【本の街】No. 11 偽名盤の楽しみ(II)──10年落ちの偽名、ロマノ・ルバート

前回から随分間が空いてしまいましたが、もう一つ前代未聞の偽名盤の例をご紹介しましょう。

LP期のオランダを代表するレーベル、Philipsにロマノ・ルバートというイタリア風の名前を持ったヴァイオリニストによる小品集が2枚あります。しかし、このルバートなる人物、どの演奏家事典に当たってみても、このような演奏家の名前を見つけることはできません。

それならば、きっとその辺をブラついている音大生を引っ張ってきて録音し、適当な名前で発売したのかと勘繰りたくもなるのですが、サロン風の味わいのある実に甘美なその演奏は、とても学生には弾けるようなレベルのものではありません。それにまた、Philipsはメジャーレーベルの一角を占める立派なレーベルであり、およそ偽名を使ってレコードを発売するような会社ではないのです。

普通であれば、誰かは分からないけれどもなかなか良いレコードがある、で終わってしまうようなこの話ですが、後々とんでもない形での謎解きが待っていました。

Philips盤が発売されて数年後、今度は、オランダHMVから再びルバートのレコードが発売されました。しかも、今度のレコード・ジャケットにはカイゼル髭をたくわえた謎の演奏家、ルバートの写真が大写しに印刷されていたのです。なるほど、ルバートはこのような顔だったのか、と納得しながら、経歴でも書かれていないものかとジャケットの裏面を見ると、そこには髭をたくわえたルバートの横顔に向かい合って、頭の禿げ上がった人物の横顔が写された写真が目に入ります。

しかも、よくよく見てみると、その頭の禿げ上がった人物は、オランダの名ヴァイオリニスト、ナップ・デ・クラインではありませんか。さらに仔細にその写真を見ていくと、程なくしてルバートとおぼしきカイゼル髭の人物は、実はカツラと付け髭で変装をしたクラインであることに気付くのです。

世に偽名盤は数あれど、カツラに付け髭までつけて変装している偽名盤はこのルバートくらいのものでしょう。

それにしても、なぜクラインはこのような偽名を使ったのでしょう。単なる悪ふざけなのか、二重人格なのか。あるいは、峻厳そうな風貌から察するに、同僚や弟子の手前、自分の名前であのような甘美な演奏を発表するわけにはいかなかったのかもしれません。

いずれにしても、謎掛けから何年も後に、しかも、よくよく気をつけて見ないと見落としてしまうような方法で落ちをつけるというのは実に諧謔に溢れた方法ではないでしょうか。

〔本の街 2005年5月 掲載〕