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【Music Bird】音楽と録音技術

 レコード録音の歴史は、エジソンの発明した蝋管にはじまり、ベルリナーによって実用化された円盤(ディスク)によって世に普及したのは周知の通りです。音楽をディスクという媒体に封じ込めようとした歴史は、ある意味でノイズとの戦いの歴史でもありました。初期に作られたSP盤(78回転ディスク)のノイズは、CDと比べると甚だしいもので、LPが発明されると、そのノイズの少なさからSPはあっという間に姿を消してしまうことになります。そのLPもまた、ノイズや取り扱いのデリケートさに問題があり、ついにはCDが開発されることになります。ここで人類は、初めて録音媒体のノイズという問題から開放されることになります。

 音楽録音の歴史がノイズとの戦いであったのであれば、ここにその目的は達成され、あとは音楽を録音し続けるだけで、新たな録音媒体の開発は不要のはすでした。ところが、CDが開発されてからも新たな機器の開発は依然として続いていて、DVDオーディオやSACDといった規格が次々と開発されています。これは一つには資本主義の歪んだ欲望があるのは間違いのないところでしょう。

 しかし本当の問題は別のところにあるようにも思われます。その顕著な表れが、LPやSPへの回帰です。人類は80年余りも音楽の邪魔をするノイズを消すために努力を重ねてきたにも関わらす、いざそのノイズが取り除かれてみると、音楽の本質はノイズによって邪魔をされてはいなかったのではないかという疑念を持ったのです。

 CDはまた──LPにもその予兆があったとはいえ──高忠実度(High Fidelity)の録音が、音楽の本質へと近づく道ではなかったのではないかという疑念も突き付けます。

 アドルノは1934年、すでにこのように書いています。

 ──複製されたものに具象的な忠実度を求める傾向が現れると、人はそうした技術を改善しようと試み、そこから具体性という成果を期待するようになる。ところがその
具体性がまやかしに過ぎないものであることを当の技術自身が暴き出してしまう。──

 アドルノの盟友ベンヤミンはまた、次のように書いています。

 ──複製技術の急速な浸透とそれと連動した芸術の大衆化は、芸術作品から「アウラ」という唯一性の輝きを失わせてしまった──

 たしかに、LPやSPにはCDにはない何かがあるように感じられる瞬間があります。しかし、我々がこのことに気づくのは、アドルノがまやかしとよぶCDによってのことなのです。

 それにまた、LPやSPはすでに役目を終え、歴史の中に埋もれ始めた媒体です。人類が再び音楽の本質を少しでも汲めるような媒体を開発できることが信じられればよいのですが。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年11月 掲載〕

【Music Bird】藝術を疑え

私は余程のことがなければ国内の演奏家を聴くことは稀であり、演奏会であれ、録音であれ、海外の演奏家ばかりを聴いています。西洋かぶれの舶来主義者とのそしりは免れないところですが、作品の生み出された文化圏、あるいはその影響の残る文化圏の演奏家が醸し出す雰囲気、色合いを、全く異なる文化圏の演奏家が再現するのは至難である、という考えは未だ変わることはありません。

そこで、そもそも日本におけるクラシック音楽とは、芸術とは何であるのかと思い、調べてみると、その起源は意外にもはっきりとしていて明治時代へと入った時がその始まりだったのです。「Art」という言葉の訳語として「藝術」という言葉が造られ、それと共に「Art」という概念もまた日本に入ってきたのです。その時まで日本に「藝術に近似、あるいは照応する概念」はあったのでしょうが「Artという概念としての藝術」は存在しなかったのです。「藝術」に限らず、当時先進的だった西洋の概念は日本を瞬く間にして飲み込み、これを境として、日本における多くの学問、思考方法が、これら西洋の概念をもとに組み立てられていったのです。

結果として、例えば我々は「藝術」以前からわが国に存在した浮世絵を「藝術」と呼び、その歴史を西洋的思考である歴史学を用いて、研究、分類しているのです。極端に考えれば、明治以降の日本人は、日本に居ながらにして西洋の考え方を基として日本を見ているのです。

もちろん日本にはいまだに独自の文化、感覚、風習などは残っているのでしょうが、残念ながらそれらを見る視点の方がすでに日本独自のものではなくなっているのです。それも「西洋」の視点ではなく「西洋的」視点で、です。そこにわが国の「藝術」受容の問題点がありはしないでしょうか。

そこでクラシック音楽です。言うまでもなくクラシック音楽は西洋で生み出された西洋音楽です。これを日本人の「西洋的」視点で眺めたとき、あるいは西洋人が「西洋」の視点で眺めたとき、果たして日本人の演奏は正しく「西洋」であることは可能なのでしょうか。個人的な意見を言わせていただければ、それは否です。なぜなら「西洋的」な基準で築かれるものは、それをどこまで極めても「極上の西洋的」であり「西洋」ではないからです。

では日本人にはクラシック音楽、あるいは「藝術」を極める余地は無いのかというと、それはある意味では──すでに述べている通り──不可能であり、ある意味では可能なのではないかと思うのです。

まず一つ実現可能かどうかはともかくとして、ラディカルに完全なる西洋を目指すという方法が可能性としてはあります。しかしもう少し現実的な可能性の一つとして、日本独自の芸術(に照応する)概念を作り上げ(あるいは復古して)、その基準を軸として西洋の「藝術」を捉えるという方法があるのではないでしょうか。

いわば「日本から視た日本の概念による西洋」を構築するのです。多くを西洋文化に侵食されてきた日本でこのようなことを考えること自体がすでにパラドックスであり、労多くして益少なしであるかもしれませんが、日本が西洋文化を本当の意味で受容するためには、「藝術」を超えることが不可欠なのではないだろうかと考えつつ筆を置きたいと思います。

わが無能ぶりを隠すために深い議論を避け、長きにわたって好き勝手を書かせていただきましたが、今回をもって一応の区切りとさせていただくこととなりました。末筆ながらこ担当いただいた各氏にお礼申し上げます。

〔Music Bird プログラムガイド 2010年3月 掲載〕

【Music Bird】聴き比べの楽しみ──芸術の質

クラシック音楽鑑賞の醍醐昧の一つとして、全く同一の曲を異なった演奏で聴き比べることができる点があります。ベートーヴェンのピアノ・ソナタや交響曲など、いったいどれだけの録音が残されているのか、今となってはその数を数えるだけでも一仕事となってしまいます。

クラシックは多くの場合基となる楽譜があり、その楽譜から外れて演奏するということはほとんどありません(もちろん例外的に演奏家による編曲、楽譜が原典版であるか否か、など細かい相違はあるのですが)。ところがクラシック以外の音楽となると、楽譜そのものが無かったり、たとえ楽譜があったとしても全く同じように演奏するということは稀なことであり、クラシックの聴き比べのようなことはほとんど考えられないのではないでしょうか。

敢えて他の芸術に似たような例を探すと、能や歌舞伎、あるいは正教のイコン画のように一定の型が決まっているようなものが考えられるでしょうか。これらはいずれも「古典」と呼ばれるものである点で不思議な一致がみられます。

同じ楽譜でありながら、テンポの違い、音の強弱、ペダルの踏み方、ポルタメント、スラーの解釈など、演奏家によってさまざまな違いがあり、それらの細かな違いから「この演奏はロマン的な解釈である」「この演奏こそが正統な解釈である」などと侃々誇々できるのは、クラシック愛好家の一つの特権であるのかもしれません。しかもさまざまな演奏解釈が正統を競った挙句に、(昔の作曲家であれば)誰も聴いたことのない作曲家自身による最も正統的な演奏、というものまで仮想的には存在するのですから、議論はいきおい紛糾することにもなるでしょう。

ところで、聴き比べの話を聞いていていつも気にかかるのが演奏に上下を付けたがることです。以前にも書いたように、演奏すること、その演奏を聴くということは、ほぽ完全に主観的な行為ですから、これに順位を付け、さらにはその順位を他人と共有しようという企ては非常に危険かつ報われないことであるように思われます。音を間違えたとか、録音が良くないとか、およそ芸術とは関係ない部分にわずかな客観性が残されているのかもしれませんが。

同じように、演奏の好き嫌いと、その演奏の質そのものの混同も少なからず見受けることがあります。「この演奏のこの部分が嫌いであるから、この演奏は良くない演奏である」という意見は、音楽の重要な部分を見落としています。嫌いな演奏であっても質──この場合私が考えているのは芸術的な面における質──の高いものは存在するでしょう。また、およそ芸術的にはまだ未成熟である近所の子供の演奏が好きということも当然に起こりえることでしょう。

演奏を聴く上で好き嫌いをはっきりとするということ主観的になることは重要なことですが、同時に芸術的な質──これ自体も主観的であるが故に問題はより一層困難になるのですが──という別の尺度も考慮されなければならないと思うのです。

とはいえ繰り返しになってしまいますが、このような聴き比べができるのはクラシック愛好家ならではの特権であることは間違いのないことです。せっかくの権利なのですから大いに楽しみ、謳歌し、時には難しい議論などを戦わせてみたいものです。

〔Music Bird プログラムガイド 2010年2月 掲載〕
写真:あれこれと悩むのも聴き比べの楽しみ。

【Music Bird】死からはじまる音楽

今年は「ラ・フォル・ジュルネ」でバッハが取り上げられるなどして、バッハが再び脚光を浴びているようです。わたしも、もう随分と前から毎年4月前後の聖金曜日が近づいてくると、バッハの《マタイ受難曲》を聴き、クリスマスが近づけば、やはりバッハの《クリスマス・オラトリオ》を聴くというのが習慣となっています。

わたしは多くの日本人がそうであるように消極的無宗教者であってキリスト教には全く縁遠い存在なのですが、クラシック音楽、特にバッハに親しむうちに、徐々にキリスト教やその概念になじみが深くなっているようで、聖金曜日が近づいてくると《マタイ受難曲》を聴くというのもそんな影響の現れなのかもしれません。

わたしにとっての《マタイ受難曲》といえば、それはメンゲルベルクの歴史的録音を措いてより他に考えられません。カール・リヒターの打ち立てたモダニズムや、昨今の古楽器的解釈からすると、それはまさにアナクロニズムの見本とされるような演奏であり、録音も今の水準からみると完璧とはほど遠いものですが、それでもなお、わたしはこの演奏より強く心揺さぶられる演奏に未だに出会った事がありません。

この演奏の歴史的な経緯についてはすでに多くが語られていますので、ここで改めて書き連ねるのは愚行ですが、それでもあえて言えば、この演奏は1939年という時とオランダという場所でしか成し得なかったものであるということは間違いないように思います。

奈落へと渦を描きながら落ちていくような二重唱と合唱「かくてわがイエスはいまや捕らわれたり」。「主よ、憐れみ給え」のアルト独唱とツィンメルマンによるヴァイオリン・オブリガート。そこには聴衆の啜り泣きまでがレコードに刻まれており、それはまさに、イスラエルの民のすなわち当時のオランダ、ヨーロッパの人々の悲嘆焦燥、それに悔悟と重なりあって悲痛な響きとなって聴こえてくるのです。

わたしが《マタイ受難曲》を聴き始めた当時は、終曲の「われらは涙流してひざますき」を聴き終わると、死によって全てが終わり、閉じられた、というように感じていたものですが、時を経るにしたがって、それは終わりによる始まり、死による新たな始まりを暗示しているのではないだろうか、と考えるようになってきました。

極論めいてしまいますが、キリスト教自体が、死によってはじまる、全ての終局から生まれる宗教と言えはしないでしょうか。これはわたしのように仏教国で暮らす享楽的無宗教者にはなかなか近づき難い感覚です。

《マタイ受難曲》を聴きぽんやりとそんなこんなを考え、少しながら理解しようと努めながら、今まで聴き親しんでいた曲──クラシック音楽、キリスト教から生まれた音楽──をあらためて聴いてゆくと、そこにはまた、今まで聴いていたものとは違った新たな音、色や物語が感じられるようになってくるのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年7月 掲載〕

【Music Bird】晩年のスタイルに関する考察(の模傲)

演奏家は音楽を表現するために、芸術的な表現力だけではなく、楽器を操るために相当に高度な技術・技能を必要とします。楽器演奏を習ったことのある方であれば、その技術を得る事がいかに難しいことであるか、よくご存知ではないかと思います。

いかに芸術的素養があり、表現する意欲があったとしても、それを表現するための技術が無ければ、音楽を芸術として表現することができない。

技術と芸術性は音楽にとって車の両輪のようなものであるといえます。しかし、技術を常に十全に保っていくことは難しく、また老いによる衰えといったものを無視することはできません。年を重ね、音楽についてより深く、より多くの理解を得るようになった頃には、それを表現する技術が衰えてしまうという皮肉が起こり得るのです。そこが芸術の難しさであり、不思議であり、アイロニカルなところです。

「技術的衰えは隠せないがその表現は枯淡の境地で……」というような慣用句の使われる演奏は数多くあります。しかし最近私は、果してこのような演奏が本当に技術の衰えだけから来るものなのか疑問を感じるようになっています。

たとえばジョルジュ・エネスコによるバッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》は、かねてからその音程の不安定さが議論の的となっていた録音で「至高の芸術である」というものから「聴く価値すらない」といったものまで、実に多様な感想を聞くことができます。また、ロシアのピアニスト、ゲンリヒ・ネイガウスの晩年の演奏会録音を聴くと、ショパンのロンドの音の多いパッセージを、音が外れてもまるで紙をくしゃくしゃと丸めてしまうようにして、興のおもむくままのフレーズとして表現してしまいます。

このような演奏は、たしかに一聴すると技術の衰えや老いにかこつけた手抜きのようにも思えるのですが、何度もそれらを聴いているうちに、そのような表現はわざと──確信犯的に行っているようにも聴こえるのです。あるいは、仮にそれが技術的な問題であったとしても、あえてその問題を修正する必要性を感じてないかのように、です。エネスコあるいはネイガウスにとって音程や音が外れることは、彼らの表現しようとしている音楽にとってそれほど大した問題ではないとでも言わんばかりです。そして、確かに彼らの音楽は音程の不安定さなどが気にかかることはほとんど──全く無く、ただバッハ、あるいはショパンの音楽のみを感じることができるのです。

これを老境の味わいというには余りに短絡的ですが、円熟、あるいは老境を迎えるにつれ、演奏家の技術的側面に対する拘りというものは、あきらかに退行していく傾向にあるようです。

ではなぜ、若い演奏家はそのような演奏をしないのか、本当に確信犯なのか、楽譜通り演奏しないのであれば楽譜の意義は……この種の疑問は数限りなくありますが、聴いている音楽に演奏家や作曲家、あるいは芸術を感じている限りにおいて、あえてその答えを求める必要はないのかもしれません。

芸術家は、もはや、傲慢さとも尊大さとも緑を切り、
そのあやまちを恥することもなく、いわんや老齢と追放の身の帰結として
得られた控えめな確信めいたものを恥することもないのである
──エドワード・サイード『晩年のスタイルに関する考察』より

 

〔Music Bird プログラムガイド 2009年6月 掲載〕
写真:晩年のエネスコとネイガウス。

【Music Bird】スイトナーの《とんぼ》

音楽を聴いていていつも不思議に思うのは、音楽とは一体何であるのということです。哲学のように、どこから来てどこへ行くのか、と難しく考えるのは面倒なのですが、時折、音楽とは一体自分にとって何なのかと考えてしまうのです。

* * *

先日テレビで、スイトナーという指揮者のドキュメントを放送していたのですが、これがまことに興味深いというか人と音楽について考えさせられるドキュメントでした。

オットマル・スイトナーはNHK交響楽団に客演したり、手兵ベルリン・シュターツカペレを率いてたびたび来日していたことから日本では馴染みの深い指揮者です。私も何度かその演奏会に足を運んだものです。

しかしスイトナーは、ベルリンの壁崩壊とともに東西ドイツが合併した頃、突如として表舞台から姿を消したため、当時は重病説や政治的な問題などさまざまな憶測が流れました(実際に当時の東ドイツでは、社会主義崩壊を悲観してピストル自殺を遂げた指揮者もいたのです)。結局のところ私も真相を知らぬまま今日に至っていたのですが、ドキュメントによれば、パーキンソン病を患って自ら引退を決意したというのが真相であったのだそうです。

このドキュメントはスイトナーの息子イゴールによって製作されたものですが、ドキュメントの中でそのイゴールは実は西ベルリンに住んでいたスイトナーの愛人の息子であり、東側には正妻もいたことなどが明らかにされていきます。愛人レナーテとの出会いの場所バイロイト、教鞭を取ったウィーン音楽大学、生まれ故郷インスブルック近郊の小村などを訪れる姿などが淡々と描かれていきます。

スイトナーは事あることに「私は年を取った」と息子に言いますが、息子の弾くバッハの前奏曲に意見を述べたり、モーツァルトのKV 543をまだ暗譜していると言う姿を見ていると、引退して20年余り、常に音楽の中に生きてきたように感じられました。

ドキュメントの最後には息子の願いを聞きいれて、ベルリン・シュターツカペレと共にモーツァルトのKV 543と J・シュトラウスの《とんぼ》を演奏します。モーツァルトはスイトナー十八番の曲ですが、最も好きな曲として《とんぼ》を挙げたのには少なかず驚きました。

東ドイツでの困難なポストを長らく務め、バイロイトや日本、ウィーンなど各地で名声を得、不本意ながらその地位を辞して老境に達した音楽家が、なぜ──我々が暗に期待するような──バッハやベートーヴェンではなく、J・シュトラウスのそれも小曲を選んだのでしょうか。

「人の気持ちを明るくさせる曲だ……とんぼが飛んで行く姿を音楽で表現するのは難しい……この曲を演奏すると指揮者もオーケストラも観客も幸せな気持ちになれる……」と《とんぼ》について語る言葉の中には、私には到底知りえない「音楽とは何であるのか」という問いの答えが含まれているのかもしれません。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年5月 掲載〕
写真:1981年シュターツカペレ・ベルリンを率いて来日した時のプログラム。

【Music Bird】ハチャトゥリアンと仮面舞踏会のワルツ

今最も話題となっているクラシック曲の一つは、フィギアスケートの浅田真央さんのプログラムで使われているハチャトゥリアンの《仮面舞踏会》のワルツでしょう。ハチャトゥリアンは、バレエ曲《ガヤネー》中の生命力溢れる舞曲「剣の舞」によって最も世に知られた作曲家で、ロシアのある評論家は「もしハチャトゥリアンが、このメロディーただひとつを書いたとしても、著名な作曲家になったに違いない」と述べているほどです。

ところで、私が「仮面舞踏会」のワルツ知ることになったのは、もう随分と昔のことになりますが、およそ次のようなハチャトゥリアンの紹介文を読んだのがきっかけでした。「ハチャトリアンを《剣の舞》だけの作曲家と考えてはいけない。《仮面舞踏会》のワルツを聴いてみたまえ。憂いを帯びた忘れられぬ円舞の旋律は、瞬く間にあなたを舞踏会の只中へと運ぶだろう」。

誰が、どこに書いたものだったかも定かでなく(あるいは、ロマン・ロランの文章であったかもしれません)、内容もうろ覚えながら、この名文によって私の《仮面舞踏会》への興味は大いに掻き立てられたのでした。

とはいえ、当時この曲のレコードを探すのは容易ではなく、初めて手にしたのはサモスードという指揮者によるソ連製レコードであったと記憶しています(コンドラシンの推進力に充ちた名録音が容易に入手できると知ったのは後のことでした)。胸の高嗚りを抑えながら聴いたワルツは、まさにあの文章の通り、豪華絢爛たる仮面舞踏会を眼前に見る思いがして、すっかりこの曲の魅力にとり憑かれてしまいました。

その後年月を経てこのような生業となるに至って、《剣の舞》やヴァイオリン協奏曲などの有名曲に飽き足らなくなってきたハチャトゥリアン愛好家の方々を見つけてはこのワルツを紹介するのが、私の密やかな楽しみとなっていたのです。

そのような曲が、なんと白昼堂々(夜でしたが)何十万もの人々の見るテレビで放送されていようとは……。隠れた名曲が世に知られる嬉しさと、隠してきた秘密を知られてしまったような残念さの入り混じった複雑な思いで、半ば呆然と浅田真央さんの目の覚めるような美しい演技に見入ったのでした。

* * *

残念ながらハチャトゥリアンは、その分かりやすさ故にいわゆる高尚な作曲家──すなわち堅物のクラシック愛好家が傾聴すべき作曲家とは見なされないことが多いようです。そのような方々に私は次のように言いましょう。「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ・ファンタジア、あるいは交響曲第3番を聴いてみたまえ」と。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年2月 掲載〕
写真:作曲者自作自演。指揮者の曲への思い、オーケストラの指揮者への尊敬が感じられる一枚。

【Music Bird】正反対のアッチェレランド

音楽の楽譜を見ると、音の長さや高さを表す音符の他にもさまざまな記号、標語が用いられていることが分かります。

バッハの時代の楽譜は、最小限の音楽記号と音符やスラーなど、音程と音の長さだけを記録したようなものでしたが、時代を下るにつれ、さまざまな記号、標語が用いられるようになりました。これは、作曲家が意思をできるだけ忠実に演奏者に伝えたいという欲求と、楽譜によって音楽が一般に急速に普及したためにより細かな指示が必要になってきたという事情があったのではないかと思います。

これらの音楽標語は大きく分けると、クレシェンドやマルカートなど音の強弱を表すもの、アパッショナートやコン・ブリオ、工スプレッシーヴオなど表情感情を表すもの、レガート、マルカート、フェルマータなど演奏方法を指示するものなどに分けられます。

わたしのような音楽素人は、楽譜を読むとなると音の長さや音程を追うのが関の山ですが、実際に楽譜を読むという行為は、これらの記号や標語(あるいは音符でさえ)が何のために書き込まれているのか、作曲家は何故そこにその標語を用いたのか、ということを追求していくことであるといえるでしょう。

たとえばフェルマータという記号は延音記号と呼ばれその記号の付いた音を延ばすのですが、延ばす長さに決まりはなく、その長さは演奏者に委ねられます。この最も典型的な例が、ベートーヴェンの第5交響曲の「運命の動機」です。いわゆるジャジャジャジャーンのジャーンの部分にフェルマー夕が用いられているのです。

ただ音を長くしたいのであれば長い音符を書き込めば済むところをフェルマータにすることによって、後世にさまざまな議論を残すことになります。しかも1度目のジャーンと2度目のジャーンでは音符の長さそのものも違うほか、直後に置かれた休符にはフェルマータが書かれていないため、音符と休符、1度目と2度目をどのように、どれだけ伸ばすのかという問題は演奏家にとって悩みの種であると同時に自らの《運命》解釈を表明する場ともなっているのです。

もし、このような議論、さまざまな解釈を見越してこのフェルマー夕記号を用いたのであったとしたら──そしておそらくそうであったと思いますが──ベートーヴェンはまさに天オであったと言えます。

ところで、標語の一つに、テンポを次第に速くという意味を持つアッチェレランド──あるいはアッチェランド──というものがあります。この標語は楽譜に指示されていないことも多いのですが、華々しく終わる交響曲のコーダ(終結部)などで好んで用いられる演奏法です。先ほどの《運命》交響曲の3楽章から4楽章へとアタッカでなだれ込む部分などでもほとんどの指揮者がアッチェレランドをかけています。

このアッチェレランドで有名なのはやはり指揮者フルトヴェングラーでしょう。殊に有名なのが、「バイロイトの第九」のコーダにおける激しいアッチェレランドです。ここを聴きたいがためにあの長大な交響曲を聴くという人物を私は何人か知っています。

書いていて、これとは全く正反対のアッチェレランドを思い出しました。それはダリウス・ミヨーの《屋根の上の牡牛》です。この曲はブラジル大使となったポール・クローデルの鞄持ちとしてブラジルに渡ったミヨーが、カーニバルに触発されてその情景を描いたもので、ラテンのリズムに乗って同じ旋律が形を変えながら反復されていく様は、さながらラヴェルの《ボレロ》のようです。

むせ返るようなリズムの反復、カーニバルの陽気な祝祭、終わることのない乱痴気騒ぎは少しの静寂の後、元のお祭り騒ぎが戻ってきてアッチェレランドと共に終結を迎えます。第九の信大な勝利との余りの落差。同じアッチェレランドが全く異なる音楽に全く違った表情を与えるところに、少しのおかしさと音楽の奥深さを感じます。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年3月 掲載〕
写真:作曲者自演による《屋根の上の牡牛》。コクトーによるジャケットが美しい。

【Music Bird】年の瀬の音楽

ここのところすっかり秋めいてきて、ふと気付くともう年末の足音が近づいてきてしまいました。

日本の年末の音楽というと、なにはおいてもベートーヴェンの《第九》となるのではないでしょうか。もちろん《第九》は稀有の名曲ですから、毎年のように聴くことができるのは喜ばしいことですが、「毎年」や「恒例」などと言われ、どこへ行っても「歓喜の主題」が聴こえてくるようになると、いささか食傷気味にもなってしまいます。

たしかに日本では、年越しや新年は祝うという雰囲気があるため、《第九》のような華々しい曲が似合うのですが、西洋、特にカトリックの国では新年の祝賀よりもクリスマスの比重がはるかに高く、クリスマスは家族で過こし、祈りを捧げて過こすため、華々しい曲が似つかわしくないという一面があります。

このような背景もあって、クラシック音楽にはクリスマスにまつわる名曲が数多く生み出されました。バッハの《クリスマス・オラトリオ》、ヘンデルの《メサイア》、コレルリの《クリスマス協奏曲》をはじめとして、ドビュッシーの《家なき子のクリスマス》やペンデレツキの《クリスマス交響曲》、変わったところでは、オルフの《クリスマス物語》など、数え上げれば枚挙に暇がありません。

これら「クリスマスの名曲」の中でも、私が毎年のように聴きまた感動を新たにする曲の一つに、オネゲルの《クリスマス・カンタータ》があります。

交響曲《典礼風》で用いた詩篇「深き淵より」の導入によって重苦しく進行するこの曲は、中間部になると突如光が差すようにして少年合唱による賛美歌が現れ、「聖しこの夜」やグローリアの独唱などと呼応しながら輝かしいクライマックスを迎えます。しかし、これらの栄光が一時の夢であったかのように曲は賛美歌の残響を伴いながら静かに閉じられます。ここには、交響曲第2番に見るような輝かしい未来や「典礼風」における確固たる歩みは感じられす、再び生まれでたところへ戻るべき時の来たオネゲルの偽らざる心情が映し出されているように感じられます。事実、この曲はオネゲルの絶筆、すなわち「白鳥の歌」となったのです。

作曲直後に行われたこの曲の初演は聴衆に、また演奏した者にも深い感動を呼び起こしたといいます。

毎年のクリスマス、年の瀬を前にしてこの曲を聴くと──それは決してキリスト教的理解ではないのでしょうけれど──少しばかり敬虔な気持ちが呼び覚まされるのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年12月 掲載〕

【Music Bird】音楽を聴くこと

このところ故あって年配のオーディオ屋氏とお付き合いさせていただく機会があり、思いもよらない刺激を受ける日々を過ごしています。

私は決してコンサートホールが嫌いなわけではなく、現役の演奏家を否定しているわけでもないのですが、50年も前の録音に喜びを見出す自分のようなアナクロ人間にとって、音楽鑑賞というとそのほとんどはレコードによるものとなってしまいます。

レコード鑑賞とは、すなわちオーディオ技術であり、電気信号の記録と再生ということになります。ある波形を電気的に記録し、それをまた電気的に再生する。たかだかこれだけのことに、なぜこれほどの差が現れるのか、オーディオとはつくづく不思議なものです。

我々のようなアナクロ人間は、ガラードやトーレンス、EMT(いずれも50年代に作られたプレーヤー・メーカー)といったビンテージ・プレーヤーを使うことに無常の喜びを感じてしまいます。これらのプレーヤーは、世界を席捲したわが日本の誇れるDDプレーヤー(ダイレクト・ドライブ・プレーヤー、巨大なモーターでターンテーブルを直接回す方式)と比べると、あらゆる数値──ワウフラッター、エスエヌ比……なんと非音楽的な響き!── がコンマ1桁、あるいはそれ以上に悪いだろうと思われる代物です。しかし、これらのプレーヤーから流れでてくる音の何と音楽的なことか。そしてDDプレーヤーの出す音の何と冷たく、寒々しく、音楽から程遠いことか。

性能は高いはずなのに、なぜこのようなことになってしまうのでしょうか。日本製のさまざまなレコード盤やレコード・プレーヤーと、外国製のそれとを聴き比べた経験から導き出される答えは「製作者が音楽を聴いていない」という一言に尽きます。

音楽を聴いていない? レコードやレコードプレーヤーを作るのに。そんなことがあり得るのでしょうか。たしかに製作者の方々は、作ったレコードやプレーヤーで「音」は聴いたかもしれませんが「音楽」は聴いていなかったのだ、と断言できます。もし音楽を聴いていて、なおあのようなものを作っていたのだとしたら、その製作者は自分の耳の悪さを呪うより他ありません。

音楽を聴いていない、あるいは聴いても分からないということになると、いきおい数値に頼るようになります。非音楽的な響きの数値と睨み合いをし、他のプレーヤーよりも良い数値が出たと喜んでしまうのです。しかも音楽は数値とは縁遠い場所で奏でられているのですから救いがありません。

ところで、これらの言葉はそのまま自分にもはね返ってきます。はたして自分は音楽を聴いているのか! 音楽家が音楽に、一音一音に込めた思いを感じとることができているのか! オーディオ屋氏との交流は、ときに惰性になりがちな「音楽を聴く」という行為を改めて考えさせてくれる得がたい機会でもあったのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年11月 掲載〕