Music Bird一覧

【Music Bird】ヨーロッパ音楽事情

 仕事でヨーロッパヘ来ているため、この文はオランダのユトレヒトで書いています。ユトレヒトはライデンと共に大学都市として知られ、歌劇場や常設オーケストラこそありませんが、オランダの都市の中でも文化的な雰囲気を持っている町のひとつです。せっかくの機会ですので、ヨーロッパの音楽事情を少しこ紹介したいと思います。

 ヨーロッパ(主に西欧)は当然ながらクラシック音楽の本場となるわけですが、これは見方を変えれば、クラシック音楽はヨーロッパの地方音楽であるとも言えます。そのヨーロッパでは、かなり小さな町にも教会が一つはあり、そこで毎週行われるミサではオルガンや合唱が使われることも多く、子供の頃から音楽に親しめる瑣境が整っています。大きな教会になると、週に一度や二度、無料のオルガンのコンサートが開かれ、大都市になると、ピアノや室内楽のコンサートも定期的に開かれています。

 このような状況を見ると──絵画や彫刻など多くの芸術がそうであるように──クラシック音楽もまた教会の中から派生してきたものだということが理解できます。しかし、ミサに参加する人々は年配の方が多く、どこの国でも教会の若者離れは進んでいるようです。これはCDやレコード店も同様で、クラシックよりはポップスやロックの方が幅を利かせていて、クラシック専門のお店ともなると、ヨーロッパでもかなり珍しい存在となってしまいます。

 とはいえクラシック音楽が廃れているという印象を感じるわけではありません。オランダだけを見ても、アムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、デン・ハーグのレジデンティ管弦楽団と、世界的にも有名なオーケストラが3つあり、それに付随する合唱団や室内楽団、ソリスト達が活躍しています。

 たとえば、今やヴァイオリン界のボス的存在であるヘルマン・クレバースは、レジデンティ管弦楽団を経て、コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを長年務めたヴァイオリニストであり、今や古楽器奏者として知らぬもののないアンナー・ビルスマも、若かりしころはコンセルトヘボウ管弦楽団のチェロ奏者でした。そして、そのコンセルトヘボウのホールでは、平日には毎日、無料の室内楽マチネー(昼興行)が行われ、若い奏者たちが腕を競っています。

 日本と比較することには無理がありますが、このような状況は国の広さや人口を考えると、非常にクラシック音楽に恵まれている状況だと言えるでしょう。これは、フランスやドイツでも大きな違いは無いと考えていただいてよいと思います。

 ミュージックバードさんとも関係浅からぬラジオはというと、日本とは違いヨーロッパではFMラジオの周波数が非常に多く使われています。オランダはそれほどでもありませんが、ドイツやフランスの大都市周辺では、2MHzごとにラジオ局が入っていたりします。ここでも流れているのはポピュラー音楽がほとんどですが(一部に教育番組やトーク番組などもありますが)驚くのは、必ず一日中クラシック音楽を流す放送局が一つはあることです。

 オランダではRadio Netherlands 4、ドイツでは、管弦楽団を持っていることで有名な南西ドイツ放送(Sudwestfunk)や北ドイツ放送(Norddeutscherundfunk)、ベルリン放送(Berlin Rundfunk)、フランスではRadio Classiqueなどがあります。

 これらの放送局は既製の音源を放送することも多いのですが、聴いていて面白いのは現地の演奏家やオーケストラの演奏会録音の放送や、演奏家へのインタビュ一番組、特集ものなどです。たとえば数日前のRadio Netherlands 4では朝からワグナーやプッチーニの歌劇ばかりを流していたので、よくよく聴いてみると、どうやら名ワグナー歌手、アストリッド・ヴァルナイが亡くなり、その追悼の番組のようでした。また「ロシアのピアニストのようでもあるけど変わったピアノだなあ」と思って聴いていると、懐かしの演奏家、イヴァン・モラヴェッツが、チェコのチェスキー・クロムロフ音楽祭で演奏した実況録音であったりと、なかなか多士済々です。

 このようなことを現地で体験していますと、300年以上に渡って培われてきたクラシック音楽は、今でもこの地に着実に根を下ろしていることが実感できます。

〔Music Bird プログラムガイド 2006年10月 掲載〕

【Music Bird】音楽と数値

 現代に生きる我々に、数値はなくてはならないものになっています。東京駅から御茶ノ水まで電車で何分、距離は何km、運賃は何円、今日の温度、湿度、果ては摂取カロリー、株価、と生活に関わる全てのものが数値で表されています。

 ところで西洋音楽の世界では、遥か昔から楽譜というものの発明によって音楽を数値化することに成功していました。西洋の音楽は、音を数値化する楽譜というものによって飛躍的に発展したといえるでしょう。楽譜が発明されるまでは、ある曲は作曲家が演奏者でもあり、しかもその人が生きている間(厳密に考えれば演奏に足る能力がある間)だけ存在しうるものでした。

 西洋以外では(おそらく西洋の一部でも)現在でも楽譜を使わない音楽は数多く存在します。しかしこれらの音楽は、口伝のような形でしか伝える手段が無く、しかもその性質上常に変形、消失の危機にさらされることになります。

 しかし、楽譜という数値は、音楽を完全に再現させるという意味ではまだ不完全でした。同じ楽譜を元にした演奏でも一つとして同じ演奏は存在しません。また、作曲した側の思い描いた音楽と、演奏する側の思い描いた音楽は、必ずしも、というよりも、まず一致はしないでしょう──ただ作曲者自身が演奏した場合を除いては。

 ところが、私はこの楽譜という不完全な数値化こそが西洋音楽発展の大きな秘密だったのではないかと考えています。不完全さ故にこそそれを表現する演奏芸術が大きく発展し、作曲家の不完全さを補う力、あるいは芸術をより完全なものへ近づけるための力となったのではないかと感じています。演奏家は作曲家すら気が付かなかった可能性を提示することすら可能となったのです。

 科学の発展によって数値が達用される範囲は飛躍的に増えていくと共に、数値はあらゆるものにますます大きく影響を与え続けています。現在でもミクロ、ナノ、とあらゆるものが分解、分析されていきます。最終的に人はあらゆるものを数値で表してしまうのかもしれません。

 しかし、楽譜の不完全さと同じように、どこまで分解しても音楽には数値化不可能な部分があり、その部分こそが音楽の不可思議な魅力の源泉なのではないでしょうか。そして、楽譜や時間も含め、身の回りの数値のことなど思い浮かばぬほど音楽に没入できたときこの源泉に触れているときなのではないでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2006年11月 掲載〕
写真:音楽を色で表そうと試みたスクリャービンのピアノ(スクリャービン博物館/モスクワ)

【Music Bird】秋の夜の弦楽四重奏

 今年の秋は暖かい日が続いていますが、日暮れだけは着実に早くなり秋が深まりつつあります。

 一昔前の音楽愛好家諸氏の間では、交響曲、協奏曲、独奏曲と聴いてきて、最後に到達するのが、歌と弦楽四重奏曲である、と言われていたのだそうです。

 たしかに、歌は音楽の全くの原初である「歌うこと」であり、弦楽四重奏曲は、余計なものを削ぎ落とした緻密な構成と内的独白という意味でクラシック音楽発展の一つの到達点であると言えます。クラシック音楽を聴き進むうちに、この二つの対極する精華に辿り着くのは、ある意味で必然なのかもしれません。いささかこじつけですが、それは作曲家にも言えることです。例えば、ベートーヴェン最後の作品は《弦楽四重奏曲作品135》であり、様々な革新と実験を繰り返したシェーンベルクの遺作となったのは宗教的な合唱作品でした。

 このように充実した実りであり、また華美を廃した枯淡の境地でもある弦楽四重奏曲という分野は、秋に聴くにはまことに相応しい音楽であるように思います。

 弦楽四重奏曲を辿るということは、クラシック音楽の歴史を辿ることでもあります。弦楽四重奏曲の原型はバッハ以前から存在し、徐々に発展を続けながらハイドンによって形式として完成され、モーツァルト、ベートーヴェンによってより磨きがかけられました。まさに、ウィーン古典派と言われる作曲家達によって完成された「クラシック=古典」の歴史そのものでもあるのです。

 弦楽四重奏曲の最も不可思議であり魅力となっているのは、四人の弦楽器奏者によって奏されるということではないでしょうか。四人による合奏ということは、一人の奏者の気分によってテンポやフレージングを変えることは不可能です。反対に、独奏者や指揮者が、演奏会において何か霊妙な閃きによって、楽譜、あるいは練習からは思いもかけなかった表現が生まれることがあることは容易に想像がつきます。

 しかし、四重奏という四人の個性が、仮に一身同体となるまで練習に励んだとして、実際演奏会でそのような閃きが四人に等価に(あるいはアンサンブルに許容される差異の範囲で)現れ得るものだろうか、という疑問が常につきまといます。しかも、これこそ驚くべきことなのですが、最も素晴らしいいくつかの演奏の中には、そのような瞬間が間違いなく存在するのです。

 完璧な準備、練習と、芸術の閃き、という相反するとも思えるものが、弦楽四重奏の中には共存しているのです。このことが私を弦楽四重奏へと惹きつけてやまないのです。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番冒頭の永遠に続くかと思われるフーガに耳を傾けていると、そのようなことは全く瑣末事であると思えてくる秋の夜ですが……。

〔Music Bird プログラムガイド 2006年12月 掲載〕
写真:ウィーン・フィル伝説のコンサートマスター、アルノルト・ロゼの四重奏団。

【Music Bird】ロンドン音楽探訪

 2007年の初めはロンドンヘと出掛けてきました。とはいえ、ホールでのコンサートヘと通うでもなく、教会のランチタイム・コンサートなどを巡っていました。アカデミー室内管弦楽団で有名なセント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会では、女性による弦楽三重奏団がベートーヴェンと珍しいマルティヌーの曲を披露し、サザーク大聖堂では、アイアランドの弦楽四重奏曲を初めて耳にすることができました。しかし、ひときわ印象に残ったのは、セント・ポール大聖堂の有名な「囁きの回廊」へ登っていた時に、不意に下から聴こえてきたブリテンの《戦争レクイエム》のリハーサルでした。教会のドーム部分にある「囁きの回廊」は、壁際で囁いた声が反対側の壁際まで聴こえるという不思議な構造をしているのですが、そこで聴いた得も言われぬ響きはいまだ耳に残っています。

 19世紀未から20世紀前半にかけて、ロンドンはクラシック音楽の一大拠点でした。美しい円形劇場であるロイヤル・アルバート・ホールや、室内楽の名門ウィグモア・ホール、コヴェントガーデンとして知られる王立歌劇場などの名ホールにはイザイ、クライスラー、トスカニーニ、フルトヴ ェングラーなど、著名音楽家が次々と来演し、ヴォーン=ウィリアムス、エルガー、ディーリアス、ホルストなどイギリスを代表する作曲家が立て続けに現れました。

 しかし、19世紀後半までのイギリスでは著名な演奏家や作曲家はそれほど輩出されてきませんでした。それは、 14世紀からの英仏100年戦争によってイギリスとヨーロッパ大陸との交流が滞ったことと、それに続く英国教会とカトリック教会との分裂が、カトリックおよびプロテスタントの教会を揺藍としたクラシック音楽と疎遠になった一つの理由ではないかと思います。

 しかし、偉大な作曲家がいなかったわけではありません。 16世紀後半にはダウランドや、『フィッツ・ウィリアム・ヴァージナル・ブック』で知られるバード、ギボンズ、ブルなどの作曲家が出現しました。バードは「イギリス音楽の父」と呼ばれ、ギボンズはグレン・グールドが最も才能ある作曲家の一人として挙げていますが、グールドの奏する一風変わった「ソールズベリー伯爵に捧げるパヴァーヌ」を聴くと、それもむべなるかなと思わせます。

 その後、1695年に没したヘンリー・パーセルを最後に──イギリスヘ帰化した大作曲家、ヘンデルを除けば──長い空白が続きますが、19世紀後半のエルガーなどを経て、「パーセル以来の天才」と称されたブリテンの登場を侯つことになります。

 セント・ポール教会での《戦争レクイエム》はリハーサルを聴いただけで、その日の晩に行われた本番は聴きませんでしたが、日本ではまだ聴く機会の少ないブリテンやアイアランドを聴くことができたのは望外の喜びでした。

 名門ホールでの演奏会はもちろんですが、ヨーロッパとは少し異質の国イギリスでも、このような教会での演奏会がクラシック音楽の伝統を地道に守り続けているように感じられたロンドン訪問でした。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年2月 掲載〕
写真:セント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会のリハーサル風景。

【Music Bird】音楽の秘境と文化的背景

 2007年1月のプログラムガイドを何とはなしに眺めていたら、田中美登里さんのコラムの中の「クラシック音楽は秘境なんですよ」という言葉が目に入りました。田中さんと同じく、私にとってもこの言葉は新鮮に感じられ、また、考えさせられるものがありました。

 秘境とは、「人跡のまれな様子がよく知られていない土地」(広辞苑)ということなのだそうですが、すでに数百年の歴史があり、多くの人が一応は見知っている音楽を、敢えて「秘境」と表現しているところに、クラシック音楽の未だ多くの人の目に触れぬ美しさと共に、その抱える問題点をも隠喩しているように感じられました。

 クラシックに限らず音楽には、必ず基礎となる文化的な背景があります。ジャズのルイ・アームストロングや、ロックのチャックベリーなど、その音楽を始めた人物という称号はありますが、その彼らもその時代、文化の背景なくして自分の音楽を作り上げることは出来なかったでしょう。

 しかし、ロックやジャズは、音楽として誕生してからまだそれほどの時は過ぎていません。また、移動、通信手段やメディアが発達した時期とも重なったために、これらの文化的背景は現在でも比較的身近に少なくとも情報の上では感じとることができます。

 対して、クラシックが音楽として誕生した時期は遥か昔であり、多くの時代、様式と、多くの地域の文化を、ある時は吸収し、ある時は影響を与えあいながら発展してきました。そのため現代に生きる我々が、クラシックの文化的背景にロックやジャズのような身近さ感じることは難しいでしょう。

 思うに、この複雑で巨大な文化的背景こそがクラシックを秘境たらしめている大きな要因の一つではないでしょうか。

 この複雑さ故に、クラシックは聴く前に情報の与えられることの多い音楽です。作曲家、演奏家の名前、使われている技法、作曲、演奏にまつわる話など。音楽は耳で聴き、感じとるものである、という考えかたからすると、聴く前に情報を得るということは、先入観や固定観念を与えるということであり、純粋に音楽に相対していないと考えられます。しかし同時に、その音楽の基礎となっている文化的背景を理解することなく、その音楽が理解できるのであろうか、という疑問も湧いてきます。このジレンマに対する私の答えは今のところ出ていません。

 いずれにしても、クラシックという秘境を探訪する人が増えるのは良いことです。異なる文化を知るということは、すなわち自分の文化を知るということでもあります。また、そのような人々が増えれば、私の疑問がいずれは氷解する日も来るのでしょうから。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年4月 掲載〕
写真:リトアニアの辺境作曲家、チュルリョーニスの生家(現博物館)

【Music Bird】月に憑かれたピエロ

 12音技法の創始者にして現代音楽の祖、とも言うべきアルノルト・シェーンベルクは、その創作の中期──いわゆる無調時代に、作曲家ダリウス・ミヨーの言を借りれば「デカダン様式で、相当に悪趣味な」ベルギーの詩人アルベール・ジローの詩に基づく21の小曲からなる組曲《月に憑かれたピエロ(Pierrot lunaire)》を創り上げました。ドイツ表現主義を具現した傑作で、無調から12音技法への転換点として20世紀音楽の流れを決定づけた作品とも言われています。

 この曲は、シェーンベルク自らが考案した、シュプレヒシュティンメ(Sprechstimme)と呼ばれる、歌とも語りともつかない唱法で歌われ、「歌うことなく話し、語ることなく歌う」ことを要求しています。その唱法は、ソノリティにおいて、また音楽表現として劇的な効果を発揮し、未完のオペラ《モーゼとアロン》において再び使われることになります。また《ナポレオン・ボナパルトヘの賛歌》や晩年の傑作《ワルシャワの生き残り》といった曲にまで、その影響を辿ることができます。

 初演は1912年10月16日ベルリンにおいて行われ、作曲者による指揮、作曲を依頼したウィーンの女優、アルベルティーネ・ツェーメによる語り、弟子でもあったピアニスト、工ドゥアルト・シュトイエルマン──今なお色褪せないシェーンベルクのピアノ曲録音を残しました──によって演奏されました。1912年という年は、既に亡くなっていたマーラーの《交響曲第9番》がブルーノ・ワルターによって初演された年でもあり、《ピエロ》の初演一大スキャンダルであったとも言われています。面白いことに、翌1913年には、ストラヴィンスキーの《春の祭典》がパリで騒動となっています。

 私とこの曲との出会いはクラシック音楽を聴き初めて間もなくで、聴きなれない不協和音とグロテスクな歌に戸惑いながらもこの曲に強く惹かれました。随分若かった私は、おそらくその題名の奇妙な語感と、ジローによるシュルレアリスティックな詩にまいってしまったのだと思います。熱狂、陶酔、忘我、甘美を誘う調性音楽──いわゆるクラシカルな音楽との折り合いをどうにかつけながらシェーンベルクとその周辺を聴き進んでいったのが、私と現代音楽の邂逅といえます。

 その後も私にとって《ピエロ》は、シェーンベルク、現代音楽、あるいはクラシック音楽において常に特別な位置を保ち続け、事あるごとに聴き続けてきました。初めのうちこそグロテスクであり、デカダンであり、ある種居心地の悪い音楽と感じていたこの曲ですが、今聴いてみると、不安な時代を写しとっているのは確かではあるものの、12音技法へ向かう確固たる信念とエネルギーに満ち溢れ、むしろ美しさをすら感じてしまいます。

 シェーンベルクは「音楽は美しくある必要はない、真実であるべきだ」と語り調性を捨て去りましたが、皮肉にも結果として生みだされた音楽は、えも言われぬ美しさを湛えたものばかりなのです。ここに「真実と美」のアイロニカルな矛盾を感じるのは私だけでしょうか。それにまた、シェーンベルクという言葉は「美しき山」という意味なのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年5月 掲載〕
写真:2枚のピエロ。作曲者自身によるものと、弟子でもあったレイボヴィッツによるもの。

【Music Bird】主観的観賞のススメ

 ──実のところ、世の中に客観的な批評家などというものは存在しないがゆえに、読者は客観的なイメージは得ることはできないのである。みずからこう主張する者は、みずからをも読者をも裏切ることはしないであろう。客観的なイメージ、客観的な批評家が存在しないのは当然のことである。なぜなら人間は機械ではないのだから。──

 これは、ヨーアヒム・ハルトナックの著した名著『二十世紀の名ヴァイオリニスト』(白水社刊)の序言からの一節です。評論における主観性というものをこれほど明快に表した例は少ないのではないでしょうか。

 いつの頃からか、音楽が主観的である以上、その評論は客観的であるべき、というような風潮が生まれてきましたが、ハルトナックはこの序文の中で、いわゆる客観的なイメージというものは実のところ主観的なイメージに他ならない、と喝破しています。そもそも評論というものは、ある事物に対する視点を提示することであり、その視点が個人の目から見たものである限りにおいて、それは客観的たりえません。

 しかし現実に目を向けると、現代は多くの音源や演奏家、情報に溢れかえり、評論の仕事といえばそれら膨大な資料の整理整頓の役を負わされている感が否めません。そのような中で、客観という衣をまといながら、特定の(資本的な)立場を代弁するような評誦や、主観を盾に修辞に明け暮れながら、その実「事物に対する視点」すなわち主観の欠如した評論などが現れてくるのは、ある意味で必然なのかもしれません。

 問題は、むしろ客観を求める側にあります。

 客観を求める者は、自らの主観を持たず、自らを客観の側へ置きたいと願望します。客観とは多くの人が認めるものであり、疑いのない指標というわけです。しかし、本来客観というものは主観を投影するものであり、主観が不在の客観などというものは存在しえないのではないでしょうか。

 ハルトナックは言っています。

 ──「私が用いる判断基準は、必然的に私自身の判断基準であるほかはない。この判断基準が主観的になればなるほど、今世紀のすぐれたヴァイオリニストを判定するにあたっての、一般的に通用する波長を探りあてる見込みも出てこようというものである。──

 巧みに客観という言葉を避けていますが、この「一般的に通用する波長」を「客観」と読み替えても、それほど大きな齟齬はないでしょう──巧みに避けた理由は考えなければなりませんが。

 私はこの一文から、音楽、あるいは他のどのような芸術を受容するときでも、個人の主観的な視点を通してよりほか、客観というものに近づく道は無い、と感じるのです。芸術が主観的な創造であるならば、それを受容する側もまた主観的たれ、と。

 蛇足ながら、『二十世紀の名ヴァイオリニスト』の序言には、レコードの功罪についてや世代の限界性、ヴァイオリン演奏の未来など、多くの示唆に富む洞察が含まれており、今改めて読み返してみても新たな発見があります。音楽評論の分野における屈指の名評論と存じます。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年7月 掲載〕

【Music Bird】ラフマニノフの《晩禱》

 ロシアピアニズムを俎上に上げてから月日が流れましたが、いまだロシアからは離れがたく、お薦めの演奏を尋ねられてもついロシアの演奏家のものへと手が伸びてしまいます。ロシアの演奏の何がここまで私を惹きつけるのか興味深いところではありますが、今は余り深く考えないようにしています。

 先日、縁あってウラディミール・ミーニン指揮のモスクワ国立アカデミー室内合唱団を聴く機会がありました。当日のプログラムはスヴィリドフの小品やロシア民謡が中心でしたが、この合唱団で思い出すのは10年ほど前に同じ合唱団で聴いたラフマニノフの《聖ヨハネ・クリソストムスの典礼》です。無から浮き出してくるような澄んだ歌声とその静謐な音楽には大いに揺り動かされました。

 ラフマニノフの典礼曲にはもうー曲、大作の《晩禱(Vespers)》があります。この合唱曲は、ロシア革命直前の1915年に発表され好評を博しますが、社会主義による宗教の否定によって長い間封印されてきました。1974年に作曲家の生誕100年を記念して発売された、スヴェシニコフとソ連国立アカデミー・ロシア合唱団によるレコードは、驚きと賞賛をもって迎えられたといいます。未だ社会主義の時代にこのような録音が発表できたのは当時モスクワ音楽院院長であったスヴェシニコフによる尽力も少なくなかったであろうと思います。

 私もこの曲を知るまではご多聞にもれずラフマニノフと言えば、ピアノ協奏曲と思っていたものですが、「晩禱」と大きく漢字で書かれた印象深いジャケットのレコードを聴き、たちまちにしてこの曲の虜となってしまいました。この曲は、ロシア正教の典礼音楽であることもあって、普段聴いてきる音楽からは遠く、ほとんど異教的な響きをすら感じてしまうのですが、音楽そのものの美しさがそのような印象を払拭し体に染み渡ってくるようでした。これが正しい受容かと問われればはなはだ心許ありませんが。

 ミーニンは、このスヴェシニコフの弟子であり、彼の衣鉢を継ぐべき人であるとみていいでしょう。日本では、まだこのような曲の演奏にはなじみが薄く、彼の合唱団が来日してもラフマニノフやボルトニャンスキーの典礼曲がプログラムに入れられることはほとんどありません。しかし、いずれは演奏会で彼の《晩禱》を聴いてみたいものです。

 なお、日本では東京トロイカ合唱団が年に1度、目白の東京カテドラルで《晩禱》演奏会を行っています。曲の性格からロシアでもそれほど演奏される機会の多くない曲であり、定期的に演奏会で聴けるのは日本だけであるともいいます。私も2度ほど聴きに出かけたことがありますが、教会の残響とも相俟ってロシアの合唱団に劣らぬ素晴らしい演奏でした。

 この曲に興味をお持ちになった方は、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年8月 掲載〕
写真:アンドレイ・リュブリョフの「聖三位一体」をあしらったチュルヌシェンコ指揮による《晩禱》。[2018年追加]スヴェシニコフによる国内盤。

【Music Bird】音楽の驚き

 我々はなぜ音楽にこれほど魅せられ感動するのでしょうか。

 スイスの言語学者ソシュールは、世界的な文学作品全てに共通する「ある秘密」を発見したと言われていますが、果たして音楽にそのような「ある秘密」が存在するのでしょうか。

 このような問いが、「ドミソ」という旋律を使えば必す心に響く、というような簡単な理由で片付けられるのであれば労はないのですが、古くはバロックから現代まで様々な様式や形式をまとってくる音楽は、黙して語らず、最後には心を揺さぶって去ってゆくだけなのです。

 誰もが知っている、ベートーヴェンの「歓喜」の主題を聴くとき、私はいつもその旋律の美しさや力強さに圧倒されるのですが、それにも増して驚くのは、この生命力溢れる旋律がたった五つの音による全音階によって作られているということを知る時です。この「驚き」は、感動を与えてくれる音楽全てに共通するものです。

 同じベートーヴェンの作品111のソナタの第2楽章で、たった3音からなる下降音形を端緒として胎動を始める音楽が、姿形を変容させながら、最後にもう一度3音の下降音形へと解決されてゆくその美しさを目の当たりとする時、最後にはドの次の音がなぜソである必要があったのか、なぜこのような旋律を書けたのかという驚きだけが残るのです。

 アリストテレスは言っています。「驚異すること(thaumazein)によって人間は、哲学を始めたのである。」

 音楽もまた「驚異」、「驚き」に満ちています。ただただ美しいことへの驚き、心を揺さぶる旋律への驚き、突き通すような音を秘めた演奏に対する驚き、そして音楽そのものが存在することへの驚き。繰り返し同じ曲を聴き繰り返し同じ演奏を聴いても、常に新たな驚きが発見されてゆくのです。

 この「驚き」が音楽の「ある秘密」であるかどうかはわかりません。面白いことですが、作曲家プロコフィエフはシチェドリンの「作曲の極意は何か」という問いに「いかに聴衆を驚かすかという事だ」と答えたといいます。

 ソシュールは「ある秘密」をとある文学者へ伝えたところ、その説は一蹴され、「ある秘密」を公にすることなく失意のうちに亡くなったといわれ、我々が「ある秘密」を知ることは永遠に叶わなくなってしまいました。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年10月 掲載〕
写真:ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品111の初版譜。