自明のことではありますが、音楽は他の芸術、絵画や彫刻などと違い、目で見ること、手で触れることの出来ない芸術です。それは耳でのみ聴くことができ、19世紀末に蓄音機(Phonograph)
20世紀は音楽にとっても変革と激動の世紀でした。様々な形態の音楽が生まれてきたことはもちろんですが、蓄音機によって一回性の壁を越えた音楽は、LP時代に入ると新しく目で見るもの──ジャケットという姿を装って新たに出現することになります。人々は、既に知っている作曲家、演奏家のレコードを探すだけではなく、ジャケットを目で見て選ぶという選択肢を得たのです。
30cm四方のジャケットに音楽、あるいは文化を映しとるという試みは、LP黎明期には既に始まり、商業主義と大置生産に飲み込まれてしまうわすか10年ほどの間に大きく開花することになります。それは主としてフランスで花開き、中でも偉大なアール・デコ・デザイナーであったA.M.カッサンドルを抜きにして語ることはできません。
そのデザインは、後期のカッサンドルが好んだ単純明解な文字構成(タイポグラフィ)
その音楽や演奏家だけではなく、フランスという国やその時代の空気をそのまま切り取ってきたかのような錯覚すら感じさせます。いみじくもカッサンドル自身が語ったように──「詩的」なエモーションを想起させるのです。
カッサンドルは1950年代後半の3年ほどの間に100点を優に超えるジャケットのデザインを行いますが、その後、工房の写真家でもあったジョベールにその任を譲ります。しかし、そのジョベールのデザインにカッサンドルほどの説得力があったかどうか。総じて(特にクラシックにおける)
逆説的に見れば、携帯音楽プレーヤーや高品質の音楽放送というものの出現は、利便性以上に、音楽の視覚化を試みたジャケットがその意味性を失うことによって、必然的にもたらされたものである、とも言えましょう。
A. M. カッサンドルは1968年6月17日、パリにて自ら命を絶ちます。レコードジャケットが音楽を想起させるものから、レコードを認識、保護するものへと変化していった時代と重なるところに、運命の皮肉を感じざるを得ません。