【Music Bird】神保町と文化と音楽と

わたしの店のある神保町は古くから本の街として知られています。神保町の周辺には大学や教育機関が多かったことから、明治中頃にはすでに古書店街としての素地ができていたようです。その後、本の街として発展の一途を辿っていた神保町も、大学の郊外移転やバブル経済による荒波、活字離れなどの影響から、書
店の数を徐々に減らしてきました。

ところが、2000年を前後してジャンルを特化したり、展示に工夫を凝らした新しい形の書店が少しづつ増え、レコード店も専門店と呼ばれる店舗が神保町に次々と開店しました。便乗するようにして、私が店を開いたのもこの頃のことです。

そんなこんなで密かな活況を呈していた神保町ですが、ここのところまた新たな風が吹いてきています。

それというのは、ここ数年、神保町にジャズ喫茶が次々と出店されているのです。ジャズ喫茶といえば、かつて神保町にはジャズ喫茶世代の方なら誰もが知っている「」という名店がありました(ジャズ喫茶世代でもなく、余り良いジャズの聴き手でない私でさえ何度か足を運んだことがあるほどです)。しかし、神保町の衰退に歩を合わせるかのようにして「響」は閉店し、神保町のジャズの火は消えたかに見えました。十数年を経た今、わずか数年の間に再びジャズ喫茶が5店にまで増えたというのは、何か気まぐれな偶然なのか、それとも「響」の蒔いた種が今になって花開いたということなのでしょうか。

隣町の御茶ノ水には楽器屋街もあり、今や神保町は音楽の街にもなりつつあるようです。しかし、私にとって神保町は今も昔も本の街であり、なにより「文化」のある街であってほしいと願っています。

文化は単純な経済活動だけでは成り立ちませんし、古いものを壊して新しいものばかりを作っていても生まれてきません。そうかといって、古いものを珍重して新たな価値観を否定していても、それも文化とは呼べないでしょう。古いもの、新しいもの、どちらとも言えないようなもの、それらの中で人々が生活し、経済活動を行い、これらが交じり合い、相互に影響しあっていることそのものが文化であり、写本時代の古書からどぎつい原色が踊る最新の雑誌まで、玉石混交の本の並ぶ神保町こそ、このような文化が根付くには恰好の地と言えるのではないでしょうか。そのような中に彩りの一つとして音楽がある、というのが私の願っている文化ある街なのです。

ところで、神保町という町名の由来は、今の神保町交差点近くに、神保伯耆守の広大な屋敷があったことからきたのだそうですが、神保という言葉については、古く中国では「神の依る所を神保となす」と言い、日本でも神社の領有地のことを指したのだそうです。そこから東西文化の錯綜をいとわず誇大妄想的解釈をほどこすと、神保町は音楽、芸術の神「ミューズ」の依る所と考えてはいささか想像が過ぎるでしょうか。

そういえば、神保町から錦華通りを挟んで向かいにある猿楽町の田来は、世阿弥を祖とする猿楽師(能楽師)観世太夫と観世一座の人々の屋敷があったからであったとか。こんなところにも神保町文化の源流が流れているのかもしれません。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年12月 掲載〕