひき起こした戯曲で、その退廃的、背徳的な雰囲気は、後期ロマン派も極まったR.シュトラウスによって、実に官能的に音楽となっています。ワイルドもR.シュトラウスも、時代の求めた芸術家であったのでしょう。

さて、演奏については私は評論家でもありませんのであれこれと言うことはできませんが、舞台はなかなか面白く、最後まで見ごたえがありました。歌手もその実力のほどは分かりませんが、音楽と戯曲の世界へ溶け込んでいて、ちょっと油断すると《サロメ》の世界へ惹き込まれてしまいそうでした。しかし、なんと恐ろしい話でしょう。私にとっては、下手なホラー映画などよりはるかに恐ろしく猟奇的です。

それにしても、まさか生きている間に《サロメ》を演奏会で観ることができるとは思ってもみませんでした。世界を見渡せば少し流行ってはいるようですが、それでも日本で舞台に掛けるには勇気のいる作品です。小澤征爾についてはいろいろと意見もあるのでしょうが、このような作品(以前にはプーランクやブリテン、ヤナーチェクなどが上演されており、来年はなんとバルトークの《青髭公の城》です)を舞台で観られるフェスティヴェルというものは、いろいろと困難もあるのでしょうが、ぜひとも続けていって欲しいものです。

松本へ行くといつも立ち寄らせていただく「レストラン鯛萬」。木組みの高い天井が美しいメインホールで早めの夕食をいただきました。

 


ピエロ・リュネール

《月に憑かれたピエロ》。なんと想像力を湧き立たせる名前でしょう。レコードを選ぶとき、一丁前に「このジャケットで演奏の悪いはずがない」と宣ったりいたしますが、その体でいくなら「この題名で曲の悪いはずがない」です。

事実、そんな題名から入ったわたしも、いつの間にやら《ピエロ》からシェーンベルクへのめり込み、ベルク、ウェーベルンとお決まりの道筋を辿ったのでした。しかし、未だに《ピエロ》は格別好きな作品で、機会あらば聴くようにしているのです。

さて、その聴く機会が思いもかけぬ形で訪れました。桐朋音大の学生さんたちが学園祭で演奏するというのです。幸いご近所であることもあり、早速お邪魔してきました。

プログラムは、シェーンベルク論、作品解説、全訳詩と盛りだくさんで、天井にはプロジェクターで訳詩が投影されるという仕掛けもあり、この演奏への意気込みが大いに感じられました。

演奏について古今の名演と比べるのは意味のないことですが、プログラムの意気込みそのままに、作品に近づこうという気持ちの感じられた演奏でした。歌手の声の質も曲想に合っていたように思います。目を閉じて聴いているうちに、いつしか《ピエロ》の世界を垣間見ることができました。

このような難曲(技術の面だけにとどまらず)を学生さんが演奏するのですから、日本の音楽水準の高さには感心するばかりです。大胆な挑戦を果した学生諸氏に心からの拍手を送りたいと思います。


三宅麻美ベートーヴェン・ツィクルス

今年もあっという間に暮れとなってしまいました。もしかすると、光陰の矢に乗っかってしまっているのでしょうか。

10月から12月にかけては、個人的なことでドタバタとしていた上に、前々からチケットを買っていたコンサートがずいぶんと重なってテンヤワンヤしてしまいました。いまさらですが、いくつかのコンサートの感想などを書いてみたいと思います。

まずは11月に行われた三宅麻美さんの「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 全曲演奏会 第1回」です。

三宅麻美さんは、以前にピアニストの友人から紹介されたのですが、話してみると、なんとショスタコーヴィチがお好きであるという。とりわけ弦楽四重奏の15番やヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタがお好きでらっしゃるという。しかも前奏曲とフーガ全曲を日本人として初めて録音されたのだそうで、これはもう完全に私の好みと一致してしまっている変態、いや、素晴らしい感性をお持ちの方なので、すっかり話がはずんでしまいました。

そういえば、この春には三宅さんと荒井英治さんによるショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ他を聴いたのですが、演奏が音楽に解けこんでいくような素晴らしい演奏で、なんというか、久しぶりにショスタコーヴィチらしいショスタコーヴィチを聴いたような気がしたのでした(レコードも含めてです)

そんな三宅さんがベートーヴェンを全曲演奏されるというのですから、これは聴き逃すわけにはまいりません。

ベートーヴェンというのは、戦後の日本でもっとも聴かれてきた作曲家であろうと思うのですが、経済成長が怪しくなりはじめた頃から、マーラーだブルックナーだショスタコーヴィチだと言われはじめ、ベートーヴェンのような前向きで力強い音楽というものが、やや飽きられたというか、多様性の波にのまれてしまったような状況なのではないかと思います。

しかし、ずいぶんと音楽のつまみ食いをしてきた現在の私にとっても、最後の最後にたどり着く作曲家は(もちろんシェーンベルクであるとかショスタコーヴィチが好きであることには変わりはないのですが)バッハかベートーヴェンではないかと感じてしまうのです。特に私の好きなベートーヴェン後期の作品は、幾度となく聴いても常に新たな発見があり、すべてを内包し、ついに音楽の真理に達したのではないかと思わせる一方、極めて個人的な感情にもつながっているように思うのです。

今回の演奏会は作品番号以前のものから、1、2、3番というプログラムでしたので、普段後期のソナタばかりを聴いている私は、気楽な気分で聴きに出かけたのですが、ベートーヴェンという作曲家の凄さというものを思い知る羽目となりました。

三宅さんの演奏を聴いていると、ときに「えっ、こんなフレーズがあったの?」と思ったり、「こんな仕掛けがあったのか」と気づく場面に出くわし、ベートーヴェンの革新性と天才はすでに初期の頃からあったことを、あらためて知ったのでした。甘さを廃した演奏は、ベートーヴェンの旋律の美しさを浮き立たせるに余りあるものでした。ベートーヴェンの旋律は、甘く流麗に弾いていても、それは結局表面を撫でているだけに過ぎず、決して彼の音楽の本質にはたどり着けないのではないかと思います。

本当は一飛びに後期のソナタが聴きたいのは山々なのですが、三宅さんのツィクルスを順を追って聴いていくうちに、次々と新たな発見に出会えそうな予感がしています。


竹内進 バリトン・リサイタル

ひとつ飛ばしてしまいましたが、昨年12月6日に行われた竹内進さんによるフランス歌曲リサイタルです。

竹内さんはフランスの名バリトン、カミーユ・モラーヌに師事された方なのですが、私にとってもモラーヌは特別な存在であったため話の合わないはずはありません。時々ふらっとお店に現れては、モラーヌ来日時の話、モラーヌのライバルであったジャック・ジャンセンのこと、留学時代のスコラ・カントルムの話などを聞かせてくれるのです。

そんな竹内さんは、年に1度フランス歌曲リサイタルを催されており、その年ごとに作曲家やテーマを定めたプログラムを用意されます。昨年はプーランクでしたが、今年はさらに一歩進んで、フランス六人組胎動期の作品です。

一口に六人組の歌曲作品といっても、プーランクは歌曲全集が発売されているなど比較的その作品は知られていると思うのですが、他の作曲家はというと、ミヨーやオネゲルといった有名な作曲家ですらあまり録音がなく、オーリック、デュレ、タイユフェールともなると、歌曲の録音を探すこと自体が骨の折れる作業となってしまいます(これは主にレコードの場合ですが、CDでもそれほど事情は変わらないと思います)

それでもSPの時代から、六人組の歌曲コンサートを始めて行ったジャヌ・バトリやクレール・クロワザがいくつかの録音(作曲者自身のピアノによる)を残していますし、高名なメリザンド歌手イレーヌ・ヨアヒムは、LP初期に「フランス六人組」という大変に素晴らしいアルバムを残しています。

竹内さんのコンサートの特徴の一つは、歌う前に竹内さん自らが、ときには関連する資料や写真を手に、曲を解説をすることです。その朴訥とした口調と、「今日はどうものどの調子がおかしくて…」とか「練習不足で…」と言うような、わたしが勝手に「自虐ネタ」と呼んでいるコメントを聴くのが密かな楽しみとなっています。

もう一つの特徴は、訳詩付きの大変に凝ったプログラムで、訳文も竹内さん自らが意味の伝わる範囲で逐語的に訳されたもので、巷で読むことのできる文学的意訳とは、また一味違ったものとなっています。そもそも、多くの曲は日本語の訳文さえ手に入れるのに一苦労するようなものばかりなのですが。

肝心のコンサートは、ご本人はこれまた自虐的に「今日は特に調子が悪かったので…」とおっしゃっておりましたが、私は初めて聴くデュレのモダンな作風に「おお」と思ったり、ミヨーの「花のカタログ」が、実は花屋さんの宣伝をそのまま詩に使っていることを初めて知ったり、おなじみ動物詩集でアポリネールの天才ぶりを再認識したりと、実に楽しい一夕となったのでした。

昨今は、本場フランスでもフランス歌曲はあまり顧みられていないように思います。ましてや日本でフランス歌曲を聴く機会というのは、(外来演奏家が歌うような有名曲を除けば)非常に限られていると言わざるをえません。竹内さん自らおっしゃるように、師であるモラーヌとは比較できないのかもしれませんが、このような機会を毎年用意してくださる竹内さんの姿勢には頭の下がる思いです。

 


【お知らせ】桑田穣 J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

 

この企画には半ば関わっているので手前味噌となってしまいますが、当店のお隣、Ralph and Sunnieにて、ヴァイオリニストの桑田穣氏の演奏による、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータを聴く会が下記の通り開催されます。

 

J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

桑田穣(ヴァイオリン)

2011年5月14日(土)

開演 18:30 (開場 18:00)

演奏曲目

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番, BWV 1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番, BWV 1004

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番, BWV 1003

 

詳細、お問い合わせはRalph and Sunnieまでお願いいたします。

それほど多いというわけではありませんが、職業柄クラシックの演奏家の方々とも知り合うことがあります。その中の一人がヴァイオリニストの桑田さんです。

よく「演奏家は自分が一番と思っているから、人の演奏は聴かない」と言われます。実際にはこの言葉はかなり極端であるとは思うのですが、わたしがこれまでに出会った演奏家の多くは、他の演奏を参考程度にしか聴かなかったり、演奏技術に非常にうるさい方が多かったように思います。ピアノでいえば均一なタッチ、揺れないテンポ、混濁しないペダルワークなどなど…これらが少しでも破綻するようであれば、良くない演奏というわけです(この線でいくとわたしの好きな昔のロシアのピアニストなどは全員落第なのですが)

たしかに楽器の演奏は、素人目で見てもかなり難しく、また特殊な技術が必要であることは分かりますし、技術がなければ表現できないことというのも随分あるのだと思います。しかし、残念なことに音楽は計算や競技ではなく芸術です。技術をいくら磨いたところでそれが芸術的表現へとつながらなければ全く無意味なことになってしまいます(最近は、乱立するコンクールなど、音楽がまるでオリンピックのようになりつつあるようにも思えますが…)

桑田さんは(失礼ながら)演奏家には珍しく、1950年代や60年代に録音された音楽──技術より以上に音楽が重視された時代、音楽がまだ芸術であることを十全に保っていた時代の音楽を聴くのを楽しみとされている方です(今でこそ何人かそのような演奏家の方々とも知り合いになりましたが)。ウォルフガング・マルシュナー、ポール・マカノヴィツキー、ユリアン・シトコヴェツキー等々。そして、わたしが何よりも好きな時代もこの時代なのです。

そんな風にして、日々情報をやり取りさせていただいていた桑田さんですが、最近バッハの無伴奏を練習しているという話を聞きおよび、それならば、と話が進みこのコンサートが開催できる運びとなったのでした。

50年代、60年代の「芸術」を楽しまれる桑田さんが、どのようなバッハを奏でるのか、期待ふくらむ今日この頃です。


ジャン・ロンドーの《ゴルトベルク変奏曲》──楽譜をめくる意味

過日、ジャン・ロンドーのチェンバロによる《ゴルトベルク変奏曲》のコンサートを聴いてきました。

ジャン・ロンドーは、この文章を書くにあたって調べてみたところ、鬼才とも呼ばれるフランスの若手チェンバロ奏者でこれが初来日だったとのことです。

私はゴルトベルク変奏曲を殊のほか愛好してはいるものの、このコンサートは行けなくなった友人からチケットを譲り受け、物見遊山で出掛けたことを告白しておきます。その友人も、ロンドーのチラシが余りにおかしかったのでチケットを購入したようですが。

ともあれ、当日私は文化会館の席に収まり、演奏会は始まりました。リパッティやバックハウスを思い出させるようなアルペジオを爪弾いたのち、弾きはじめられた《ゴルトベルク変奏曲》は拍子抜けするほどオーソドックスで、むしろ奇抜なチラシや「鬼才」という言葉が少し煽りすぎなのではと感じられるほどです。

それにしても、強弱のつかないチェンバロという楽器による演奏は、グールドをはじめとしたピアノによる名演を聴いた耳にとっては残念ながら余りにもモノクロームであって、その欠点を補うためにフレージングを強調したりテンポを細かく動かしてはいるのですが、これがまた弦楽器の古楽器奏法独特のアクセントを彷彿させてしまいます。古楽器演奏のあの年々どぎつくなるフレージングやアクセントは、音量による表現不足を補うものであったのかと妙に得心してしまいます。そういえば、《冬の旅》をフォルテピアノで伴奏した演奏会でも、テンポをことさら揺らす伴奏に閉口したものでした。

本来デュナーミクやアゴーギク(私は、この目を引く外来語があまり好きになれません。日本人なのですから「抑揚」と「緩急」で良いではないかと思ってしまいます)というものは、表現や歌いまわしの中において分離不能な混淆物として現れるはずであるのに、昨今の古楽器奏法は、まるで抑揚がつけられないので代わりに緩急をつけているようにすら思われてしまいます。18世紀に演奏された場や空間を想像するに、それほどの濃淡ある表現が必要であったとも思われないのですが。

一つの頂点ともいえる第25変奏では、始める前に大きく間を取り、ゆったりとしたテンポで繰り返しも全て行い、この変奏への思い入れは大いに感じられましたが、表現としての深みがその思い入れほどあったでしょうか。さらに言えば、この変奏をこれほど大切に扱っておきながら、ダ・カーポ主題へと戻る直前の最後の高揚、クオドリベットを繰り返しも行わずに弾き流したのことには少なからず失望を覚えました。私はバッハがこの変奏を最後に配したことには少なからぬ意味があると信じているのですが。とはいえ、第14変奏や16変奏などではチェンバロの鋭い音色を活かした表現で面白さを感じもしましたが、全体としては余り惹きつけるようなものは感じられませんでした。

もう一つ目を引いたのが曲の間です。ロンドーは多くの曲間に一呼吸を置いていましたし、勿体をつけたような楽譜のめくりかたをして長い間を取ったりもしていました。曲を間断なく続けたいのであれば、暗譜するなり譜めくりをつけるなりできるわけですから、何かしら彼なりの考えがあってのことだとは思いますが、音楽の流れが遮られるような気がして私にはあまりしっくりと来ませんでした。あるいはこれは新手のアゴーギクなのでしょうか。

楽譜をめくるという行為にはもちろん意味があります。タルガムのTED講演によれば、リヒャルト・シュトラウスが自作の指揮で淡々と指揮棒を上下させながら譜面をめくっているのは、もちろん自分の曲を忘れてしまったのではなく、「楽譜によって演奏するのだ」という暗喩を楽団員へと伝えているのだそうです。一体ロンドーは誰に向かって楽譜をめくっていたのでしょうか。

ダ・カーポ主題が静かに終わりをつげましたが、誰一人として拍手をすることなく、ロンドーも微動だにしません。一体この静けさは何なのでしょう。決して満足のいかない演奏ではなかったとしても、そこまで深く心に染み入るような演奏であっただろうか、と自問してしまいます。30秒、あるいは1分くらいたったでしょうか、熱烈な拍手とブラボーが湧き起こりました。正直を言うと、私は高揚したこの場の雰囲気と自分との落差にすっかり冷水を浴びせられた格好となり、いささかなりに楽しんでいた気分も雲散霧消してしまいました。拍手の鳴り止まぬ中、席を立って早々に文化会館を後にしました。


ヴィヴィアナ・ソフロニツキー オール・ショパン・プログラム

年の瀬もおし迫った12月26日、昨年最後のコンサートは、ヴィヴィアナ・ソフロニツキーによるオール・ショパン・プログラムでした。

ソフロニツキー、この名前は私にとって、ネイガウスなどとともに特別なものです。演奏を聴かずとも「名演」と宣言してしまって間違いのない名前といっても良いでしょう。

そんなある日、ソフロニツキーが来日するという情報が舞い込んできました。はて、わがウラディーミル・ソフロニツキー師は1961年に身罷っているはずだが、と調べてみると、来日するのは、ヴィヴィアナ・ソフロニツキーといって、ソフロニツキー師の娘のようなのです。娘ですからソフロニツカヤではないかとも思うのですが、ロシアも少しづつリベラルになっているのかもしれません。

そのヴィヴィアナさんがショパンを演奏するというのですが、これが困ったことにショパン時代の古い楽器(の復刻)、つまりフォルテピアノでの演奏なのです。一般にレコードマニアと呼ばれる人種はあまり古楽器が好きではなく、残念ながら私もその例に漏れないのです。しかしソフロニツキーという名前には逆らえません。早速チケットを手配しました。

とはいえ、ソフロニツキー師は非常にレベルの高いロシア・ピアニズムの中でも別格中の別格のピアニストでしたから(トロップさんが、それは神の啓示のごとくであった、とおっしゃっていたのを覚えています)、ヴィヴィアナさんに過大な期待するのは禁物です。

一聴しての感想は、やはりフォルテピアノの音は小さいということと、意外に細かなニュアンスは出せるものだな、ということでした。しかし聴き進んでゆくと、どうにもヴィヴィアナさんの演奏とウラディーミル師の演奏が重なって聴こえてきてしまうのです。その力強く粘ったようなタッチは、悲劇的な色彩を帯びていて、そう、極論してしまうとウラディーミル師生き写しなのです。フォルテピアノのパラパラとした音が、ウラディーミル師の悪い録音の音と妙に似ているのが、またおかしくもあります。

ここまで似るのは何故なのか。同行したピアニスト氏の推測では、体格(彼女はとても背が高い)や手の形、あるいは音を聴く耳が遺伝しているのかもとのことでした。

アンコールでは、3台目のフォルテピアノを出してきての聴き比べの後、一番古いモデルでモーツァルトの幻想曲を演奏しました。それは素晴らしい演奏であったのですが、その力強いタッチやウラディーミル師譲りの解釈は、フォルテピアノで弾くモールァルトの様式からはかけ離れているようにも感じました。

何にしても、毎年数え切れないほどのロシア・ピアニストが来日しているなか、これほどのピアニストが今までほとんど知られていなかったというのは驚くべきことだと思います(ソフロニツキーのピアニズムが今どきあまり受けるタイプではないのかもしれませんが)

見ているとフォルテピアノが楽しくて仕方がない様ではありますが、残念ながらヴィヴィアナさんのピアニズムはモダン・ピアノでこそ生きるのではないかと思います。次の機会には、ぜひモダン・ピアノで聴いてみたいものです。

 


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(ゴルドベルク変奏曲)

明けて12月24日は、ゴルドベルク変奏曲です。

演奏会場は、平均律クラヴィア曲集の武蔵野文化会館(小ホール)から東京文化会館へと、都会へ出てまいりました。客層もカジュアルだった前日とは打って変わり、コンサートホールへ来ているぞ、という雰囲気に満ちています。これは、お隣大ホールで行われているクリスマス恒例(であろう)メサイアの影響もあるのかもしれません。

前日の平均律クラヴィア曲集全曲演奏会については、すでに書いた通りなのですが、ゴルドベルク変奏曲ではまた違った面が出てくるのではないか、との期待もありました。

しかし残念ながら、前日の演奏と大きく異なるようなことはなく、緻密に組み立てられた熱演、という以上の印象を得ることはできませんでした。

わたしが音楽を聴くとき、それがどんなに感心しないもの、突飛なものであっても、すくなくともわたしよりも音楽的経験が豊かで、音楽に対しても真剣である人が、このように弾いているのであるから、何かわたしには計り知れない意図があるのではないか、とまずは演奏よりも自分を疑って考えるのですが……リフシッツの意図はどうもわたしには分かりかねたようです。

コンサートの後、同行した方々とお店で軽くワインなどを飲みながら(当然私は水なのですが)雑談などしたのですが、ひとしきり誰のゴルドベルクが良いかなどと話した後、「ソコロフのゴルドベルクを聴こう」ということになりました。このとき、同行した方々も、リフシッツの演奏から私と同じような印象を得たのだということが、なにとはなしに分かったのでした。

 


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(平均律クラヴィア曲集)

先日、賛否の声渦巻くペーター・コンヴィチュニー演出の「サロメ」を聴いてきたのですが、その感想はさておき、昨年のコンサート記を続けることにします。

ようやくと年末に近づいてきて、12月23日、24日のコンスタンチン・リフシッツ演奏会です。リフシッツは23日に平均律クラヴィア曲集全曲を、24日にゴルドベルク変奏曲を弾くという、なんとも大胆な選曲、かつ日程です。巷は気もそぞろの12月24日にゴルドベルクを聴くというのも、なんともはや…。

ゴルドベルク変奏曲は、私のもっとも好きなピアノ曲の一つなのですが、今を去ること20年ほど前にニコライエワの演奏を聴いて以来、演奏会ではなかなか聴く機会のなかった曲でもあります。数年前のコロリョフの演奏会なども食指を動かされたのですが結局忘失してしまい、後で聞けばそれほどでもなかったとのこと。なかなか縁に恵まれないのです。

リフシッツについては名前を知っている程度だったのですが、平均律とゴルドベルクを連日演奏すると聴いて、つい触手が動いてしまったのです。

平均律については、全曲を演奏会で聴いたことは一度もなく、最近でこそ、ポリーニやシフが俎上に乗せてはいますが、実際演奏会へかけられることもそれほど多くはないのではないでしょうか。リフシッツは、全曲を1日で演奏してしまおうということで、前半に24曲、後半に24曲、間に数時間のインターバルが開くため、ほぼ半日がかりという、まるでマラソンのようなコンサートです。

肝心の演奏ですが、まずつまずきそうになったのがその配曲です。前半24曲というのは、実は第1巻の1番、第2巻の1番、第1巻の2番…というように、2巻を交互に弾き、12番までを弾いたのです(もちろん演奏会前から分かっていたことではありますが)

普段レコードでは、全曲を聴くにしても、抜粋を聴くにしても、たいてい1巻と2巻は分かれており、またこれは勝手な思い込みかもしれませんが、第1巻の24曲、第2巻の24曲というものは、24曲で一つの組曲のように構成されているように感じるのです。ことに第1巻でハ長調の前奏曲から始まり、ロ短調の壮大なフーガで終わるさまは、調性という宇宙を描いた壮大な絵画であるようにすら思えるのです(第2巻に関しては、もう少しカジュアルな、あるいはロマンティックな雰囲気を感じるのですが)

さて、その第1巻と2巻とが混ざって出てくるわけですから、聴く方としてはいまいち調子が出ないのです。とはいえ演奏は、美しい音色、ほぼ完璧にコントロールされた打鍵、さらには暗譜での演奏など、こと演奏技術に関しては(あくまで素人の私が見る限り)非の打ち所が無いといってよいような演奏でした。

しかし、その完璧な演奏から生み出される音楽には何かが足りないのです。いや足りないのではなく立派すぎたのかもしれません。バッハの楽譜を設計図とした建造物を、大聖堂のように、あるいは細密画のように、いささかの狂いもなく緻密に作り込んでいるように感じられたのです。しかし困ったことに音楽は大聖堂でもなければ、細密画でもありません。常にゆらぎ、うつろい、現れては消えていく蜃気楼のようなものです。そのゆらぎや頼りなさを確固たる形あるものとして表されてしまうと、それは音楽のようであって音楽とは異なものとなってしまうように思えてならないのです。

大気中をたゆたうような一見捉えどころのない音楽作品を、一瞬の閃きでつかみ取り、音とするのが演奏家という芸術家の使命でもあるでしょう。しかしリフシッツの演奏は、漂う音楽を捉えることをあきらめ、音楽の外観、表面を緻密に、しかしまるで形骸のように、再現するという道を選んだように思えてなりません。

誤解のないように書いておきますと、リフシッツのピアニストとしての技術的側面は、大変に高度なものであることは間違いありません。しかし残念ながらその技術によって生み出された音楽には、音楽の持つゆらぎ、息遣いといったものが希薄であったように私は感じたのでした。

とはいえ、第1巻ロ短調のフーガなどは実に美しく、聴き入ってしまったのですが、その後に第2巻の前奏曲が出てくるのですから……最期まで調子の狂わされた演奏会でした。