私は残念ながらまだ体験していないのですが、飛行機がプラハの空港に降り立つとスメタナの《モルダウ》が流れてきて、チェコに到着したことをいやが上にも実感するのだそうです。
たしかに《モルダウ》の憂愁をただよわせる旋律を聴くと──同じ組曲で《高い城》と訳される──ヴィシェフラドから眺めた、青い夕闇のせまるヴルタヴァ(モルダウ)
しかし、チェコの作曲家といって私が最もイメージするのは、スメタナやドヴオルザークではなく、レオシュ・ヤナーチェクなのです。晩年の傑作である弦楽四重奏曲《クロイツェル・ソナタ》を初めて聴いたとき感じた、広大な空間に音が解き放たれていくような感覚はこの時初めて経験したものでした。また、ミラン・クンデラ原作の映画『存在の耐えられない軽さ』を観たときも、そのストーリーや映像よりも、ヤナーチェクの音楽が印象に残ったものです。
弦楽四重奏曲《クロイツェル・ソナタ》は、トルストイの小説『クロイツェル・ソナタ』を読み、その内容──不義をはたらいた妻を殺してしまう男の告白──に衝撃を受けたヤナーチェクが、その小説をモチ—フとして作曲したものです。
小説の中には、妻と若いヴァイオリニストがベートーヴェンの《クロイツェル・ソナタ》を演奏する部分があり、遠くベートーヴェンにまで繋がる糸があります。
《クロイツェル・ソナタ》をはじめとして、ヤナーチェクの傑作は晩年に集中しています。それは63歳の時に出会った若い人妻カミラ・シュテスロヴァとの道ならぬ恋によってもたらされたといいます。
たしかに、歌劇《イエヌーファ》や《カーチャ・カヴァノヴァ》などは、許されぬ恋の悲劇を描いていますし、もう一つの弦楽四重奏曲《内緒の手紙》も、600通にもおよぶシュテスロヴァとの文通を暗示したものです。
しかし一方で、歌劇《利口な女狐の物語》や《マクロプロスの秘術》、《死者の家》で描かれるような、輪廻や再生、開放という主題も取りあげています。ここには、民族主義運動や独立運動にも刺激されて真にチェコ的な音楽を探求したヤナーチェクの姿が浮かびあがります。
クンデラは「チェコ民族は17世紀及び18世紀に、ほとんどその存在を止めてしまった」といっています。19世紀末に起こった民族主義運動は、独立運動であると同時に、チェコ民族が失われた200年を取り戻す運動であったともいえます。
スメタナやドヴォルザークは、この失われた200年の溝を埋めるための土台を築いた作曲家でした。ヤナーチェクはその土台の上に、民族主義や故郷モラヴィアという土地から受けた影饗を消化し、ハプスブルク帝国の文化やロマン派音楽すらも乗り越え、独自の作風を手中にしました。それこそが新たな、真にチェコの民族的な音楽であると同時に、真に普遍的な芸術であったといえはしないでしょうか。