職業柄日々考えてしまうのは、レコードとCDについてです。今更レコードはCDよりも音が良い、などと青臭いことを言うつもりは毛頭なく、実際私もどちらの音が良いのか、ということについてはまるで見当がつかないのです。あえてCDについて言えることといえば、CD=デジタル化は、あらゆる意味で人類が音楽を「情報」化した象徴であるということです。
「情報(informatio)
情報は、はるか昔から(金銭的)
つい先日もビートルズのリマスター盤が大々的に発売されていましたが、これも少し意地悪く見れば、CDの情報をいくらか操作することによって、新たな価値を創出したようにも見えます。
この音楽の情報化は、人類が録音を発明した日から少しづつ歩を進め始めたといえるでしょう。記録によって音楽、すなわち情報の共有化が始まったのです。しかしそれでもアナログ録音は、音楽──音の振動を「変形」させて記録したに過ぎす、dataとしての情報としては不十分でした。音楽の(現在の意味での)
しかし、情報化は、音楽が本来持っていたであろう不可解な部分、神秘的な部分すらも数値によって照らし出してしまいました。否、「照らし出した」ではなく、むしろ「神秘を無くしてしまった」と言う方がふさわしいかもしれません。音楽に備わっていたはずの神秘性は数値へと変質され、「得体の知れない何物か」から「操作の対象」へと変わってしまったのです。
しかし、「音楽は音楽である」ごとく、変質されてもやはりそれは音楽であり続けています──あるいは、あり続けなくてはならないのです。情報化された音楽の背景に、果して音楽の不可解や神秘は存在し続けているのでしょうか。あるいは、不可解や神秘を失ってしまった音楽は音楽たりうるのでしょうか。