これまで数回にわたって趣くままにジャケットの紹介をさせていただきましたが、ひとまずこの辺りで一区切りつけたいと思います。
とは言え、この種の気楽な書きなぐり文章に仰々しい結論をこじつけるのはいささか無粋な話です。最初からそのことを見越して「ジャケットの効用」にクエスチョンを付けておいたのだ、などと言ってしまっては、話が出来すぎでしょうか。
──昨年の夏、バスティーユの裏通りのレコード店で、ジャケットのイラストが気に入り長年探していた、コラ・ヴォケールのPathéデビュー盤を見つけ、それを店頭に飾っていたときのこと。それに目を留めたある人に、そのイラストがペイネのものであること、またフルトヴェングラーにもペイネのイラストのものがあることなどを教えていただきました。
ようやく探し出したフルトヴェングラーの《田園交響曲》フランス盤のイラストは、フルトヴェングラーのイメージとはおよそかけ離れたものでしたが「田園の交響楽」をそのまま絵にしたような素晴らしいイラストでした。
ペイネについては「恋人たち」の作者である、という程度の認識しか持っていなかった私でしたが、この一件によるペイネの再発見こそ、最近の私にとってのジャケットの効用であったようです。
個々のデザインの好き嫌いはともかくとして、かつてのLPレコードの黎明、発展期には、何かしらエスプリを感じさせるジャケットが存在したことは誰しもが認めるところでしょう。
大げさかもしれませんが、かつて「LPレコード文化」とでもいうべきものが存在し、ジャケットデザインはその
重要な構成要素であったのだと思います。
おそらく、往時のレコード製作に携わった人たちの「レコード」の概念では、ジャケットは決してレコードの保護袋などでは無かったのでしょう。
しかし、それはSP時代を引き継いだLPレコードという商品が、大量生産、大量消費のコマーシャリズムの渦の中へと巻き込まれていくまでの、ほんの束の間の出来事であったように思えてなりません。