音楽を聴くために耳は不可欠なものです。演奏会などでは目から得られる情報によって音楽の印象が変わることはあるのでしょうが、耳から得られる音を聴かなければ、音楽を聴いているとは言えないでしょう。
しかし、困ったことにその耳というものは実に不確定的なものです。空耳、聞き違いなどのほか、音楽を聴く上では、その時の体調や温度、湿度、雑音など周りの環境、目からの情報など様々なものによって影響を受けてしまいます。これらの影響は、せっかくの名演が台無しになってしまうこともあれば、また逆に、これらの外的要因によって、さながら魔法のように得も言われぬような音楽を経験することもできるのです。
これは耳が感覚器官というデバイスに過ぎす、実際の音は脳(と全ての感覚)
例えば、感銘深い本──シェークスピアあるいはドストエフスキーでも──を読む前と後とでは、同じレコード(演奏)
しかし、そもそも全く同じ環境の中で昔楽を聴くということはあるはすのない仮定の話です。何しろ音楽を聴いている間にも人は少しづつ年老いているのですから。
「音楽を聴く」ということ、美しい旋律や音色を愉しむということは、その音楽を体験することによって生じる自分の変化を楽しむこと、あるいは、音楽を聴くまでに自分が経験したことを音楽によって再発見することであり、演奏家や作曲家の体験を音楽として聴き、それを自分の体験として受容することなのではないでしょうか。