【Music Bird】グローバリズムとローカリズム

 経済、文化に限らず、戦後世界の潮流はグローバリズムであったと言えます。音楽の世界も例外ではなく、現代の演奏家は世界を股にかけて演奏活動を行い、作曲家も自国の聴衆のためだけに作曲するというようなことは無いのではないでしょうか。

 以前にも触れたことがあるかと思いますが、そもそもクラシック音楽は西欧を中心に発展したローカルな音楽であり、その西欧の中にも各地にそれぞれローカルな音楽文化圏があり、ウィーンやベルリン、ザクセン(ドレスデン)、パリ、ミラノ、ボローニャ、マドリードといった文化都市は、ゆるやかな交流を重ねながらそれぞれの文化を育んでいきました。

 そして、これらの文化圏で活躍する演奏家や作曲家も、主に自分の生活する文化圏のために作曲し、演奏していたと言えます。もちろん、当時から音楽家は演奏旅行を行っており──中でもモーツァルトのパリやロンドン、イタリアヘの旅行は有名です──他の文化圏の影響を吸収し、また影響を与えもしました。しかし、当時の旅は現在と比べれば少なからぬ危険を伴うものであり、それほど頻繁に行えるものではありませんでした。

 記録媒体は文字のほか無く、移動手段の限られていた当時、たとえある町に名人がいたとしても、その名声が他の文化圏まで届き、流布されるまでには、今では考えられないような長い時間がかかったであろうことは想像に難くありません。

 また、ある文化圏では最高とされている音楽家が、他の文化圏でも同じように最高という評価を得られるとは限りません。このようにして、各地の文化圏で、それぞれの文化にふさわしい音楽家が育っていったのです。

 20世紀に入り移動手段や記録媒体、通信手段が飛躍的に発展すると、演奏家は以前とは比べものにならないほど多くの場所へ演奏に出かけるようになり、また、他の演奏をレコードを通して聴くことができるようになりました。結果として、演奏家それぞれが容易に影響を与え合うようになり、また、自分の文化圏だけではなく、ヨーロッパあるいは世界各地で演奏しても評価の得られる演奏スタイルというものが模索されるようになりました。結果として演奏は徐々に均質化されてゆき、聴衆はどこの国のどこの地方の演奏家であっても、やはり均質に評価できる──技術レベルの高い──演奏を求めるようになりました。

 戦後になり、いわゆるグローバリズムが本格化していくとこの傾向は倍加され、今では、演奏を聴くだけではフランスの演奏家なのか、はたまたドイツなのかアメリカなのかを知ることは極めて困難になりました。それが良いことか悪いことかは別として、20世紀前半の演奏録音でそれを知ることはそれほど難しいことではないのです。

 フランスの大統領選挙ではグローバリズムを標榜するサルコジ氏が当選しました。はたしてこれからのクラシック音楽に必要なものは均質を目指すグローバリズムなのでしょうか、それとも文化圏に根ざすローカリズムなのでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年6月 掲載〕
写真:もっとも古い管弦楽団を擁するザクセン州立歌劇場“ゼンパーオパー”