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「BLOG」一覧
ロシアのイコン
少し前、友人がライカのデジカメ M8 を持ってやってきたので、手持ちの Tele-Elmarit 90mm を付けてテスト撮影してみました。これがライカの写真なのかどうかは微妙なところですが、そもそもデジタルと銀塩写真を同じように比較するのがナンセンスなのかもしれません。
写したイコンは、数年前にロシアのイズマイロフスキー公園のマーケットで買い、持ち帰ったものです。ロシアではある程度古いイコン(美術品)
この「受胎告知」は、面白いことに人物の描き方などがアンドレイ・ルブリョフの「三位一体」とほとんど同じスタイルで描かれています。ルブリョフの偉大さは現代に至るまで影響を与え続けているのかもしれません。
シュターツカペレ・ドレスデン [News写真2004年12月]
日本ではドレスデン国立歌劇場と呼ばれるシュターツカペレ・ドレスデンは、ヨーロッパでも最も古い歴史を誇る管弦楽団の一つで、その壮麗な歌劇場はゼンパー・オパーとも呼ばれます。
2003年春、ベルリンから列車に乗り、初めてドレスデンを訪れました。貧乏旅行のため2等自由席へ乗ったのですが、この時向かいに座っていたドイツ人とおぼしき3人が実に個性的だったので今でも記憶に残っています。一人は強面で屈強な軍人のようなスキンヘッドのおじさん。一人は撫でつけた髪がきれいにM字に剃りこまれているように見えるやさ男。もう一人はやや着古したGジャンを着て頭髪が少し後退し、背が高く痩せたお兄さんで、「特攻野郎Aチーム」のモンキーを思わせる雰囲気です。このお兄さんがどさっと置いた大きなザックには、なぜか着ぐるみのライオンらしき頭がぶら下がっているのですが、誰もそれには気をとめず、ヨーロッパ人らしくしかつめらしい表情をしています。
別々に乗り合わせたこの3人は時々会話を交わしていたのですが、私たちは、もともと旧東ドイツ圏であることもあって、英語が通じるかどうか自信が無かったので(もちろん英語でも自信は無いのですが)
ドレスデンに着いた時、新駅か旧駅か分からず外をきょろきょろ眺めていたら、スキンヘッドおじさんがドイツ語で多分「旧駅は一つ先だよ」というような事を教えてくれたのが、唯一交わした会話でした。
ドレスデンは旧市街しか歩いたことがありませんが、第2次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたにも関わらず大変に美しい街で、その最たるものが、写真のシュターツカペレ・ドレスデンとツヴィンガー宮殿でしょう。この時、灰燼と化した聖母教会は、欠片を一つ一つ組み合わせながらの再建途上で、バッハのカンタータ演奏で有名な聖十字架教会は内部が煤けて黒くなっていたのが印象的でした。
しかし、まだ少し冷えこむ夜のエルベ川沿いを歩いてたどり着いた、闇夜に光り輝くゼンパー・オパーはひときわ印象に残ったのでした。
聖トマス教会(ライプツィヒ) [News写真2005年1月]
ドレスデンから電車で1時間ほどのところに、ゲーテが学び、バッハの活躍した町、ライプツィヒがあります。ライプツィヒに向かうべく夕方にドレスデン駅に着いたまさにその時、ライプツィヒ方面行き電車が出発するところで、チケットを買う間もなく飛び乗りました。
ライプツィヒは、見本市が行われるなど旧東ドイツの都市の中では比較的大きな町なのですが、旧市街は意外に小ぢんまりしており、有名なゲヴァントハウスは旧市街の少し外側にあります(外側にあって良かったというデザインですが…)
その旧市街の入り組んだ道の中ほどに、かつてバッハもカントールをつとめたという聖トマス教会があります。教会の前の小さな広場には、バッハの銅像があり、いやが上にもバッハとクラシック音楽の歴史を感じさせます。
ルター派の教会らしく外観は質素な造りですが、内部の白い天井には装飾とともに網目のように赤いアーチが入り組み、荘厳というよりは意外なほど明るい雰囲気を漂わせています。この時は、(ギュンター・ラミンのジャケット写真に写っている)
曇り空だったこともあって教会の内部はほの暗かったのですが、写真に写っている内陣付近は、ステンドグラス越しに差し込むやわらかな光と照明に美しく照らしだされていました。
一通り教会を見て回ったあとは、バッハもシューマンもゲーテも通ったというヨーロッパ最古のカフェ、「カフェ・バウム」で一服するのが正しい観光客といえましょう。
サイトウキネン・フェスティヴェル
柄にもなくご招待を受けて、サイトウキネン・フェスティヴァルでR.シュトラウスの《サロメ》を観てきました。
サイトウキネン・フェスティヴァルのチケットは、例年であれば小澤征爾が指揮をするため入手は困難を極めプラチナチケットと化しているのですが、今年は小澤の体調不良からオペラの指揮に代役が立てられたため(結局のところ、管弦楽コンサートでもわずかしか振らなかったようです)
あまりオペラは聴かない私ですが、近現代ものには好きなものも多く、R. シュトラウスは《サロメ》の他にも《エレクトラ》や《ばらの騎士》など、好きなオペラ作品の多い作曲家の一人です。
《サロメ》は言わずと知れたオスカー・ワイルド(とビアズリーの挿絵!)
さて、演奏については私は評論家でもありませんのであれこれと言うことはできませんが、舞台はなかなか面白く、最後まで見ごたえがありました。歌手もその実力のほどは分かりませんが、音楽と戯曲の世界へ溶け込んでいて、ちょっと油断すると《サロメ》の世界へ惹き込まれてしまいそうでした。しかし、なんと恐ろしい話でしょう。私にとっては、下手なホラー映画などよりはるかに恐ろしく猟奇的です。
それにしても、まさか生きている間に《サロメ》を演奏会で観ることができるとは思ってもみませんでした。世界を見渡せば少し流行ってはいるようですが、それでも日本で舞台に掛けるには勇気のいる作品です。小澤征爾についてはいろいろと意見もあるのでしょうが、このような作品(以前にはプーランクやブリテン、ヤナーチェクなどが上演されており、来年はなんとバルトークの《青髭公の城》です)
松本へ行くといつも立ち寄らせていただく「レストラン鯛萬」。木組みの高い天井が美しいメインホールで早めの夕食をいただきました。
おわら風の盆
松本から足を延ばして、富山は八尾のおわら風の盆を見てきました。なんだかんだと今年でもう3年連続の訪問となってしまいました。
風の盆は、他の盆踊りとは少し趣きが異なっていて、おわら節というゆったりとした息の長い歌とともに、踊り手がゆっくりと進んでいきます。踊りもまた独特で、編笠を目深にかぶり、揃いの浴衣で踊る姿は、夏の盆踊りというよりは、静かな秋の風情を感じます。
風の盆の魅力はなんといってもその音ではないかと思います。楽器(地方)
ただ、この風の盆は古くからある狭い町で行われる上に、観光に訪れる人の数がとてつもなく多いため、7時頃から行われる正式な町流しは押すな押すなの大盛況となってしまい、あの哀愁を帯びた旋律をなかなか素直に味わうことができません。
そこで今年は思い切って、深夜1時頃に出かけ、数人の地方と踊りで練り歩く、夜流しを楽しむことにしました。写真のように深夜とはいえまだたくさんの人が居ますが、これが正式な町流しともなると、立すいの余地も無くなってしまいます。
古い町並みの残る諏訪町で、行きつ戻りつする夜流しを眺めていると、都会で溜め込んだ雑事、雑念などはすっかりどこかへ飛んでいってしまい、ゆったりと流れるおわら節にただ聴き入るばかりでした。
ピエロ・リュネール
《月に憑かれたピエロ》。なんと想像力を湧き立たせる名前でしょう。レコードを選ぶとき、一丁前に「このジャケットで演奏の悪いはずがない」と宣ったりいたしますが、その体でいくなら「この題名で曲の悪いはずがない」です。
事実、そんな題名から入ったわたしも、いつの間にやら《ピエロ》からシェーンベルクへのめり込み、ベルク、ウェーベルンとお決まりの道筋を辿ったのでした。しかし、未だに《ピエロ》は格別好きな作品で、機会あらば聴くようにしているのです。
さて、その聴く機会が思いもかけぬ形で訪れました。桐朋音大の学生さんたちが学園祭で演奏するというのです。幸いご近所であることもあり、早速お邪魔してきました。
プログラムは、シェーンベルク論、作品解説、全訳詩と盛りだくさんで、天井にはプロジェクターで訳詩が投影されるという仕掛けもあり、この演奏への意気込みが大いに感じられました。
演奏について古今の名演と比べるのは意味のないことですが、プログラムの意気込みそのままに、作品に近づこうという気持ちの感じられた演奏でした。歌手の声の質も曲想に合っていたように思います。目を閉じて聴いているうちに、いつしか《ピエロ》の世界を垣間見ることができました。
このような難曲(技術の面だけにとどまらず)
三宅麻美ベートーヴェン・ツィクルス
今年もあっという間に暮れとなってしまいました。もしかすると、光陰の矢に乗っかってしまっているのでしょうか。
10月から12月にかけては、個人的なことでドタバタとしていた上に、前々からチケットを買っていたコンサートがずいぶんと重なってテンヤワンヤしてしまいました。いまさらですが、いくつかのコンサートの感想などを書いてみたいと思います。
まずは11月に行われた三宅麻美さんの「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 全曲演奏会 第1回」です。
三宅麻美さんは、以前にピアニストの友人から紹介されたのですが、話してみると、なんとショスタコーヴィチがお好きであるという。とりわけ弦楽四重奏の15番やヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタがお好きでらっしゃるという。しかも前奏曲とフーガ全曲を日本人として初めて録音されたのだそうで、これはもう完全に私の好みと一致してしまっている変態、いや、素晴らしい感性をお持ちの方なので、すっかり話がはずんでしまいました。
そういえば、この春には三宅さんと荒井英治さんによるショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ他を聴いたのですが、演奏が音楽に解けこんでいくような素晴らしい演奏で、なんというか、久しぶりにショスタコーヴィチらしいショスタコーヴィチを聴いたような気がしたのでした(レコードも含めてです)
そんな三宅さんがベートーヴェンを全曲演奏されるというのですから、これは聴き逃すわけにはまいりません。
ベートーヴェンというのは、戦後の日本でもっとも聴かれてきた作曲家であろうと思うのですが、経済成長が怪しくなりはじめた頃から、マーラーだブルックナーだショスタコーヴィチだと言われはじめ、ベートーヴェンのような前向きで力強い音楽というものが、やや飽きられたというか、多様性の波にのまれてしまったような状況なのではないかと思います。
しかし、ずいぶんと音楽のつまみ食いをしてきた現在の私にとっても、最後の最後にたどり着く作曲家は(もちろんシェーンベルクであるとかショスタコーヴィチが好きであることには変わりはないのですが)
今回の演奏会は作品番号以前のものから、1、2、3番というプログラムでしたので、普段後期のソナタばかりを聴いている私は、気楽な気分で聴きに出かけたのですが、ベートーヴェンという作曲家の凄さというものを思い知る羽目となりました。
三宅さんの演奏を聴いていると、ときに「えっ、こんなフレーズがあったの?」と思ったり、「こんな仕掛けがあったのか」と気づく場面に出くわし、ベートーヴェンの革新性と天才はすでに初期の頃からあったことを、あらためて知ったのでした。甘さを廃した演奏は、ベートーヴェンの旋律の美しさを浮き立たせるに余りあるものでした。ベートーヴェンの旋律は、甘く流麗に弾いていても、それは結局表面を撫でているだけに過ぎず、決して彼の音楽の本質にはたどり着けないのではないかと思います。
本当は一飛びに後期のソナタが聴きたいのは山々なのですが、三宅さんのツィクルスを順を追って聴いていくうちに、次々と新たな発見に出会えそうな予感がしています。
シニョーリ広場(ヴィツェンツァ) [News写真2005年3月]
イタリアに限らずラテンの国々(主にフランスとイタリア)
とはいえ、ラテンの国々も「このままではいかん」と思ったのか、ヴァカンスは短く、食事の時間も短く、食事のカロリーは低くなる傾向にあるようです。
このときは、スイスから北イタリアを回ったのですが、時まさに8月というわけで、イタリアはどこの町もかしこの町も水を打ったような静けさ、「地球最後の男」になったかと思うほどです。
しかも、このときのヨーロッパには、余りエアコンが普及していないフランスで老人の死者がたくさん出たというとんでもない熱波が襲来しているところで、スイスからコモ湖を越えて夜9時頃にミラノに到着したとき、見かけた温度計に38度という数字が煌々と輝いていたのを、今でもよく覚えています。
ヴィツェンツァの中心、シニョーリ広場もお昼だというのにまさに人っ子一人いない状態、むなしく太陽だけが気温をぐんぐんと上げ続けていたのでした。
それにしてもイタリアの古い町の美しさといったら……日本人として彼我の美意識の違いを痛感してしまいます。
エスプレッソマシンのスチームアーム交換
CLASSICUSでは、主には私が飲むために(いえ、もちろんお客様にもお出しします)
このマシンはそこそこ高級機ということもあって、当然ながらカプチーノのミルク泡立て用のスチーマーがついているのですが、このスチームノズルには初心者でも泡立てやすいようにパナレロというプラスチック部品がついています。しかし、一度キャプチーノ(と玄人ぶってみる)
そこで、掃除の利便性(金属ノズルだけだったら、泡立て直後に濡れふきんなどで拭けばほぼOK)
そんな時に見つけたのが(通販番組みたいですが)
取り付けて使ってみると、使い勝手そのものはGaggiaのパナレロ無しと大差ありませんが、見た目はかなりグレードアップした感じです。ただ、アダプターを介してやや無理やり取り付けているためか、アダプターの隙間から少し水(お湯)
そこで、純正のアームとRancilioのアームをあれこれと見比べてみたところ、アームの太さや、ストッパーの形状はほぼ同一で、ナットの形状だけが大幅に違うことがわかりました。ということは、GaggiaのナットでRancilioのアームを取り付けることができるのではないか? という悪魔の囁きが聞こえてきました。
Gaggiaのアームは構造上ナットが外れないようになっていますから、この作業を始めてしまうと後戻りはできません。しかし、ここまで考えたからには実行あるのみ。
まずは、Gaggiaのアームを力ずくで折ってナットを取り出します。プライヤーで握って何度か曲げ伸ばしをすると、ポキっと折れます(かなり猟奇的な壊し方になってしまいました)
外したナットは、Rancilioのアームへすんなり入りましたので(実は折り曲げ部分に引っかからないかどうかが一番心配だったのです)
まるで純正のスチームアームのように美しく付いています。満足満足。
特典として、このアームにはいろいろと楽しい部品が用意されていて、これやこれなんかが気になっています。
なお、Rancilio Silviaの古い方のアーム(多分Version1や2というもの)