【Music Bird】私的海賊盤考

レコードという媒体によって音が記録できるようになったときから、海賊盤というものが出回ることは、ある種の必然であったといえます。しかし、法律が余りにも複雑であったり、一度ならず入手してしまった経験があるためか、私としては避けるようにしている話題でもあります。

ーロに海賊盤といっても、正規の音源をコピーしたもの、演奏会を隠し録りしたもの、FM放送などを音源としたものから、複雑な著作権によって、結局どちらだか分からないグレーゾーンのものまで種々様々です。ただ、これらに共通して言えることは、少なくともこれらの音源の権利者(主には作曲家と演奏家)の権利を無視し、侵害しているということです。

コンピュータの発達によって、現在では全く音の劣化していないデジタルコピーを作ることが可能となり、実際巷には、海賊盤と思われるコピーCDが驚くほど多く出回っています。法治国家に籍を置く以上、これらの著作権を侵害した行為は厳に慎まれるべきであり、そのような行為に対して取締りや啓蒙活動が行われるべきであるのは言うまでもありません。

しかし、芸術作品と呼ばれるものと、このような(若干利権を感じさせる)法律による規制というものが、今ひとつ馴染まないように感じてしまうのもまた事実です。

バッハによるヴィヴァルディの編曲、モーツァルトによるバッハの編曲、ストラヴィンスキーによるペルゴレージの模倣、あるいはゴッホによる北斎の模写、アンディ•ウォーホルのキャンベル・スープやマリリン・モンローなど、今であれば著作権侵害ととられかねないことが、芸術の上では繰り返し行われています。

ところで、レコードコレクションの世界では時として面白い現象が起こります。それは、希少なLPの音源がCDなどによって復刻され、容易に聴けるようになると、それらによって演奏の真価を知った人々が、何倍、何十倍も高価なオリジナルのLPを探し求めるというものです。

この現象を逆説的に捉え、手元に置いておきたいと思わすにはいられない質の高いCDを制作すれば、そのコピー品あるいは海賊盤の価値は著しく損なわれ、逆に海賊盤によって演奏を知った人々が、質の高い正規盤を求めるのではないか、と考えるのはいささか楽天的に過ぎるでしょうか。

いずれにせよ、こと芸術に関しては、より良いものをつくる姿勢こそが何よりも重要なことであり、真に芸術的なものの前では、模造品はかけらほどの力すら持たないものである、と私は信じているのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年10月 掲載〕
写真:2人の大作曲家による著作権侵害!?作品