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ヴィヴィアナ・ソフロニツキー オール・ショパン・プログラム

年の瀬もおし迫った12月26日、昨年最後のコンサートは、ヴィヴィアナ・ソフロニツキーによるオール・ショパン・プログラムでした。

ソフロニツキー、この名前は私にとって、ネイガウスなどとともに特別なものです。演奏を聴かずとも「名演」と宣言してしまって間違いのない名前といっても良いでしょう。

そんなある日、ソフロニツキーが来日するという情報が舞い込んできました。はて、わがウラディーミル・ソフロニツキー師は1961年に身罷っているはずだが、と調べてみると、来日するのは、ヴィヴィアナ・ソフロニツキーといって、ソフロニツキー師の娘のようなのです。娘ですからソフロニツカヤではないかとも思うのですが、ロシアも少しづつリベラルになっているのかもしれません。

そのヴィヴィアナさんがショパンを演奏するというのですが、これが困ったことにショパン時代の古い楽器(の復刻)、つまりフォルテピアノでの演奏なのです。一般にレコードマニアと呼ばれる人種はあまり古楽器が好きではなく、残念ながら私もその例に漏れないのです。しかしソフロニツキーという名前には逆らえません。早速チケットを手配しました。

とはいえ、ソフロニツキー師は非常にレベルの高いロシア・ピアニズムの中でも別格中の別格のピアニストでしたから(トロップさんが、それは神の啓示のごとくであった、とおっしゃっていたのを覚えています)、ヴィヴィアナさんに過大な期待するのは禁物です。

一聴しての感想は、やはりフォルテピアノの音は小さいということと、意外に細かなニュアンスは出せるものだな、ということでした。しかし聴き進んでゆくと、どうにもヴィヴィアナさんの演奏とウラディーミル師の演奏が重なって聴こえてきてしまうのです。その力強く粘ったようなタッチは、悲劇的な色彩を帯びていて、そう、極論してしまうとウラディーミル師生き写しなのです。フォルテピアノのパラパラとした音が、ウラディーミル師の悪い録音の音と妙に似ているのが、またおかしくもあります。

ここまで似るのは何故なのか。同行したピアニスト氏の推測では、体格(彼女はとても背が高い)や手の形、あるいは音を聴く耳が遺伝しているのかもとのことでした。

アンコールでは、3台目のフォルテピアノを出してきての聴き比べの後、一番古いモデルでモーツァルトの幻想曲を演奏しました。それは素晴らしい演奏であったのですが、その力強いタッチやウラディーミル師譲りの解釈は、フォルテピアノで弾くモールァルトの様式からはかけ離れているようにも感じました。

何にしても、毎年数え切れないほどのロシア・ピアニストが来日しているなか、これほどのピアニストが今までほとんど知られていなかったというのは驚くべきことだと思います(ソフロニツキーのピアニズムが今どきあまり受けるタイプではないのかもしれませんが)

見ているとフォルテピアノが楽しくて仕方がない様ではありますが、残念ながらヴィヴィアナさんのピアニズムはモダン・ピアノでこそ生きるのではないかと思います。次の機会には、ぜひモダン・ピアノで聴いてみたいものです。

 


再びブログ作り

classicus.jpドメイン唯一の顧客(容量が余りまくっているゆえの居候とも言いますが)Ralph & Sunnie」のWebページですが、これまではhtml(xhtmlではないところがミソです)で作り、細々と更新していました。

しかし、ライブやイベントの告知による更新が多く、また将来的にはWebでのCD販売なども視野に入れ、ここのところ「Ralph & Sunnie」Webページ、ブログ化プロジェクトを水面下で計画していたのです。ブログ化すれば、販売CDや過去のイベント告知の一覧なども簡単に得ることができます。

そんなわけで、何度か試験的にページを作ってみたりはしていたのですが、本格的な製作はなかなか時間がとれずに(気が乗らないともいいます)延び延びになっていました。しかし、(ご存知の通り)ここのところまとまった時間がとれたこともあり、気分転換も兼ねて再びブログ化に着手することにしました。

ブログのベースは、当然、classicusブログと同じWordPressなのですが、手間を省くために出来るだけ手を加えなくても良いようなフリーのテーマ(外観)を探すことにしました。

しかし、わたしの作り方というのがもともとスクラッチビルド式で、きちんとした完成図のイメージがないこともあって、なかなか「これ」と思えるテーマが見つかりません。10種類近いテーマをあれやこれやといじくってみたのですが、どうもしっくり来ないので、結局はclassicusブログと同じ、使い慣れた「Empty Canvas」というテーマをベースとして作っていくことにしました。いずれにしても目指すはシンプルでしたので、落ち着くところに落ち着いたというところでしょうか。

とはいえ、classicusブログのように文字情報だけというわけにもいきませんので、タイトルには画像ロゴを、サイドバー部分には写真を入れ、文字の色や行間、背景などこまごました部分を少しづつ変えてみました。

あれを変えるときはスタイルシート、これを変えるにはPHP、これはウィジェット、といった具合で、あちらこちらをいじくっているうちに、スタイルシートやPHPに妙に詳しくなってしまいました。本業をおろそかにして困ったことです。

おかげで、パっと見では同じテーマと分からないようなページになったのではないかと思います(よく見ればすぐに分かりますけど…)


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(ゴルドベルク変奏曲)

明けて12月24日は、ゴルドベルク変奏曲です。

演奏会場は、平均律クラヴィア曲集の武蔵野文化会館(小ホール)から東京文化会館へと、都会へ出てまいりました。客層もカジュアルだった前日とは打って変わり、コンサートホールへ来ているぞ、という雰囲気に満ちています。これは、お隣大ホールで行われているクリスマス恒例(であろう)メサイアの影響もあるのかもしれません。

前日の平均律クラヴィア曲集全曲演奏会については、すでに書いた通りなのですが、ゴルドベルク変奏曲ではまた違った面が出てくるのではないか、との期待もありました。

しかし残念ながら、前日の演奏と大きく異なるようなことはなく、緻密に組み立てられた熱演、という以上の印象を得ることはできませんでした。

わたしが音楽を聴くとき、それがどんなに感心しないもの、突飛なものであっても、すくなくともわたしよりも音楽的経験が豊かで、音楽に対しても真剣である人が、このように弾いているのであるから、何かわたしには計り知れない意図があるのではないか、とまずは演奏よりも自分を疑って考えるのですが……リフシッツの意図はどうもわたしには分かりかねたようです。

コンサートの後、同行した方々とお店で軽くワインなどを飲みながら(当然私は水なのですが)雑談などしたのですが、ひとしきり誰のゴルドベルクが良いかなどと話した後、「ソコロフのゴルドベルクを聴こう」ということになりました。このとき、同行した方々も、リフシッツの演奏から私と同じような印象を得たのだということが、なにとはなしに分かったのでした。

 


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(平均律クラヴィア曲集)

先日、賛否の声渦巻くペーター・コンヴィチュニー演出の「サロメ」を聴いてきたのですが、その感想はさておき、昨年のコンサート記を続けることにします。

ようやくと年末に近づいてきて、12月23日、24日のコンスタンチン・リフシッツ演奏会です。リフシッツは23日に平均律クラヴィア曲集全曲を、24日にゴルドベルク変奏曲を弾くという、なんとも大胆な選曲、かつ日程です。巷は気もそぞろの12月24日にゴルドベルクを聴くというのも、なんともはや…。

ゴルドベルク変奏曲は、私のもっとも好きなピアノ曲の一つなのですが、今を去ること20年ほど前にニコライエワの演奏を聴いて以来、演奏会ではなかなか聴く機会のなかった曲でもあります。数年前のコロリョフの演奏会なども食指を動かされたのですが結局忘失してしまい、後で聞けばそれほどでもなかったとのこと。なかなか縁に恵まれないのです。

リフシッツについては名前を知っている程度だったのですが、平均律とゴルドベルクを連日演奏すると聴いて、つい触手が動いてしまったのです。

平均律については、全曲を演奏会で聴いたことは一度もなく、最近でこそ、ポリーニやシフが俎上に乗せてはいますが、実際演奏会へかけられることもそれほど多くはないのではないでしょうか。リフシッツは、全曲を1日で演奏してしまおうということで、前半に24曲、後半に24曲、間に数時間のインターバルが開くため、ほぼ半日がかりという、まるでマラソンのようなコンサートです。

肝心の演奏ですが、まずつまずきそうになったのがその配曲です。前半24曲というのは、実は第1巻の1番、第2巻の1番、第1巻の2番…というように、2巻を交互に弾き、12番までを弾いたのです(もちろん演奏会前から分かっていたことではありますが)

普段レコードでは、全曲を聴くにしても、抜粋を聴くにしても、たいてい1巻と2巻は分かれており、またこれは勝手な思い込みかもしれませんが、第1巻の24曲、第2巻の24曲というものは、24曲で一つの組曲のように構成されているように感じるのです。ことに第1巻でハ長調の前奏曲から始まり、ロ短調の壮大なフーガで終わるさまは、調性という宇宙を描いた壮大な絵画であるようにすら思えるのです(第2巻に関しては、もう少しカジュアルな、あるいはロマンティックな雰囲気を感じるのですが)

さて、その第1巻と2巻とが混ざって出てくるわけですから、聴く方としてはいまいち調子が出ないのです。とはいえ演奏は、美しい音色、ほぼ完璧にコントロールされた打鍵、さらには暗譜での演奏など、こと演奏技術に関しては(あくまで素人の私が見る限り)非の打ち所が無いといってよいような演奏でした。

しかし、その完璧な演奏から生み出される音楽には何かが足りないのです。いや足りないのではなく立派すぎたのかもしれません。バッハの楽譜を設計図とした建造物を、大聖堂のように、あるいは細密画のように、いささかの狂いもなく緻密に作り込んでいるように感じられたのです。しかし困ったことに音楽は大聖堂でもなければ、細密画でもありません。常にゆらぎ、うつろい、現れては消えていく蜃気楼のようなものです。そのゆらぎや頼りなさを確固たる形あるものとして表されてしまうと、それは音楽のようであって音楽とは異なものとなってしまうように思えてならないのです。

大気中をたゆたうような一見捉えどころのない音楽作品を、一瞬の閃きでつかみ取り、音とするのが演奏家という芸術家の使命でもあるでしょう。しかしリフシッツの演奏は、漂う音楽を捉えることをあきらめ、音楽の外観、表面を緻密に、しかしまるで形骸のように、再現するという道を選んだように思えてなりません。

誤解のないように書いておきますと、リフシッツのピアニストとしての技術的側面は、大変に高度なものであることは間違いありません。しかし残念ながらその技術によって生み出された音楽には、音楽の持つゆらぎ、息遣いといったものが希薄であったように私は感じたのでした。

とはいえ、第1巻ロ短調のフーガなどは実に美しく、聴き入ってしまったのですが、その後に第2巻の前奏曲が出てくるのですから……最期まで調子の狂わされた演奏会でした。

 


ワレリー・アファナシェフ演奏会

今年もはや一月が過ぎてしまいましたが、去年11月のコンサート回想が未だに終わっていません。困ったものです。コンサート第2弾は、鬼才アファナシェフです。この鬼才という言葉もどうかとは思いますが。

アファナシェフは一寸グールドと似たところがあって、いわゆるクラシック畑ではない知識人の間で話題となり、そこから本来のクラシック畑の聴衆ではない人々も含めて評判となった演奏家ではないかと思います。

たしかにグールドのときには、本人も含めたあれやこれやの論文で「なるほどそんな聴き方もあるものか」と思ったものですが、私も年を重ねひねくれものになったのか、同じような現象が再び起こると「ああ、またか」となってしまいます。

それというのも、グールドを聴く人、絶賛する人の多くは、グールドの弾くバッハなりモーツァルトは聴いても、バッハやモーツァルトという作曲家、あるいは他の演奏家にはほとんど興味を示さないからです。私に人の聴き方をどうこう言う権利はまったくないのですが、バッハやモーツァルト、シューベルトは媒介に過ぎず、グールドやアファナシェフを聴いているという現象には、何か違和感を感じてしまうのです。

そもそもなぜ知識人先生がそんなに特定の演奏家ばかりに難しい言葉や論理を労して肩入れするのかというのも不思議な話です。好きな演奏家であれば一人密やかに楽しんでいればよいだけなのに。

そんなことから、「ああ、またか」と来日はすれど聴きにいくことのなかったアファナシェフですが(もちろん数少ないレコードやCDでは聴いていて、私の中での位置はそれなりに決まっていたのですが)、またまた友人に誘われまして、好き嫌いはどうあれ、一度は聴いてみないといけないと思い、聴きにいくことになったのです。

そのアファナシェフはのっけから個性的な登場をしてきて少なからず驚きました。また、指先を反らすようにして弾くその様は、さながら魔女が呪術をかけているかの如きで、観るという意味では非常に面白いピアニストだと思います(ただ、私は目から映像が入ると音が変わって聴こえてしまうので、演奏会では極力目を閉じて聴いているのですが)

その風貌とも相まってこれは相当風変わりな音楽が出てくるのかと思いきや、出てきた音楽は思いの他真っ当で再び驚きました。もちろんテンポの速い、遅いでいえば、かなり遅い部類にはなるのでしょうが、その音や和声の感覚は、かなり正確かつ確信犯的にバランスの良い響きを目指しているように感じられ、異常感覚や侘び寂びというよりも、古典的均整を保って、どちらかといえば肯定的な響きすら持っているように感じました。

しかし、お花畑に蝶々が飛んでいるような紋切り型のイメージではなく、表面的なほがらかさの裏に隠された、暗く陰鬱なロマン的感情、一筋縄ではいかないシューベルトの音楽というものを聴いてみたいという欲求からすると、若干健康的過ぎる嫌いがあったのもまた事実です。

もっと平たく言ってしまえば、ソフロニツキーやユーディナ、リヒテル(あるいはエドゥアルド・エルドマンでも良いですが)で感じたような衝撃、驚きといったものを感じるまでには至らなかったということでしょうか。

むしろ感銘を受けたのは、ほとんど計算されつくしたかのような音楽の古典的均整と、個性的な奏法(ホロヴィッツかグールドかというような)でありながら、強烈な打鍵にもほとんど音を濁らせない技術で、ロシア・ピアニズムの技術的側面を十二分に感じることができました。

好き勝手なことを書き連ねてしまいましたが、実のところアファナシェフは侘び寂びや「もののあはれ」などというものはとうに通り過ぎ、古典的均整の中に新たな境地を見出していたのかもしれません。


ウェブページのスタイルシート化

ウェブ関係の勉強をちょっと怠けている間に、どうやら世間では、ウェブデザインにhtmlを使うのはもはや古く(というよりも使用を推奨しないらしい)、スタイルシートを使うのが主流らしいのです。今さらウェブ製作のもう一方の雄であるFlashを勉強するのも馬鹿々々しいですし、そもそもしがないレコード屋さんのウェブページにハリウッドさながらの演出は必要ないのではないかと思う今日この頃。

そこで、泥縄式にスタイルシートを勉強しながら少しづつCLASSICUSのページをスタイルシート化していたのですが、<p>や<br>、<table>などで埋め尽くされたソースをCSS化するのは、意外になほど手間がかかります。

また、以前はメニューを選択したときの文字の色の変更を、JavaScriptの画像の入れ替えで行っていたのですが、これもスタイルシートで実現できることが分かったため、かなり苦労しながらもスタイルシート化しました。

catalogページの画像の入れ替えは、スタイルシートよりもJavaScriptの方が良さそうでしたので、せっかくJavaならばと、これもにわか勉強したフェードイン・アウトを入れて、ちょっとFlash風にしてみました。

ついでに悪乗りして、linkページもマウスを乗せるとフェードインするようにしました。しかし、JavaScriptの構造上の問題なのか、フェード中に別のリンクへ移動すると、混乱してややこしい動きになります。もちろん関数は共用なのですが、別のルーチンとして動かないものなのでしょうか。回避方法をご存知の方がいらっしゃましたらご教示下さい。

かなり苦労してスタイルシートに移行しつつあるCLASSICUSページですが、(勉強も含めた)苦労の割には外観はほとんど変わっていないという、なんとも達成感の足りない作業となってしまいました。


HDDのダウンサイジング引越しの巻 その3

何を今さらの更新です。

恐るべき事実、それは私の購入したハードディスクはとんでもなく遅いシロモノだったということです。
購入した2TBのHDDはWestern Digital社のWD20EARSというものだったのですが、どうやらこのHDDにはAdvanced Format Technologyなるテクノロジーが使われていて(詳しくはこちら、XP以前のWindowsで使う時には、専用のアプリケーションで最適化しないと極端に遅くなるらしいのです(それ以外にもトラブルは多いそうですが)

つまりあの極端に遅い原因はこれだったようなのです。SSDのWindowsも安定しているので、問題のHDDのパーティションを再度切りなおして専用アプリケーションWD Alignで処理をしてみます。早速CrystalDiskMarkでベンチマークテストをしてみますが、結果は、古い7200rpmHDDなんか足元にも及ばないような速い数字が出てきました。

この一週間の努力と苦労はいったいなんだったんだろうか……。とはいえ、SSDのベンチマークはWDのHDDの3倍速くらい出ていますので、不必要な速さを楽しむことにしますか。やれやれ。

あまり参考になさる方はいらっしゃらないでしょうけど、ダウンサイジング引越しの手順を書いておきます。

  1. Partition Masterなどを使って、コピー元HDDのパーティションサイズをコピー先HDDのサイズより小さくする。
  2. コピー元HDDにシステム以外のパーティションがある場合は、バックアップなどを取って削除する。
  3. Partition Masterなどでコピー元HDDのパーティションをコピー先HDDへコピーする。
  4. Disk Geniusで、コピー元HDDからBackup Partition Tableを行い、適当なファイルへ保存する。
  5. 4.で保存したファイルを使って、コピー先HDDへRestore Partition Tableを行う。
  6. うまく起動しなかったらRebuild Master Boot Recordを実行してみる。

こうやって書いてみると、苦労した割には実に単純でがっかりしてしまいます。今回得た教訓は、システムドライブを調子にのってどんどん大きくしていくと、(時々)面倒なことになる、です。2TBのSSDなんて天文学的な値段になりそうですから。

来週からは爆速パソコンで仕事にいそしみます。いや本当に。


HDDのダウンサイジング引越しの巻 その2

SSDを買ってきたのはいいですが、引越し元のシステムディスク(Cドライブ)は2TBの半分の1TBですから(そのうち使用しているのは150GBほど)、データを整理しなければいけません。音楽データや画像など、頻繁に使わないファイルをDドライブへ移動することにして、ざっと150GBから80GBほどにスリムアップしました。あとは、このCドライブのパーティションを縮めて丸ごとSSDへ移せば完了です……しかし世の中それほど甘くはありませんでした。

Partition Masterでは、Windowsシステムのコピー(HDD引越し)はHDD丸ごとのコピーしか対応しておらず、Cドライブだけのパーティションコピーではシステムが移行できないのです。さりとて2TBのHDDを丸ごと128GBのSDDにコピーできるわけもなく……。有料の移行ソフトの中にはダウンサイジング引越しというものが可能なものもあるのかもしれませんが、おそらく一生に1度あるかないかというダウンサイジング引越しのためにお金を払うのも面白くないので、有料ソフトは最後の手段に取っておくことにします。

調べてみると、HDDの一番初めにはMBR(Master Boot Record)なるものが書き込まれていて、そこにHDDのパーティションの数やサイズが書き込まれているのだそうな。それならば、Partition MasterにRebuild MBRというメニューもあることだし、パーティションをコピーした後に何とかしてMBRをコピーすればどうにかなりそうではありませんか。

さっそく、縮めたCドライブパーティションをSDDへコピーして、Rebuild MBRを実行しますが、起動せず。そうそう簡単には行かないようです。調べを進めると、Windows XPにはMBRの修復コマンドがある他、WindowsをCDから起動して修復インストールするという手もあるそうなので早速実行してみました。しかし、SSD自体を認識していないようで上手くいきませんでした(何かするごとに、Rebuild MBRもしてみましたが変化なし)

とにもかくにもMBRさえコピーできれば何とかなりそう、という根拠の薄い自信に基づいて調べを進めると、こんなコアなページも見つけました。しかしこのような方法も相当にややこしそうなので、最後から2番目の手段にしておきます。

そして見つけたのが、Disk GeniusのBackup/Restore Partition Table機能でした。さっそくHDDのパーティションテーブルをバックアップして、SSDにレストアしてみます。途中いくつかエラーメッセージが出てきましたが、そこは目をつぶります。起動してみると、今までなら止まっていたマザーボードのスタートアップ画面を通り過ぎてWindowsのロゴ画面まで進みました。遂に……と思ったら、そこでコンピューターがシャットダウン、再起動を繰り返してしまいます。しかし少しは前進したというものです。

沈思黙考すること数分。閃きました。HDDには100GBに縮めたCドライブのパーティションの他にDドライブとして使っていた1TBのパーティションもあり、MBRには当然こちらのパーティション情報も書き込まれているはずです。このDドライブのパーティションを削除すれば、HDDのMBRからDドライブのパーティション情報が削除され、Cドライブだけのパーティション情報が書き込まれるはずです。そうすれば、同じ1つのパーティションのSSDとほぼ同じ構成となるはずです。

イライラしながらDドライブをフルバックアップしてから、そのパーティションを削除、再起動、HDDからBackup Partition Table、SSDにRestore Partition Tableと進めていきます。心なしかレストア時のエラーメッセージも少ないようです。

結果からいうと、これらの作業で無事SSDからの起動に成功しました。MBRエラーが原因ではないかと思われるちょっとした挙動不審はありましたが、数度の再起動によってWindowsが勝手に最適化してくれたようです。

しかし、これらの作業中恐るべき事実が発覚したのです。

つづく。


HDDのダウンサイジング引越しの巻 その1

今週は、どうにもこうにもパソコンに振り回された1週間でした。

そもそもの始まりは、手狭になった320GBのHDDを、価格の安くなった大容量2TBのHDDへ思い切って交換したことでした。近頃は素晴らしいフリーソフトが数多く出回っており、その中の一つEASEUS Partition Masterを使えば、データやアプリケーション、OSごと(というかディスク丸ごと)簡単に移行できるのです。

実にあっさりと無事移行できたのはいいのですが、いざ使ってみるとこれがどうにも遅いのです。アプリケーション一つ開くのにもHDDに長々とアクセスして、忘れた頃になってやっと起動するといったありさまです。さすがに仕事にも支障をきたすような遅さなので、HDDをAHCIモードにしたり、ページングファイルを別のドライブにしたり、レジストリを書き換えたりと色々な対策をほどこしたのですが、結果は多少早くなった程度で、とても満足できるようなものではありませんでした。特に、仕事の都合でAcrobatとPhotoshopを使うようになってからは怒りが爆発(というほどでもないですが)、根本的な対策として更なるHDDの交換を画策することにしました。

購入した2TBのHDDは回転数が5400rpmのもので、今まで使っていたものが7200rpmだったことから、その速度差が問題なのではないかと推理し、10000回転以上のものでも購入しようかと思いましたが、いっそのこと随分と価格のこなれてきたSSD(Solid State Drive。いわゆるフラッシュメモリによるHDD)を導入したら速いぞ、という悪魔の声が聞こえてきました。

しかしSSDも一筋縄ではいかないようで、最大の問題点としてその寿命が挙げられますSSDの寿命。しかし、あちこちのページを読み漁った結果、問題よりもメリットの方が大きいであろうという結論、というよりも願望に至り、いそいそと128GBのSSDを買いに走りました。

ここでHDDからSSDに乗り換えて「メデタシメデタシ」となるはずだったのですが、世の中そう甘くはありませんでした。どうやら世間では、HDD丸ごと引越しというものは、より大きなHDDへの移行しか想定していないようで、大きなHDDから小さなHDD/SDDへのダウンサイジング引越しというものが、これほど面倒なことだとは夢にも思はなかったのです。

つづく。