【Music Bird】音楽の秘境と文化的背景

 2007年1月のプログラムガイドを何とはなしに眺めていたら、田中美登里さんのコラムの中の「クラシック音楽は秘境なんですよ」という言葉が目に入りました。田中さんと同じく、私にとってもこの言葉は新鮮に感じられ、また、考えさせられるものがありました。

 秘境とは、「人跡のまれな様子がよく知られていない土地」(広辞苑)ということなのだそうですが、すでに数百年の歴史があり、多くの人が一応は見知っている音楽を、敢えて「秘境」と表現しているところに、クラシック音楽の未だ多くの人の目に触れぬ美しさと共に、その抱える問題点をも隠喩しているように感じられました。

 クラシックに限らず音楽には、必ず基礎となる文化的な背景があります。ジャズのルイ・アームストロングや、ロックのチャックベリーなど、その音楽を始めた人物という称号はありますが、その彼らもその時代、文化の背景なくして自分の音楽を作り上げることは出来なかったでしょう。

 しかし、ロックやジャズは、音楽として誕生してからまだそれほどの時は過ぎていません。また、移動、通信手段やメディアが発達した時期とも重なったために、これらの文化的背景は現在でも比較的身近に少なくとも情報の上では感じとることができます。

 対して、クラシックが音楽として誕生した時期は遥か昔であり、多くの時代、様式と、多くの地域の文化を、ある時は吸収し、ある時は影響を与えあいながら発展してきました。そのため現代に生きる我々が、クラシックの文化的背景にロックやジャズのような身近さ感じることは難しいでしょう。

 思うに、この複雑で巨大な文化的背景こそがクラシックを秘境たらしめている大きな要因の一つではないでしょうか。

 この複雑さ故に、クラシックは聴く前に情報の与えられることの多い音楽です。作曲家、演奏家の名前、使われている技法、作曲、演奏にまつわる話など。音楽は耳で聴き、感じとるものである、という考えかたからすると、聴く前に情報を得るということは、先入観や固定観念を与えるということであり、純粋に音楽に相対していないと考えられます。しかし同時に、その音楽の基礎となっている文化的背景を理解することなく、その音楽が理解できるのであろうか、という疑問も湧いてきます。このジレンマに対する私の答えは今のところ出ていません。

 いずれにしても、クラシックという秘境を探訪する人が増えるのは良いことです。異なる文化を知るということは、すなわち自分の文化を知るということでもあります。また、そのような人々が増えれば、私の疑問がいずれは氷解する日も来るのでしょうから。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年4月 掲載〕
写真:リトアニアの辺境作曲家、チュルリョーニスの生家(現博物館)