マリオ・デル・モナコ(Mario Del Monaco, 1915-1982)は、ディ・ステファノと並ぶ大ドラマティック・テノール。写真右側は光の反射で傷みではありません。102×146mm 光沢印画紙プリント。青インクによる署名。
「サイン」一覧
フェルッチョ・タリアヴィーニ(Ferruccio Tagliavini, 1913-1995)はイタリアのリリック・テノール。イタリア歌劇団公演などで数度来日し、力強く豊かな表現で観衆を魅了した。殊にリサイタルでの甘い歌声は語り草となってる。105×146mm 光沢印画紙プリント。《メフィストフェレ》より。黒が強い写真なので見難いものの、青インクによるサイン。
ジュゼッペ・タッデイ(Giuseppe Taddei, 1904-1962)は、ジェノヴァ出身のバリトン。1936年のセラフィン指揮の《ローエングリン》でデビュー。戦争による中断を挟んで、1945年ザルツブルク、1946年にはウィーン国立歌劇場にデビューした。1986年ウィーン国立歌劇場における40年間の歌唱を表彰され「宮廷歌手」の称号を授与された。1956年第1回イタリア歌劇団公演のメンバーとして来日した他、1995年に藤原歌劇団の招きで約40年ぶりに再来日をしている(以上、Wikipaediaから抜粋)。122×167mm 印画紙プリント。達筆すぎて読めませんが、白インクによる献辞と署名。1954年の日付。
アメデオ・ベルディーニ(Amedeo Berdini, 1919–1964)は、イタリアのドラマティック・テノール。1948年頃サン・カルロ劇場でデビュー。歌曲や宗教曲でも活躍し、1952年法皇ピウス12世の御前演奏に出演した他、フルトヴェングラー指揮サンタ・チェリーリア管弦楽団による《第九》のソリストにもなっている。1964年にはサン・カルロ劇場の《カヴァレリア・ルスティカーナ》や《道化師》に出演したが、病によって急逝した。録音は少なく、チェトラの歌劇録音の脇役にとどまるが、RAI(イタリア放送)の歌劇放送には数多く出演したという。103×148mm 光沢印画紙。達筆すぎて読めませんが、白インクによる献辞と署名。
フランコ・ベヴァル(1904-1962, Franco Beval)は、ポーランド出身のドラマティック・テノール。1935年ワルシャワ歌劇場でデビューした後、1940年スカラ座でデビュー。コヴェントガーデンなどヨーロッパ各地の歌劇場にも出演した。ポーランド出身で最も成功したドラマティック・テノールと言われている。104×146mm 印画紙プリント。達筆すぎて読めませんが、青インクによる献辞と署名、1953年の日付。
アルド・ベルトッチ(Aldo Bertocci, 1915–2004)は、1940年代から70年代にかけてイタリア・オペラを中心として主にスカラ座で主役、脇役を演じ、現代オペラの初演にも多数参加。1960年にはカナダでオテッロ役も歌った(以上、フランコ酒井著『失われた声を求めて』より)。105×150mm 光沢印画紙。青インクによる署名。
ドイツの名チェリスト、ルードヴィヒ・ヘルシャー(Ludwig Hoelscher, 1907-1996)の署名入り写真。104×146mm 半光沢紙プリント。表面下部にやや滲んだ青インクによる署名、裏面にも同様に署名が入っています。写真は上部にやや目立つ折れ跡と、署名によるペン跡が薄くあります。
ハンガリーのヴァイオリニスト、アルベルト・コチシュ(Albert Kocsis, 1930-1995)のサイン入り写真です。アルベルト・コチシュは、フバイの高弟であった名教師エデ・ザトレツキーに師事したハンガリーのヴァイオリニストで、デネシュ・コヴァーチなどと同門となります。同年生まれのコヴァーチの影になり、録音は余り多くはないのですが、バッハの無伴奏やギターとの二重奏、日本でのリサイタル録音などを残しています。写真は83×113mm 光沢印画紙プリント。裏面に献辞と署名、表面にも一筆書きがありますが内容までは分かりませんでした。