なにやら世界名所巡りになりつつありますが、ヴェネチアです。
ヴェネツィアはクラシック音楽にゆかりの深いところで、ガブリエリやヴィヴァルディをはじめとして、ガルッピ、さらに現代音楽で知られるヴォルフ=フェラーリ、マリピエロとその弟子であるノーノなどもヴェネツィアの作曲家として知られています。
他にも、モーツァルトはイタリア楽旅時にヴェネツィアに滞在し、その時ガルッピからの影響を受けたと言われ、メンデスルゾーンはヴェネツィアの舟歌から有名な無言歌を残しています。また面白いところでは、あのストラヴィンスキーが墓地の島といわれるサン・ミケーレ島へ埋葬されているのですが、それについてのこぼれ話は後へととっておきましょう。
アドリア海の真珠、ヴェネツィアはまた、多くの文豪の愛する町でもありました。ボッカッチョ、シェイクスピアは言うにおよばず、バイロン、リルケ、プルースト、ヘミングウェイ、エズラ・パウンド等々…。
中でもトーマス・マンは、美と破滅の象徴としてのヴェネツィアを、美しく、しかし真実の持つ残酷さをもって描いています。当時のマンは、ヴェネツィアが徐々に沈みつつある(つまり滅びへの過程を歩んでいる)
1929年、グスタフ・フォン・アッシェンバッハの亡くなったこの地で息を引き取った人物がいます。バレエ・リュス、つまりロシア・バレエ団を率いて時代の寵児となったセルゲイ・ディアギレフです。後に大指揮者となる美少年、イーゴリ・マルケヴィッチを連れて立ち寄ったヴェネツィアで客死し、この地に埋葬されたのでした。
稀代の山師ディアギレフは、美の象徴である少年と、すでに名声を手に入れた者の死、という最後の虚構をこの地で完結させた、とも言えるでしょう。そして、ディアギレフ生涯の盟友ストラヴィンスキーは、没後この地への埋葬を望んだのでした。ディアギレフにとって、これ以上の追悼の辞はなかったでしょう。
この町は博物館には適していない。なぜならそれ自体が、一つの芸術作品、しかも人類が作り出した最高傑作だからだ。
ディアギレフ、ストラヴィンスキーと同じロシアの亡命詩人、ヨシフ・ブロツキーはヴェネツィアをこのように歌ったのでした。