【Music Bird】ロンドン音楽探訪

 2007年の初めはロンドンヘと出掛けてきました。とはいえ、ホールでのコンサートヘと通うでもなく、教会のランチタイム・コンサートなどを巡っていました。アカデミー室内管弦楽団で有名なセント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会では、女性による弦楽三重奏団がベートーヴェンと珍しいマルティヌーの曲を披露し、サザーク大聖堂では、アイアランドの弦楽四重奏曲を初めて耳にすることができました。しかし、ひときわ印象に残ったのは、セント・ポール大聖堂の有名な「囁きの回廊」へ登っていた時に、不意に下から聴こえてきたブリテンの《戦争レクイエム》のリハーサルでした。教会のドーム部分にある「囁きの回廊」は、壁際で囁いた声が反対側の壁際まで聴こえるという不思議な構造をしているのですが、そこで聴いた得も言われぬ響きはいまだ耳に残っています。

 19世紀未から20世紀前半にかけて、ロンドンはクラシック音楽の一大拠点でした。美しい円形劇場であるロイヤル・アルバート・ホールや、室内楽の名門ウィグモア・ホール、コヴェントガーデンとして知られる王立歌劇場などの名ホールにはイザイ、クライスラー、トスカニーニ、フルトヴ ェングラーなど、著名音楽家が次々と来演し、ヴォーン=ウィリアムス、エルガー、ディーリアス、ホルストなどイギリスを代表する作曲家が立て続けに現れました。

 しかし、19世紀後半までのイギリスでは著名な演奏家や作曲家はそれほど輩出されてきませんでした。それは、 14世紀からの英仏100年戦争によってイギリスとヨーロッパ大陸との交流が滞ったことと、それに続く英国教会とカトリック教会との分裂が、カトリックおよびプロテスタントの教会を揺藍としたクラシック音楽と疎遠になった一つの理由ではないかと思います。

 しかし、偉大な作曲家がいなかったわけではありません。 16世紀後半にはダウランドや、『フィッツ・ウィリアム・ヴァージナル・ブック』で知られるバード、ギボンズ、ブルなどの作曲家が出現しました。バードは「イギリス音楽の父」と呼ばれ、ギボンズはグレン・グールドが最も才能ある作曲家の一人として挙げていますが、グールドの奏する一風変わった「ソールズベリー伯爵に捧げるパヴァーヌ」を聴くと、それもむべなるかなと思わせます。

 その後、1695年に没したヘンリー・パーセルを最後に──イギリスヘ帰化した大作曲家、ヘンデルを除けば──長い空白が続きますが、19世紀後半のエルガーなどを経て、「パーセル以来の天才」と称されたブリテンの登場を侯つことになります。

 セント・ポール教会での《戦争レクイエム》はリハーサルを聴いただけで、その日の晩に行われた本番は聴きませんでしたが、日本ではまだ聴く機会の少ないブリテンやアイアランドを聴くことができたのは望外の喜びでした。

 名門ホールでの演奏会はもちろんですが、ヨーロッパとは少し異質の国イギリスでも、このような教会での演奏会がクラシック音楽の伝統を地道に守り続けているように感じられたロンドン訪問でした。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年2月 掲載〕
写真:セント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会のリハーサル風景。