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【Music Bird】ナイフの上の芸術

 何を今更と言われそうですが、知人にDVDを借りて『のだめカンタービレ』を立て続けに見てしまいました。細かいことを言い出せばいろいろと文句をつけることもできようというものですが、どのような形にせよ、クラシック音楽、あるいは芸術というものが日本でポピュラリティーを獲得していくのは決して悪いことではないと思います。

 たとえ芸術家というものが、一個の選ばれた特異な才能の持ち主だとしても、その才能を認め、支えていくためには文化的な背景が必要です。芸術家をピラミッドの頂点だとすると、文化的背景というピラミッドの底辺が広ければ広いほど、より高く、より多くの才能が生まれる可能性があるといえるでしょう(実際事はそれほど単純な話ではないのでしょうが)

 しかし、この文化的背景というものは、芸術家を支えもすれば、逆に阻害もする複雑な存在です。若い芸術家にとって、少しでも将来性が見えてきたり評価が高まると、即座に「成功」という言葉と物質的な誘惑が現れ、時として目標を見失ってしまいます。一方、いかに才能があったとしても、物質面、あるいは精神面での支援がなければなかなか表舞台に立つこともできず、ついには才能そのものをすり減らしてしまうことでしょう。

 これが絵画であれば、ゴッホのように作品が残り、後世に評価されるという道も残されていますが、音楽家、特に演奏家は、オ能がありながら埋もれてしまった人を発見するというのは非常に困難です。録音が残されていなければならない上に、それが真の姿を伝えているかをどうかを判別するのは決して簡単な事ではないからです──それも録音が残せるようになったのはここ100年ほどのことなのです。

 このようにして考えると、若い音楽家あるいは芸術家にとって、その才能を開花させるために進んでいく道はまさに苦難の道であり、ナイフエッジのように切り立った一本道のようなものであるとすらいえます。名声や物質的誘惑によって道を見失わないようにする一方で、自らが活動する上で不可欠な物質的、精神的なものを、ある時は貪欲に、ある時は巧妙に手にしていかなければならないのです。

 20世紀に入って、経済活動や人々の移動が加速していく中で、このナイフエッジはますます鋭利に、高くなっているように感じられます。少しでもバランスを失って足を踏み外せば、芸術はその手の中からこぼれ落ち、芸術という名をまとった名人芸へと身をやつし、二度とその手に戻ってくることはないでしょう。

 『のだめカンタービレ』のような作品が、少しでも文化的背景を押し広げ、ナイフエッジを歩きやすくする役割を果してくれるのなら、それは興味深いことではないでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年9月 掲載〕
写真:20世紀、最も巧みにナイフエッジを渡り歩いた巨人、ピカソの手紙。

【Music Bird】バスクにて

 スペインはサン・セバスティアンヘと来ています。サン・セバスティアンは、ピンチョスと呼ばれる小皿料理発祥の地で、地元のバルでは地元っ子から観光客まで、ピンチョスを肴に軽く一杯ひっかけるのが楽しみなのだそうです。

 サン・セバスティアンはスペインとはいえ、バスクと呼ばれる独自の民族が住む地方で、自治権をめぐってさまざまな問題が起こっているところでもあります。また第二次世界大戦時、フランコ政権の要請によってドイツ軍に空爆されたバスクの町ゲルニカは、ピカソの巨大な絵によって余りにも有名です。

 音楽に目を移しますと、スペインの著名な音楽家としては、作曲家のアルベニス、グラナドス、ファリャや、チェリストのパブロ・カザルスの名前などが挙げられます。しかし、バスクを代表する音楽家といえば、モーリス・ラヴェルを挙げないわけにはいかないでしょう。もちろんラヴェルはフランスの作曲家ではありますが、フランス領バスク地方の出身であり母親はバスク人であったといいます。

 ラヴェルはその作曲においては古典的であり、コスモポリタン的であったといえますが、その実、民族的なルーツというものを十二分に意識していたとも言われています。アメリカの作曲家、ガーシュインがラヴェルに弟子入りを願い出た時「あなたは一流のガーシュインであって、二流のラヴェルになる必要はありません」と言った話は有名で、むしろジャズのイディオムを自身の作曲に積極的に用いてすらいます。

 そのラヴェルの最も有名な曲が《ボレロ》であることは、言うを侯たないでしょう。極めて単純な構成を持つこの曲は、しかし最もスペイン的、あるいはバスク的といってよい憂愁を湛えた旋律によって組み立てられています。単純に繰り返される2つの主題は、ストラヴィンスキーが「スイスの精密時計のようだ」と呼んだ精緻な管弦楽法によって展開されていきます。音楽の最も基本的な要素、リズムと旋律によって綾織のように《ボレロ》という曲が織りあわされゆくさまは、何度聴いても決して飽きるということがありません。

 《ボレロ》の他、多くの有名なピアノ曲──《亡き王女のためのパヴァーヌ》《夜のガスパール》など──や《弦楽四重奏曲》《ピアノ三重奏曲》など、全音階的で魅惑的な旋律を数多く生み出し、通俗的とすら見られることのあるラヴェルですが、その音楽の奥底には理解しがたい不可思議さが潜んでいます。

 実のところ、ラヴェルの本質は《ヴァイオリンとチェロのためのソナタ》のような一見難解な旋律にあったのではないかと感じるのは一人私だけでしょうか。第一楽章の研ぎ澄まされ、一切の無駄がそぎ落とされたかのような主題は、どこか遠くバスクの旋律をこだまさせているように聴こえるのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年8月 掲載〕

【Music Bird】体験する音楽

 音楽を聴くために耳は不可欠なものです。演奏会などでは目から得られる情報によって音楽の印象が変わることはあるのでしょうが、耳から得られる音を聴かなければ、音楽を聴いているとは言えないでしょう。

 しかし、困ったことにその耳というものは実に不確定的なものです。空耳、聞き違いなどのほか、音楽を聴く上では、その時の体調や温度、湿度、雑音など周りの環境、目からの情報など様々なものによって影響を受けてしまいます。これらの影響は、せっかくの名演が台無しになってしまうこともあれば、また逆に、これらの外的要因によって、さながら魔法のように得も言われぬような音楽を経験することもできるのです。

 これは耳が感覚器官というデバイスに過ぎす、実際の音は脳(と全ての感覚)で聴いているからではないでしょうか。このような意味において「音楽を聴く」ということは、ただ耳が音を感知しているというような単純な問題ではなく、人としての一つの体験であると言えます。

 例えば、感銘深い本──シェークスピアあるいはドストエフスキーでも──を読む前と後とでは、同じレコード(演奏)を同じ環境で聴いたとしても、同じように聴こえることはないでしょう。もっと突き詰めれば、同じレコードを2度繰り返して聴いたとしても同じようには聴こえず、聴くたびに新たな発見が見つかるはずです。もし同じレコードを何度聴いても同一にしか聴こえないのであれば、その人は音を聴いているのであって、音楽を体験しているとは言い難いとすら言えます。

 しかし、そもそも全く同じ環境の中で昔楽を聴くということはあるはすのない仮定の話です。何しろ音楽を聴いている間にも人は少しづつ年老いているのですから。

 「音楽を聴く」ということ、美しい旋律や音色を愉しむということは、その音楽を体験することによって生じる自分の変化を楽しむこと、あるいは、音楽を聴くまでに自分が経験したことを音楽によって再発見することであり、演奏家や作曲家の体験を音楽として聴き、それを自分の体験として受容することなのではないでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年6月 掲載〕
写真:オペラ・ガルニエのファサード彫刻で有名な、ジャン=バプティスト・カルポーの「貝を聴く漁師」をあしらった、デュクレテ=トムソン・レーベル。

【Music Bird】音楽の形式にみるドイツのロマン性

 音楽は音の芸術であると同時に形式の芸術でもあります。およそ音楽作品と呼ばれるもののほとんどは、何らかの形式に基づき、あるいは利用して作られています。この形式という概念は意外なことに他の芸術には余り見られません(この場合の形式は様式や技術などとは分けて考えています)。それは、芸術と形式というものが相容れないものであるという観念さえ抱かせるほどです。音楽以外のものでこの形式が見られるものには、文学における韻文や舞踊などが思い浮かびますが、いすれも音楽と密接に関係しているのも興味深いところです。

 なぜ詩や音楽が形式を必要としたのか、なぜ不自由な足枷をつけた表現を行わなければならなかったのか、より自由な表現によって芸術の可能性は大きく広がったのではないだろうか、という疑問が浮かんできます。

 私はその要因の一つがドイツのロマン的志向/ドイツ精神にあったのではないかと考えています。

 トーマス・マンの『ファウスト博土』では、芸術に対するドイツ人の暗いロマン的志向(感情)と理性との対立が描かれ、さらにその志向と第二次大戦との関わりにまで踏み込んでいます。より高みを求めたロマン的志向は、悪魔と契約を結び最後には自らを滅ぼしてしまいます。

 音楽における形式は、野放図に動き回ろうとする感情を、形式という枠の中に封じることによって、ロマン的感情よりも古典的な抑制を求めたことから生まれたと言えないでしょうか。バロック期にはフーガという枠が、古典期にはソナタという偉大な枠が生み出されています。ロマン派の時代になり、次第に人々の感情が自由に解き放たれるようになり、調性や和声の扱いが最も自由になったそのとき、シェーンベルクによって新たな枠が作られることになります。

 このようなロマン主義は、ロマン派音楽ばかりでなく多くの作品にその影を落としています。バッハの《フーガの技法》や、ベートーヴェンの作品111のソナタは、私にとっては究極のロマン主義音楽にすら思えるのです。その時代にはすでに古い技法となりつつあったフーガによって、バッハはゴシックを思わせる大伽藍を創造しますが、未完となった最後の四声のフーガにおいて、ロマン的感情がフーガという枠を超えようという瞬間に筆を置き、そこがフーガの終着点となったのです。フーガという枠はもはや枠としての役割を終え、機能和声という新たな枠がその役を引き継いだのです。

 『ファウスト博士』ではベートーヴェンの最後のソナタが次のように描かれています。

「ソナタは第二楽章で、あの途方もない第二楽章で終わりを告げた。〔……〕そして私が《ソナタ》というとき私はこのハ短調のばかりでなく、ジャンルとして、伝統的芸術形成としてのソナタ一般のことを言っているのである。(……〕それはその運命を果し、超えられない目標に到達して、止揚され、解体する。」
〔Music Bird プログラムガイド 2008年5月 掲載〕
写真:《フーガの技法》未完に終わった終曲の自筆譜

【Music Bird】ウラッハ、コンツェルトハウス四重奏団、ウェストミンスタ—・レーベル

 以前にDialレーベルを紹介した時にも少し触れましたが、LP初期のマイナー・レーベルは百花練乱であり、その演奏の質は玉石混淆とはいえ、中にはメジャー・レーベルに劣らないどころか、むしろ、より名演と呼べるようなものが少なからずありました。

 わが国の室内楽ファンにとって忘れられないマイナー・レーベルの一つがWestminsterレーベルです。レオポルド・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団による、モーツァルトの《クラリネット五重奏曲》は、文字通り不滅の名演であり、個々人の評価は別としても、聴いたことの無いクラシック・ファンはほとんどいないのではないでしょうか。

 また、コンツェルトハウス四重奏団の後輩に当たる、バリリ四重奏団によるベートーヴェンやモーツァルトの四重奏曲全集も、多くのファンを獲得してきたモノラル期の名演の一つです。

 ところで、バリリがコンツェルトハウスの後輩と書きましたが、この辺りの事情は少し複雑です。確かにバリリはコンツェルトハウス四重奏団のリーダー、カンパーよりも年少でしたが、バリリがウィーン・フィルのコンサート・マスターであったのに対し、カンパーは戦後までウィーン・シンフォニカーのメンバーであり、戦後の人員不足によって、ウィーン・フィルに入ったのでした。言ってみればバリリ四重奏団は戦前からの伝統ある「主流派」であり、そのメンバーも、前任者であったシュナイダーハン四重奏団のメンバーをそのまま引き継いでいます。このような事情は、それぞれの四重奏団の演奏の価値には全く関係の無いことではありますが。

 1949年、アメリカに創設されたWestminsterレーベルは、ヨーロッパに強い繋がりを持ち、戦争によって疲弊し、物資が不足していたヨーロッパに強いドルを持って乗り込み、短期間に膨大な数の録音を成し遂げます。
 最近、再発売されたCDのライナーノートや当時の証言を集めた本『ウィーン・フィルハーモニー──その栄光と激動の日々』などの資料によって、当時の状況がかなり詳しく窺えるようになってきました。それらによれば、録音は深夜遅く、オーケストラの仕事を終えた後に寒いスタジオで行われたであるとか、貰った報酬はわずかなもので、時には現物支給であったり、支払われないこともあったのだとか、当時の演奏家達にはレコードで聴く演奏からは伺い知ることのできない労苦があったようです。

 このような証言を辿ってみると、Westminsterレーベルというのは、随分と「けしからん奴ら」であるということになります。たしかに、バリリやカンパーは、半ば騙されたように思ったり、腹立たしく思ったこともあったことでしょう。しかし、遠く離れた極東の地で、今に到ってもなお愛好され、名演の第一に挙げられ、このような文章の俎上に上がっているのは、まさにその「けしからん奴ら」によってなのです。私たちは、この「けしからん奴ら」を糾弾すべきなのか、それともこのような録音を残してくれたことに感謝すべきなのか、実に悩ましいところです。

 CDの時代となり、技術の発展によるコストダウン効果も手伝って、現在はLP初期のように多くのマイナーレーベルが次々と出現してきています。このような動きがこの後どのように発展するのか、いろいろと想像を巡らせてしまう今日この頃です。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年4月 掲載〕

【Music Bird】ヤナーチェクとチェコの民族音楽

 私は残念ながらまだ体験していないのですが、飛行機がプラハの空港に降り立つとスメタナの《モルダウ》が流れてきて、チェコに到着したことをいやが上にも実感するのだそうです。

 たしかに《モルダウ》の憂愁をただよわせる旋律を聴くと──同じ組曲で《高い城》と訳される──ヴィシェフラドから眺めた、青い夕闇のせまるヴルタヴァ(モルダウ)川やプラハの街並みを思い出します。

 しかし、チェコの作曲家といって私が最もイメージするのは、スメタナやドヴオルザークではなく、レオシュ・ヤナーチェクなのです。晩年の傑作である弦楽四重奏曲《クロイツェル・ソナタ》を初めて聴いたとき感じた、広大な空間に音が解き放たれていくような感覚はこの時初めて経験したものでした。また、ミラン・クンデラ原作の映画『存在の耐えられない軽さ』を観たときも、そのストーリーや映像よりも、ヤナーチェクの音楽が印象に残ったものです。

 弦楽四重奏曲《クロイツェル・ソナタ》は、トルストイの小説『クロイツェル・ソナタ』を読み、その内容──不義をはたらいた妻を殺してしまう男の告白──に衝撃を受けたヤナーチェクが、その小説をモチ—フとして作曲したものです。
 小説の中には、妻と若いヴァイオリニストがベートーヴェンの《クロイツェル・ソナタ》を演奏する部分があり、遠くベートーヴェンにまで繋がる糸があります。

 《クロイツェル・ソナタ》をはじめとして、ヤナーチェクの傑作は晩年に集中しています。それは63歳の時に出会った若い人妻カミラ・シュテスロヴァとの道ならぬ恋によってもたらされたといいます。

 たしかに、歌劇《イエヌーファ》や《カーチャ・カヴァノヴァ》などは、許されぬ恋の悲劇を描いていますし、もう一つの弦楽四重奏曲《内緒の手紙》も、600通にもおよぶシュテスロヴァとの文通を暗示したものです。

 しかし一方で、歌劇《利口な女狐の物語》や《マクロプロスの秘術》、《死者の家》で描かれるような、輪廻や再生、開放という主題も取りあげています。ここには、民族主義運動や独立運動にも刺激されて真にチェコ的な音楽を探求したヤナーチェクの姿が浮かびあがります。

 クンデラは「チェコ民族は17世紀及び18世紀に、ほとんどその存在を止めてしまった」といっています。19世紀末に起こった民族主義運動は、独立運動であると同時に、チェコ民族が失われた200年を取り戻す運動であったともいえます。

 スメタナやドヴォルザークは、この失われた200年の溝を埋めるための土台を築いた作曲家でした。ヤナーチェクはその土台の上に、民族主義や故郷モラヴィアという土地から受けた影饗を消化し、ハプスブルク帝国の文化やロマン派音楽すらも乗り越え、独自の作風を手中にしました。それこそが新たな、真にチェコの民族的な音楽であると同時に、真に普遍的な芸術であったといえはしないでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年2月 掲載〕
写真:ヴィシェフラドからの夕景

【Music Bird】オペラ音楽のリアリティ

 ここ数ヶ月、連続して深夜にテレビ放送されていた2006年のザルツブルク音楽祭を何とはなしに見ていたのですが、作られる音楽や歌手の出来はさておき、多少の予備知識があったとはいえ、演出の新奇さには多少の驚きを覚えたものでした。

 ザルツブルク音楽祭やバイロイト音楽祭へ行った方のお話を伺っていると、オペラの演出は年々過激で先鋭になっているのだそうです。この傾向はドイツ語圏に顕著で、先日来日したバレンボイムとベルリン•シュターツオパーの《トリスタンとイゾルデ》や《モーゼとアロン》なども、私の周りでの評価は賛否相半ばでした。

 このような演出は、ヴィーラント・ワグナーによる「新バイロイト様式」がその端緒であると言われています。当時の大ワグナー指揮者、クナッパーツブッシュが舞台上を見て「舞台が空っぽじゃないか」と言ったのは有名な話です。「新バイロイト様式」はパトリス・シェローによって新たな生命を得て、現在の演出へとつながっていきます。

 ザルツブルク音楽祭のモーツァルトのオペラを見ていると、演出の過激さや奇抜さに目を奪われるのは初めのうちであり、ほどなくすると自然に意識は音楽へと移っていることに気が付きます。オペラ音楽は本質的に、演劇という現実のパロディに、さらに音のパロディである音楽を組み合わせるという、二重のパロディ性を持っています。そのため、「新バイロイト様式」が出現するまでは、オペラの持つパロディが些かでも現実感を持つために自然主義的な演出が行われるのが常でした。

 しかし、ザルツブルク音楽祭のオペラでは、音楽は逆に、パロディ化された演出を現実的なものへと繋げる唯一の線であるかのように感じられたのです。演出はパロディであると同時に現実の鏡であり、パロディ化されつつある現実を投影しているともいえます。そして、現実がパロディ化していくときに、失われつつある現実を唯一呼び覚ましてくれるのが音楽なのです。

 本来パロディであった音楽が現実を投影し、現実はますますパロディ化されていくのです。そして、現実とパロディを繋ぐ音楽の力を試すようにして、演出は過激に振舞っているように思えるのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年1月 掲載〕

【Music Bird】レコード蒐集家百景

 レコードコレクターはある意味で特殊な人々です。なぜなら今のメディアの主流はCDであり、レコード蒐集はごく限られた人々、いわばマイノリティの趣味であるからです。今回は、そんなコレクターの面々を(大雑把にではありますが)俯暇してみることにしましょう。

 何はさておき、この分野最大の勢力は、大指揮者フルトヴェングラーのコレクターを措いて他に考えられません。レコードコレクターと呼ばれる人々の中で、フルトヴェングラーを一度も聴いたことが無い、あるいは全く興味が無い、という人が果たしているでしょうか。「フルトヴェングラーは偉大な指揮者のうちの一人である」と斜に構えている私でさえも、ひとたびその演奏を聴けば、その素晴らしさに圧倒されてしまいます。

 フルトヴェングラーを典型として、レコードコレクターに多いのが演奏家のコレクターです。アシュケナージやプレトニョフなど今も活躍する演奏家はもちろんのことですが、古き良きを訪ねるレコードならではというところで、カザルス、クライスラー、ティボー、コルトーをはじめ、ハスキル、リパッティ、リヒテルなど。またもう少しマイナーなところでは、ウィーン・フィルのヴァイオリニストであ ったバリリや、スイスのペーター・リバールなど、マイナーな演奏家を追っているコレクターは枚挙に暇がありません。

 また、ドイツの指揮者、ルドルフ•ケンペのある大コレクターは、コレクションが嵩じて、ついには『指揮者ケンペ』という本まで上梓されています。本といえば、以前にも紹介した『ロシアピアニズム』の著者、佐藤泰ー氏は、ロシアピアニズムという枠のコレクターではありますが、実のところショパンのレコードを追い続けておられるコレクターでもあります。20年ほど前に発売された氏の著作『ショパン・デ ィスコロジー』こそ氏のコレクションの原点であろうと思います。

 演奏家コレクターから派生してもう少し広いコレクションを目指す方々がいます。中でも古今束西のヴァイオリニストをどこまでも追い続けているコレクターは少なくありません。それは、ジェームス・クレイトンというカナダのコレクター兼司書が『Discopaedia of the Violin』という、レコードの発明から発売された総てのヴァイオリンのレコードをほぼ完璧に網羅したディスコグラフィを出版した影響が少なくないのではと思います。

 また、前回触れた弦楽四重奏曲も、そのコレクターは少数ながら存在します。これも、幸松肇氏という日本における弦楽四重奏の生き字弓Iのような方がおられる影響が少なくないでしょう。手前味噌のそしりは免れませんが、縁あって氏が以前連載されていた記事を纏めた『レコードによる弦楽四重奏曲の歴史』を私が出版するという栄に浴することもできました。

 さてもう一つの勢力として曲コレクターという存在があります。 CD界隈では、ショスタコーヴィチや北欧マイナー作曲家が流行なのだそうですが、レコードの世界では、まるで時が止まったようにモーツァルトやバッハのコレクターが主流となっています。前記佐藤氏のショパンなど、マイナー中のマイナーともいえます。

 この曲コレクションが先鋭化すると、ベートーヴェンの《英雄》や 《第九》交響曲のみのコレクター、あるいは、バッハの《シャコンヌ》や《ゴルトベルク変奏曲》、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のみを集めるというようなコレクターを生み出すことになります。

 他にも、ハイファイ録音を中心に集めるオーディオファイル・コレクターというー派があり、イギリスDeccaを始めとする初期ステレオ録音の初版盤がその主な対象となっています。故長岡鉄男氏は、この分野で今なお最も影響力ある評論家であり、「長岡教徒」なる言葉まであるほどです。

 変り種としては、オペラ、それもテナーだけを集めるコレクターがおられるのですが、このお方、まさにテナーのように浪々と止め処なく牒り、興が乗ると自ら歌いだす、一部では有名な方です。

 このようなことを書いていると、以前「フルトヴェングラーが最高なのだから皆それを聴いていれば良いのに」と言っていた方に対して「全ての人がフルトヴェングラーしか聴かなくなってしまったらコレクターが居なくなってしまうじゃないか」と反論していた方がいたのを思い出します。

 いずれにしましても、これだけ様々な人々を惹きつけコレクターならしめる、音楽の力というものに、改めて驚きと畏敬の念を感じずにはいられません。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年1月 掲載〕
写真:コレクターの「聖典」? フルトヴェングラー「バイロイトの第九」。

【Music Bird】音楽の視覚化とA. M. カッサンドル

 自明のことではありますが、音楽は他の芸術、絵画や彫刻などと違い、目で見ること、手で触れることの出来ない芸術です。それは耳でのみ聴くことができ、19世紀末に蓄音機(Phonograph)が発明されるまでは、一回性の高い特殊なものでした。

 20世紀は音楽にとっても変革と激動の世紀でした。様々な形態の音楽が生まれてきたことはもちろんですが、蓄音機によって一回性の壁を越えた音楽は、LP時代に入ると新しく目で見るもの──ジャケットという姿を装って新たに出現することになります。人々は、既に知っている作曲家、演奏家のレコードを探すだけではなく、ジャケットを目で見て選ぶという選択肢を得たのです。

 30cm四方のジャケットに音楽、あるいは文化を映しとるという試みは、LP黎明期には既に始まり、商業主義と大置生産に飲み込まれてしまうわすか10年ほどの間に大きく開花することになります。それは主としてフランスで花開き、中でも偉大なアール・デコ・デザイナーであったA.M.カッサンドルを抜きにして語ることはできません。

 そのデザインは、後期のカッサンドルが好んだ単純明解な文字構成(タイポグラフィ)を特徴とし、文字組みやカリグラフィのようなタイプフェイスの変形、色彩の変化によって提示されるデザインは、
その音楽や演奏家だけではなく、フランスという国やその時代の空気をそのまま切り取ってきたかのような錯覚すら感じさせます。いみじくもカッサンドル自身が語ったように──「詩的」なエモーションを想起させるのです。

 カッサンドルは1950年代後半の3年ほどの間に100点を優に超えるジャケットのデザインを行いますが、その後、工房の写真家でもあったジョベールにその任を譲ります。しかし、そのジョベールのデザインにカッサンドルほどの説得力があったかどうか。総じて(特にクラシックにおける)ジャケットのデザインは年を経るごとに平凡になってゆき、12cm余りのCDというメディアの出現によって、完全に生命を絶ったと見るべきでしょう。

 逆説的に見れば、携帯音楽プレーヤーや高品質の音楽放送というものの出現は、利便性以上に、音楽の視覚化を試みたジャケットがその意味性を失うことによって、必然的にもたらされたものである、とも言えましょう。

 A. M. カッサンドルは1968年6月17日、パリにて自ら命を絶ちます。レコードジャケットが音楽を想起させるものから、レコードを認識、保護するものへと変化していった時代と重なるところに、運命の皮肉を感じざるを得ません。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年3月 掲載〕

【Music Bird】グローバリズムとローカリズム

 経済、文化に限らず、戦後世界の潮流はグローバリズムであったと言えます。音楽の世界も例外ではなく、現代の演奏家は世界を股にかけて演奏活動を行い、作曲家も自国の聴衆のためだけに作曲するというようなことは無いのではないでしょうか。

 以前にも触れたことがあるかと思いますが、そもそもクラシック音楽は西欧を中心に発展したローカルな音楽であり、その西欧の中にも各地にそれぞれローカルな音楽文化圏があり、ウィーンやベルリン、ザクセン(ドレスデン)、パリ、ミラノ、ボローニャ、マドリードといった文化都市は、ゆるやかな交流を重ねながらそれぞれの文化を育んでいきました。

 そして、これらの文化圏で活躍する演奏家や作曲家も、主に自分の生活する文化圏のために作曲し、演奏していたと言えます。もちろん、当時から音楽家は演奏旅行を行っており──中でもモーツァルトのパリやロンドン、イタリアヘの旅行は有名です──他の文化圏の影響を吸収し、また影響を与えもしました。しかし、当時の旅は現在と比べれば少なからぬ危険を伴うものであり、それほど頻繁に行えるものではありませんでした。

 記録媒体は文字のほか無く、移動手段の限られていた当時、たとえある町に名人がいたとしても、その名声が他の文化圏まで届き、流布されるまでには、今では考えられないような長い時間がかかったであろうことは想像に難くありません。

 また、ある文化圏では最高とされている音楽家が、他の文化圏でも同じように最高という評価を得られるとは限りません。このようにして、各地の文化圏で、それぞれの文化にふさわしい音楽家が育っていったのです。

 20世紀に入り移動手段や記録媒体、通信手段が飛躍的に発展すると、演奏家は以前とは比べものにならないほど多くの場所へ演奏に出かけるようになり、また、他の演奏をレコードを通して聴くことができるようになりました。結果として、演奏家それぞれが容易に影響を与え合うようになり、また、自分の文化圏だけではなく、ヨーロッパあるいは世界各地で演奏しても評価の得られる演奏スタイルというものが模索されるようになりました。結果として演奏は徐々に均質化されてゆき、聴衆はどこの国のどこの地方の演奏家であっても、やはり均質に評価できる──技術レベルの高い──演奏を求めるようになりました。

 戦後になり、いわゆるグローバリズムが本格化していくとこの傾向は倍加され、今では、演奏を聴くだけではフランスの演奏家なのか、はたまたドイツなのかアメリカなのかを知ることは極めて困難になりました。それが良いことか悪いことかは別として、20世紀前半の演奏録音でそれを知ることはそれほど難しいことではないのです。

 フランスの大統領選挙ではグローバリズムを標榜するサルコジ氏が当選しました。はたしてこれからのクラシック音楽に必要なものは均質を目指すグローバリズムなのでしょうか、それとも文化圏に根ざすローカリズムなのでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年6月 掲載〕
写真:もっとも古い管弦楽団を擁するザクセン州立歌劇場“ゼンパーオパー”