12音技法の創始者にして現代音楽の祖、とも言うべきアルノルト・シェーンベルクは、その創作の中期──いわゆる無調時代に、作曲家ダリウス・ミヨーの言を借りれば「デカダン様式で、相当に悪趣味な」ベルギーの詩人アルベール・ジローの詩に基づく21の小曲からなる組曲《月に憑かれたピエロ(Pierrot lunaire)
この曲は、シェーンベルク自らが考案した、シュプレヒシュティンメ(Sprechstimme)
初演は1912年10月16日ベルリンにおいて行われ、作曲者による指揮、作曲を依頼したウィーンの女優、アルベルティーネ・ツェーメによる語り、弟子でもあったピアニスト、工ドゥアルト・シュトイエルマン──今なお色褪せないシェーンベルクのピアノ曲録音を残しました──によって演奏されました。1912年という年は、既に亡くなっていたマーラーの《交響曲第9番》がブルーノ・ワルターによって初演された年でもあり、《ピエロ》の初演一大スキャンダルであったとも言われています。面白いことに、翌1913年には、ストラヴィンスキーの《春の祭典》がパリで騒動となっています。
私とこの曲との出会いはクラシック音楽を聴き初めて間もなくで、聴きなれない不協和音とグロテスクな歌に戸惑いながらもこの曲に強く惹かれました。随分若かった私は、おそらくその題名の奇妙な語感と、ジローによるシュルレアリスティックな詩にまいってしまったのだと思います。熱狂、陶酔、忘我、甘美を誘う調性音楽──いわゆるクラシカルな音楽との折り合いをどうにかつけながらシェーンベルクとその周辺を聴き進んでいったのが、私と現代音楽の邂逅といえます。
その後も私にとって《ピエロ》は、シェーンベルク、現代音楽、あるいはクラシック音楽において常に特別な位置を保ち続け、事あるごとに聴き続けてきました。初めのうちこそグロテスクであり、デカダンであり、ある種居心地の悪い音楽と感じていたこの曲ですが、今聴いてみると、不安な時代を写しとっているのは確かではあるものの、12音技法へ向かう確固たる信念とエネルギーに満ち溢れ、むしろ美しさをすら感じてしまいます。
シェーンベルクは「音楽は美しくある必要はない、真実であるべきだ」と語り調性を捨て去りましたが、皮肉にも結果として生みだされた音楽は、えも言われぬ美しさを湛えたものばかりなのです。ここに「真実と美」のアイロニカルな矛盾を感じるのは私だけでしょうか。それにまた、シェーンベルクという言葉は「美しき山」という意味なのです。