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【Music Bird】体験する音楽

 音楽を聴くために耳は不可欠なものです。演奏会などでは目から得られる情報によって音楽の印象が変わることはあるのでしょうが、耳から得られる音を聴かなければ、音楽を聴いているとは言えないでしょう。

 しかし、困ったことにその耳というものは実に不確定的なものです。空耳、聞き違いなどのほか、音楽を聴く上では、その時の体調や温度、湿度、雑音など周りの環境、目からの情報など様々なものによって影響を受けてしまいます。これらの影響は、せっかくの名演が台無しになってしまうこともあれば、また逆に、これらの外的要因によって、さながら魔法のように得も言われぬような音楽を経験することもできるのです。

 これは耳が感覚器官というデバイスに過ぎす、実際の音は脳(と全ての感覚)で聴いているからではないでしょうか。このような意味において「音楽を聴く」ということは、ただ耳が音を感知しているというような単純な問題ではなく、人としての一つの体験であると言えます。

 例えば、感銘深い本──シェークスピアあるいはドストエフスキーでも──を読む前と後とでは、同じレコード(演奏)を同じ環境で聴いたとしても、同じように聴こえることはないでしょう。もっと突き詰めれば、同じレコードを2度繰り返して聴いたとしても同じようには聴こえず、聴くたびに新たな発見が見つかるはずです。もし同じレコードを何度聴いても同一にしか聴こえないのであれば、その人は音を聴いているのであって、音楽を体験しているとは言い難いとすら言えます。

 しかし、そもそも全く同じ環境の中で昔楽を聴くということはあるはすのない仮定の話です。何しろ音楽を聴いている間にも人は少しづつ年老いているのですから。

 「音楽を聴く」ということ、美しい旋律や音色を愉しむということは、その音楽を体験することによって生じる自分の変化を楽しむこと、あるいは、音楽を聴くまでに自分が経験したことを音楽によって再発見することであり、演奏家や作曲家の体験を音楽として聴き、それを自分の体験として受容することなのではないでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年6月 掲載〕
写真:オペラ・ガルニエのファサード彫刻で有名な、ジャン=バプティスト・カルポーの「貝を聴く漁師」をあしらった、デュクレテ=トムソン・レーベル。

【Music Bird】音楽の形式にみるドイツのロマン性

 音楽は音の芸術であると同時に形式の芸術でもあります。およそ音楽作品と呼ばれるもののほとんどは、何らかの形式に基づき、あるいは利用して作られています。この形式という概念は意外なことに他の芸術には余り見られません(この場合の形式は様式や技術などとは分けて考えています)。それは、芸術と形式というものが相容れないものであるという観念さえ抱かせるほどです。音楽以外のものでこの形式が見られるものには、文学における韻文や舞踊などが思い浮かびますが、いすれも音楽と密接に関係しているのも興味深いところです。

 なぜ詩や音楽が形式を必要としたのか、なぜ不自由な足枷をつけた表現を行わなければならなかったのか、より自由な表現によって芸術の可能性は大きく広がったのではないだろうか、という疑問が浮かんできます。

 私はその要因の一つがドイツのロマン的志向/ドイツ精神にあったのではないかと考えています。

 トーマス・マンの『ファウスト博土』では、芸術に対するドイツ人の暗いロマン的志向(感情)と理性との対立が描かれ、さらにその志向と第二次大戦との関わりにまで踏み込んでいます。より高みを求めたロマン的志向は、悪魔と契約を結び最後には自らを滅ぼしてしまいます。

 音楽における形式は、野放図に動き回ろうとする感情を、形式という枠の中に封じることによって、ロマン的感情よりも古典的な抑制を求めたことから生まれたと言えないでしょうか。バロック期にはフーガという枠が、古典期にはソナタという偉大な枠が生み出されています。ロマン派の時代になり、次第に人々の感情が自由に解き放たれるようになり、調性や和声の扱いが最も自由になったそのとき、シェーンベルクによって新たな枠が作られることになります。

 このようなロマン主義は、ロマン派音楽ばかりでなく多くの作品にその影を落としています。バッハの《フーガの技法》や、ベートーヴェンの作品111のソナタは、私にとっては究極のロマン主義音楽にすら思えるのです。その時代にはすでに古い技法となりつつあったフーガによって、バッハはゴシックを思わせる大伽藍を創造しますが、未完となった最後の四声のフーガにおいて、ロマン的感情がフーガという枠を超えようという瞬間に筆を置き、そこがフーガの終着点となったのです。フーガという枠はもはや枠としての役割を終え、機能和声という新たな枠がその役を引き継いだのです。

 『ファウスト博士』ではベートーヴェンの最後のソナタが次のように描かれています。

「ソナタは第二楽章で、あの途方もない第二楽章で終わりを告げた。〔……〕そして私が《ソナタ》というとき私はこのハ短調のばかりでなく、ジャンルとして、伝統的芸術形成としてのソナタ一般のことを言っているのである。(……〕それはその運命を果し、超えられない目標に到達して、止揚され、解体する。」
〔Music Bird プログラムガイド 2008年5月 掲載〕
写真:《フーガの技法》未完に終わった終曲の自筆譜

【Music Bird】ウラッハ、コンツェルトハウス四重奏団、ウェストミンスタ—・レーベル

 以前にDialレーベルを紹介した時にも少し触れましたが、LP初期のマイナー・レーベルは百花練乱であり、その演奏の質は玉石混淆とはいえ、中にはメジャー・レーベルに劣らないどころか、むしろ、より名演と呼べるようなものが少なからずありました。

 わが国の室内楽ファンにとって忘れられないマイナー・レーベルの一つがWestminsterレーベルです。レオポルド・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団による、モーツァルトの《クラリネット五重奏曲》は、文字通り不滅の名演であり、個々人の評価は別としても、聴いたことの無いクラシック・ファンはほとんどいないのではないでしょうか。

 また、コンツェルトハウス四重奏団の後輩に当たる、バリリ四重奏団によるベートーヴェンやモーツァルトの四重奏曲全集も、多くのファンを獲得してきたモノラル期の名演の一つです。

 ところで、バリリがコンツェルトハウスの後輩と書きましたが、この辺りの事情は少し複雑です。確かにバリリはコンツェルトハウス四重奏団のリーダー、カンパーよりも年少でしたが、バリリがウィーン・フィルのコンサート・マスターであったのに対し、カンパーは戦後までウィーン・シンフォニカーのメンバーであり、戦後の人員不足によって、ウィーン・フィルに入ったのでした。言ってみればバリリ四重奏団は戦前からの伝統ある「主流派」であり、そのメンバーも、前任者であったシュナイダーハン四重奏団のメンバーをそのまま引き継いでいます。このような事情は、それぞれの四重奏団の演奏の価値には全く関係の無いことではありますが。

 1949年、アメリカに創設されたWestminsterレーベルは、ヨーロッパに強い繋がりを持ち、戦争によって疲弊し、物資が不足していたヨーロッパに強いドルを持って乗り込み、短期間に膨大な数の録音を成し遂げます。
 最近、再発売されたCDのライナーノートや当時の証言を集めた本『ウィーン・フィルハーモニー──その栄光と激動の日々』などの資料によって、当時の状況がかなり詳しく窺えるようになってきました。それらによれば、録音は深夜遅く、オーケストラの仕事を終えた後に寒いスタジオで行われたであるとか、貰った報酬はわずかなもので、時には現物支給であったり、支払われないこともあったのだとか、当時の演奏家達にはレコードで聴く演奏からは伺い知ることのできない労苦があったようです。

 このような証言を辿ってみると、Westminsterレーベルというのは、随分と「けしからん奴ら」であるということになります。たしかに、バリリやカンパーは、半ば騙されたように思ったり、腹立たしく思ったこともあったことでしょう。しかし、遠く離れた極東の地で、今に到ってもなお愛好され、名演の第一に挙げられ、このような文章の俎上に上がっているのは、まさにその「けしからん奴ら」によってなのです。私たちは、この「けしからん奴ら」を糾弾すべきなのか、それともこのような録音を残してくれたことに感謝すべきなのか、実に悩ましいところです。

 CDの時代となり、技術の発展によるコストダウン効果も手伝って、現在はLP初期のように多くのマイナーレーベルが次々と出現してきています。このような動きがこの後どのように発展するのか、いろいろと想像を巡らせてしまう今日この頃です。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年4月 掲載〕

【Music Bird】サンクト・ペテルブルクの幻影と2人の音楽家

 プーシキンが『青銅の騎士』に詠い、ゴーコリがネフスキー大通りを讃え、ドストエフスキーがその虚構を見抜いたピョートル大帝の夢の都、サンクト・ペテルブルクは、およそ300年前に突如として作られた人工の都でした。

 ロシア帝国の首都となったペテルブルクには宮廷文化が花開き、プーシキン、ドストエフスキーをはじめとする多くの文人、チャイコフスキーをはじめとして、リムスキー=コルサコフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと続く多くの音楽的才能を輩出しました。
しかし、20世紀に入るとペテルブルクは多くの災厄──まるで、プーシキンが描いたネヴァ河の氾濫のように──を蒙ることになります。第1次世界大戦によるペトログラードヘの改名とそれに続く革命。モスクワヘの再遷都。レニングラードへの再びの改名と第2次世界大戦におけるドイツ軍との1年以上におよぶ市街戦など。
 これらの災厄によって、一時は隆盛を誇ったペテルブルクの音楽文化も次第に力を失っていきます。よく知られたピアニスト、ソフロニツキー、ユーディナ、それに作曲家でもあったショスタコーヴィチなどは、ペテルブルクで教育を受けながらも、モスクワで活躍した音楽家でした。

 このような中、レニングラード(ペテルブルク)には2人の大きな音楽的才能が40年余りの間をあけて生まれることになります。

 1人は、50余年に亘ってレニングラード・フィルの常任指揮者を務めたエフゲニー・ムラヴィンスキーです。ムラヴィンスキーは亡くなるまで常任指揮者の地位に留まり、このオーケストラをロシア随一、いやむしろ世界有数のオーケストラヘと育て上げました。
 もう1人は、モスクワの俊英を尻目に、若干16歳でチャイコフスキー・コンクールを制したピアニスト、グリゴリー・ソコロフです。モスクワの音楽筋、審査員、それに有力な出場者の誰もが──おそらく本人ですら──このレニングラードからやってきた若者が、難物の協奏曲2曲(チャイコフスキーの第1番と、いくつかの技巧的なものから選んだもう1曲──この時はおそらくサン=サーンスの第2番)を易々と弾いて優勝をさらうとは思っていなかったことでしょう。

 この年の全く離れた2人の天才──このような才能を前にして他に浮かぶ言葉がないのです──に共通する点は、生まれた街、レニングラードヘの強固な結び付きです。

 ムラヴィンスキーもソコロフもレニングラードを離れることを好まず、ムラヴィンスキーは国外はもとより、おそらく魅力的な提案があったであろうモスクワにすらほとんど関心を抱かず、終生レニングラードに暮らしました。

 一方のソコロフはさらに先鋭的で、モスクワを訪れたのは、チャイコフスキー・コンクールの時ただ一度で、その後は、現在までを含めて(現在はドイツで暮らしているようです)ただの一度もモスクワに足を踏み入れていないのです。

 およそ上からの命令が絶大であったソ連時代に、これほど徹底してモスクワを避けた──あるいはレニングラードを離れなかった理由とは一体何だったのでしょうか。

 私はそこに、他とはかけ離れた2人の個性と同時に、大地に根ざした伝統都市モスクワを嫌い、西洋を目指して造られた人工都市サンクトペテルブルクの、美しさと幻影に満ちた矛盾と同質の何かを感じてしまうのです。

おお、強力な運命の支配者よ!
このようにお前は深淵の眞際に、
高いところに、その鐵の馬勒をもって
ロシヤを後足で立たしたのではなかったか?
──プーシキン『青銅の騎土』より

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〔Music Bird プログラムガイド 2008年3月 掲載〕
写真:ソコロフ畢生の名演、《ゴルドベルク変奏曲》の演奏会録音

【Music Bird】ヤナーチェクとチェコの民族音楽

 私は残念ながらまだ体験していないのですが、飛行機がプラハの空港に降り立つとスメタナの《モルダウ》が流れてきて、チェコに到着したことをいやが上にも実感するのだそうです。

 たしかに《モルダウ》の憂愁をただよわせる旋律を聴くと──同じ組曲で《高い城》と訳される──ヴィシェフラドから眺めた、青い夕闇のせまるヴルタヴァ(モルダウ)川やプラハの街並みを思い出します。

 しかし、チェコの作曲家といって私が最もイメージするのは、スメタナやドヴオルザークではなく、レオシュ・ヤナーチェクなのです。晩年の傑作である弦楽四重奏曲《クロイツェル・ソナタ》を初めて聴いたとき感じた、広大な空間に音が解き放たれていくような感覚はこの時初めて経験したものでした。また、ミラン・クンデラ原作の映画『存在の耐えられない軽さ』を観たときも、そのストーリーや映像よりも、ヤナーチェクの音楽が印象に残ったものです。

 弦楽四重奏曲《クロイツェル・ソナタ》は、トルストイの小説『クロイツェル・ソナタ』を読み、その内容──不義をはたらいた妻を殺してしまう男の告白──に衝撃を受けたヤナーチェクが、その小説をモチ—フとして作曲したものです。
 小説の中には、妻と若いヴァイオリニストがベートーヴェンの《クロイツェル・ソナタ》を演奏する部分があり、遠くベートーヴェンにまで繋がる糸があります。

 《クロイツェル・ソナタ》をはじめとして、ヤナーチェクの傑作は晩年に集中しています。それは63歳の時に出会った若い人妻カミラ・シュテスロヴァとの道ならぬ恋によってもたらされたといいます。

 たしかに、歌劇《イエヌーファ》や《カーチャ・カヴァノヴァ》などは、許されぬ恋の悲劇を描いていますし、もう一つの弦楽四重奏曲《内緒の手紙》も、600通にもおよぶシュテスロヴァとの文通を暗示したものです。

 しかし一方で、歌劇《利口な女狐の物語》や《マクロプロスの秘術》、《死者の家》で描かれるような、輪廻や再生、開放という主題も取りあげています。ここには、民族主義運動や独立運動にも刺激されて真にチェコ的な音楽を探求したヤナーチェクの姿が浮かびあがります。

 クンデラは「チェコ民族は17世紀及び18世紀に、ほとんどその存在を止めてしまった」といっています。19世紀末に起こった民族主義運動は、独立運動であると同時に、チェコ民族が失われた200年を取り戻す運動であったともいえます。

 スメタナやドヴォルザークは、この失われた200年の溝を埋めるための土台を築いた作曲家でした。ヤナーチェクはその土台の上に、民族主義や故郷モラヴィアという土地から受けた影饗を消化し、ハプスブルク帝国の文化やロマン派音楽すらも乗り越え、独自の作風を手中にしました。それこそが新たな、真にチェコの民族的な音楽であると同時に、真に普遍的な芸術であったといえはしないでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年2月 掲載〕
写真:ヴィシェフラドからの夕景

【Music Bird】オペラ音楽のリアリティ

 ここ数ヶ月、連続して深夜にテレビ放送されていた2006年のザルツブルク音楽祭を何とはなしに見ていたのですが、作られる音楽や歌手の出来はさておき、多少の予備知識があったとはいえ、演出の新奇さには多少の驚きを覚えたものでした。

 ザルツブルク音楽祭やバイロイト音楽祭へ行った方のお話を伺っていると、オペラの演出は年々過激で先鋭になっているのだそうです。この傾向はドイツ語圏に顕著で、先日来日したバレンボイムとベルリン•シュターツオパーの《トリスタンとイゾルデ》や《モーゼとアロン》なども、私の周りでの評価は賛否相半ばでした。

 このような演出は、ヴィーラント・ワグナーによる「新バイロイト様式」がその端緒であると言われています。当時の大ワグナー指揮者、クナッパーツブッシュが舞台上を見て「舞台が空っぽじゃないか」と言ったのは有名な話です。「新バイロイト様式」はパトリス・シェローによって新たな生命を得て、現在の演出へとつながっていきます。

 ザルツブルク音楽祭のモーツァルトのオペラを見ていると、演出の過激さや奇抜さに目を奪われるのは初めのうちであり、ほどなくすると自然に意識は音楽へと移っていることに気が付きます。オペラ音楽は本質的に、演劇という現実のパロディに、さらに音のパロディである音楽を組み合わせるという、二重のパロディ性を持っています。そのため、「新バイロイト様式」が出現するまでは、オペラの持つパロディが些かでも現実感を持つために自然主義的な演出が行われるのが常でした。

 しかし、ザルツブルク音楽祭のオペラでは、音楽は逆に、パロディ化された演出を現実的なものへと繋げる唯一の線であるかのように感じられたのです。演出はパロディであると同時に現実の鏡であり、パロディ化されつつある現実を投影しているともいえます。そして、現実がパロディ化していくときに、失われつつある現実を唯一呼び覚ましてくれるのが音楽なのです。

 本来パロディであった音楽が現実を投影し、現実はますますパロディ化されていくのです。そして、現実とパロディを繋ぐ音楽の力を試すようにして、演出は過激に振舞っているように思えるのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2008年1月 掲載〕

【Music Bird】マイナーレーベルの狂花──Dialレコード

 1948年、アメリカColumbiaによってLPが開発されると、アメリカでは雨後の筍のようにマイナー(弱小)レーベルが乱立されます。歴史的な名演、レオポルド・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるモーツァルトの《クラリネット五重奏曲》を発売したWestminsterレーベルや、「松脂の飛び散る音が聞こえる」と評されたヤーノシュ・シュタルケルによるコダーイの《無伴奏チェロ・ソナタ》を録音したPeriodレーベルなどは、実はこうしたマイナーレーベルの一つに過ぎなかったのです。

 このようなレーベルの中でもひと際異彩を放っていたのがDialレーベルです。クラシックのLPはわずか19枚しか残さず、しかもその全てが現代音楽──当時の前衛音楽でした。Dialレーベルは、1946年、ロサンジェルスのレコード店店主であったロス・ラッセルが──その後、縁浅からぬ関係となる──チャーリー・パーカーの録音をするために興したレーベルで、パーカーとの長くはない蜜月関係を清算した後、LP時代に入ってからクラシックや民族音楽のレコードを短期間発売して消えていった、多くのマイナーレーベルのうちの一つです。Dialのクラシックシリーズには1番から20番までがあり、栄えある1番はバルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》でした。

 Dialが最も力を入れたのが、シェーンベルクと新ウィーン楽派の音楽です。主だったものには、シェーンベルクの弟子でもあったヴァイオリニスト、コーリッシュが第1ヴァイオリンを務めたプロ・アルテ四重奏団による《弦楽四重奏曲第3番》、ベルクの《叙情組曲》、ウェーベルンの弦楽四重奏曲集、同じく弟子であったヴァイオリニスト、コルドフスキーによる《幻想曲》や《弦楽三重奏曲》、やはり弟子であった指揮者、レイボヴィッツによる《室内交響曲》、《ナポレオン・ボナパルトヘの讃歌》、《月に憑かれたピエロ》、ベルクとウェーベルンの《室内協奏曲》、それにフランスのメリザンド歌手、イレーヌ・ヨアヒムによるべルクの《歌曲 作品2》などがあります。これらの演奏は、今日においてもなお最高の名演と言って差し支えのないものばかりです。

 最後の番号に当たる19番と20番の2枚組は、当時最も先鋭であったジョン・ケージによる《プリペアド・ピアノのためのソナタとインタールード》で、このレーベルの最後を飾るのに、これ以上相応しい結末は考えられなかったでしょう。

 Dialのクラシックシリーズのジャケットは、初期のジャズ・レコードのジャケットを数多く手がけたデヴィット・ストーン・マーティンによるもので、ケージの盤を除けば、全て同一のデザインによる色違いのジャケットが使われていました。見ていると目が回りそうになるレーベルの斬新なデザインもストーン・マーティンの手によるものです。

 Dialレーベルは、パーカーとの契約の問題や大レーベルの台頭などによって50年代早々には姿を消してしまいます。

 しかし、ビバップが最も熱気につつまれていた時代のチャーリー・パーカーの録音を残したこと、当時大レーベルですら顧みなかった現代音楽の数々を、最高の演奏家達によって残したこと、これら二つによって、ジャズ、クラシックいずれの世界でも永遠に語り継がれるレーベルになったと言えるでしょう。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年12月 掲載〕

【Music Bird】音楽と録音技術

 レコード録音の歴史は、エジソンの発明した蝋管にはじまり、ベルリナーによって実用化された円盤(ディスク)によって世に普及したのは周知の通りです。音楽をディスクという媒体に封じ込めようとした歴史は、ある意味でノイズとの戦いの歴史でもありました。初期に作られたSP盤(78回転ディスク)のノイズは、CDと比べると甚だしいもので、LPが発明されると、そのノイズの少なさからSPはあっという間に姿を消してしまうことになります。そのLPもまた、ノイズや取り扱いのデリケートさに問題があり、ついにはCDが開発されることになります。ここで人類は、初めて録音媒体のノイズという問題から開放されることになります。

 音楽録音の歴史がノイズとの戦いであったのであれば、ここにその目的は達成され、あとは音楽を録音し続けるだけで、新たな録音媒体の開発は不要のはすでした。ところが、CDが開発されてからも新たな機器の開発は依然として続いていて、DVDオーディオやSACDといった規格が次々と開発されています。これは一つには資本主義の歪んだ欲望があるのは間違いのないところでしょう。

 しかし本当の問題は別のところにあるようにも思われます。その顕著な表れが、LPやSPへの回帰です。人類は80年余りも音楽の邪魔をするノイズを消すために努力を重ねてきたにも関わらす、いざそのノイズが取り除かれてみると、音楽の本質はノイズによって邪魔をされてはいなかったのではないかという疑念を持ったのです。

 CDはまた──LPにもその予兆があったとはいえ──高忠実度(High Fidelity)の録音が、音楽の本質へと近づく道ではなかったのではないかという疑念も突き付けます。

 アドルノは1934年、すでにこのように書いています。

 ──複製されたものに具象的な忠実度を求める傾向が現れると、人はそうした技術を改善しようと試み、そこから具体性という成果を期待するようになる。ところがその
具体性がまやかしに過ぎないものであることを当の技術自身が暴き出してしまう。──

 アドルノの盟友ベンヤミンはまた、次のように書いています。

 ──複製技術の急速な浸透とそれと連動した芸術の大衆化は、芸術作品から「アウラ」という唯一性の輝きを失わせてしまった──

 たしかに、LPやSPにはCDにはない何かがあるように感じられる瞬間があります。しかし、我々がこのことに気づくのは、アドルノがまやかしとよぶCDによってのことなのです。

 それにまた、LPやSPはすでに役目を終え、歴史の中に埋もれ始めた媒体です。人類が再び音楽の本質を少しでも汲めるような媒体を開発できることが信じられればよいのですが。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年11月 掲載〕

【Music Bird】音楽の驚き

 我々はなぜ音楽にこれほど魅せられ感動するのでしょうか。

 スイスの言語学者ソシュールは、世界的な文学作品全てに共通する「ある秘密」を発見したと言われていますが、果たして音楽にそのような「ある秘密」が存在するのでしょうか。

 このような問いが、「ドミソ」という旋律を使えば必す心に響く、というような簡単な理由で片付けられるのであれば労はないのですが、古くはバロックから現代まで様々な様式や形式をまとってくる音楽は、黙して語らず、最後には心を揺さぶって去ってゆくだけなのです。

 誰もが知っている、ベートーヴェンの「歓喜」の主題を聴くとき、私はいつもその旋律の美しさや力強さに圧倒されるのですが、それにも増して驚くのは、この生命力溢れる旋律がたった五つの音による全音階によって作られているということを知る時です。この「驚き」は、感動を与えてくれる音楽全てに共通するものです。

 同じベートーヴェンの作品111のソナタの第2楽章で、たった3音からなる下降音形を端緒として胎動を始める音楽が、姿形を変容させながら、最後にもう一度3音の下降音形へと解決されてゆくその美しさを目の当たりとする時、最後にはドの次の音がなぜソである必要があったのか、なぜこのような旋律を書けたのかという驚きだけが残るのです。

 アリストテレスは言っています。「驚異すること(thaumazein)によって人間は、哲学を始めたのである。」

 音楽もまた「驚異」、「驚き」に満ちています。ただただ美しいことへの驚き、心を揺さぶる旋律への驚き、突き通すような音を秘めた演奏に対する驚き、そして音楽そのものが存在することへの驚き。繰り返し同じ曲を聴き繰り返し同じ演奏を聴いても、常に新たな驚きが発見されてゆくのです。

 この「驚き」が音楽の「ある秘密」であるかどうかはわかりません。面白いことですが、作曲家プロコフィエフはシチェドリンの「作曲の極意は何か」という問いに「いかに聴衆を驚かすかという事だ」と答えたといいます。

 ソシュールは「ある秘密」をとある文学者へ伝えたところ、その説は一蹴され、「ある秘密」を公にすることなく失意のうちに亡くなったといわれ、我々が「ある秘密」を知ることは永遠に叶わなくなってしまいました。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年10月 掲載〕
写真:ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品111の初版譜。

【Music Bird】もう一つのバイロイトの第九

 日本、あるいは世界で最も有名なベートーヴェンの第九交響曲の録音は、通称「バイロイトの第九」と呼ばれるフルトヴェングラー指揮のものであることは言うを俟たないでしょう。

 最近この「バイロイトの第九」の別の録音(テイク)が「日本フルトヴェングラーセンター」から発売されました。この「もう一つのバイロイトの第九」は全編が無編集となっていて、1951年の「バイロイトの第九」の真の意味での実況録音といえるものです。

 これまでにも「バイロイトの第九」は、有名な足音や不自然なノイズ、テンポなど、編集によって手が加えられた形跡があると言われてきたのですが、新たにこの録音が発見、発売されたことによってそれが裏付けられる結果となりました。このCDについては朝日新聞などにも取り上げられ、概ね意義深い録音として紹介されています。

 ともすればこの度発売されたCD(以後、新CD)が、編集したもの(以後、旧LP)に比して、そのリアリティの高さから、よりフルトヴェングラーの演奏に肉薄している、という評価もあるようですが、これについては慎重に考える必要があります。

 第ーに新CDは、放送用あるいは記録のために録音されたものですが、旧LPは、レコードとして発売するための音源であるということです。

 ここで問題となるのは、レコードとして発売される音源で無編集というものは極めて少ないということです。ましてやHMVのような大レーベルでは皆無といってよいでしょう。すなわち、レコードとして発売された音源は、無編集であることを期待できないことはもちろん、編集したものの方がより完成度が高いとも言えるのです。

 第二に、新CD、旧LP共に、フルトヴェングラーが承認した音源ではないことです。

 これはある意味で重要な問題です。フルトヴェングラーが承認していないということは、これら2つの録音は「フルトヴェングラーの演奏」ではあるけれども「フルトヴェングラーのレコード」ではないということに他なりません。

 旧LPについては、このような伝聞もあります。HMVのプロデューサーであるワルター・レッゲが「バイロイトの第九」の編集を済ませ、フルトヴェングラーもそのテープのプレイバックを聴いたものの、録音が良くなかったせいもあり、いずれまた新たな録音を行う予定でお蔵入りにしたのだそうです。しかし、1954年にフルトヴェングラーが急逝してしまったため、やむを得ず発売したのだというのです。

 もしこのとき発売を取りやめた理由が録音の質だけであるのなら、編集された演奏そのものはフルトヴェングラーの承認を得ているとも考えられますが、こればかりは真相を知る術が我々には残されていません。

 いずれまた俎上に乗せたい話題でもあるのですが、私は演奏者の承認というものは、レコードの最も重要な要素の一つであると考えています。レコード録音というものは演奏者やエンジニア、プロデューサーなど多く人によって創りあげていかれるものですが、演奏者の演奏なくしてレコー
ドは存在し得ないからです。

 ミュージックバードさんには、この新旧の「バイロイトの第九」を通して、新旧の存在の意義や編集の是非などの問題点について、聴き比べながら検討するような番組を期待したいところです。

〔Music Bird プログラムガイド 2007年9月 掲載〕
写真:国内発売盤「バイロイトの第九」。このデザインは各国の「バイロイトの第九」の中でも秀逸と思います。