Music Bird一覧

【Music Bird】について

縁あって、2006年より2010年3月まで衛星デジタルラジオ放送局「MUSIC BIRD」のプログラムガイドへ寄稿させていただいた文章です。「MUSIC BIRD」様のご好意で原稿を旧WebpageにPDF形式で転載させていただいておりました。

Webpage改装にともないまして改めて文章として掲載することにしました。今見直してみますと、誠に未熟な文章の数々汗顔の至りであり、Blogに収めるにあたっては若干の加筆修正等を行いました。

なお掲載画像は、原稿に掲載されたモノクロ画像をそのまま使用しております。


【Music Bird】藝術を疑え

私は余程のことがなければ国内の演奏家を聴くことは稀であり、演奏会であれ、録音であれ、海外の演奏家ばかりを聴いています。西洋かぶれの舶来主義者とのそしりは免れないところですが、作品の生み出された文化圏、あるいはその影響の残る文化圏の演奏家が醸し出す雰囲気、色合いを、全く異なる文化圏の演奏家が再現するのは至難である、という考えは未だ変わることはありません。

そこで、そもそも日本におけるクラシック音楽とは、芸術とは何であるのかと思い、調べてみると、その起源は意外にもはっきりとしていて明治時代へと入った時がその始まりだったのです。「Art」という言葉の訳語として「藝術」という言葉が造られ、それと共に「Art」という概念もまた日本に入ってきたのです。その時まで日本に「藝術に近似、あるいは照応する概念」はあったのでしょうが「Artという概念としての藝術」は存在しなかったのです。「藝術」に限らず、当時先進的だった西洋の概念は日本を瞬く間にして飲み込み、これを境として、日本における多くの学問、思考方法が、これら西洋の概念をもとに組み立てられていったのです。

結果として、例えば我々は「藝術」以前からわが国に存在した浮世絵を「藝術」と呼び、その歴史を西洋的思考である歴史学を用いて、研究、分類しているのです。極端に考えれば、明治以降の日本人は、日本に居ながらにして西洋の考え方を基として日本を見ているのです。

もちろん日本にはいまだに独自の文化、感覚、風習などは残っているのでしょうが、残念ながらそれらを見る視点の方がすでに日本独自のものではなくなっているのです。それも「西洋」の視点ではなく「西洋的」視点で、です。そこにわが国の「藝術」受容の問題点がありはしないでしょうか。

そこでクラシック音楽です。言うまでもなくクラシック音楽は西洋で生み出された西洋音楽です。これを日本人の「西洋的」視点で眺めたとき、あるいは西洋人が「西洋」の視点で眺めたとき、果たして日本人の演奏は正しく「西洋」であることは可能なのでしょうか。個人的な意見を言わせていただければ、それは否です。なぜなら「西洋的」な基準で築かれるものは、それをどこまで極めても「極上の西洋的」であり「西洋」ではないからです。

では日本人にはクラシック音楽、あるいは「藝術」を極める余地は無いのかというと、それはある意味では──すでに述べている通り──不可能であり、ある意味では可能なのではないかと思うのです。

まず一つ実現可能かどうかはともかくとして、ラディカルに完全なる西洋を目指すという方法が可能性としてはあります。しかしもう少し現実的な可能性の一つとして、日本独自の芸術(に照応する)概念を作り上げ(あるいは復古して)、その基準を軸として西洋の「藝術」を捉えるという方法があるのではないでしょうか。

いわば「日本から視た日本の概念による西洋」を構築するのです。多くを西洋文化に侵食されてきた日本でこのようなことを考えること自体がすでにパラドックスであり、労多くして益少なしであるかもしれませんが、日本が西洋文化を本当の意味で受容するためには、「藝術」を超えることが不可欠なのではないだろうかと考えつつ筆を置きたいと思います。

わが無能ぶりを隠すために深い議論を避け、長きにわたって好き勝手を書かせていただきましたが、今回をもって一応の区切りとさせていただくこととなりました。末筆ながらこ担当いただいた各氏にお礼申し上げます。

〔Music Bird プログラムガイド 2010年3月 掲載〕

【Music Bird】聴き比べの楽しみ──芸術の質

クラシック音楽鑑賞の醍醐昧の一つとして、全く同一の曲を異なった演奏で聴き比べることができる点があります。ベートーヴェンのピアノ・ソナタや交響曲など、いったいどれだけの録音が残されているのか、今となってはその数を数えるだけでも一仕事となってしまいます。

クラシックは多くの場合基となる楽譜があり、その楽譜から外れて演奏するということはほとんどありません(もちろん例外的に演奏家による編曲、楽譜が原典版であるか否か、など細かい相違はあるのですが)。ところがクラシック以外の音楽となると、楽譜そのものが無かったり、たとえ楽譜があったとしても全く同じように演奏するということは稀なことであり、クラシックの聴き比べのようなことはほとんど考えられないのではないでしょうか。

敢えて他の芸術に似たような例を探すと、能や歌舞伎、あるいは正教のイコン画のように一定の型が決まっているようなものが考えられるでしょうか。これらはいずれも「古典」と呼ばれるものである点で不思議な一致がみられます。

同じ楽譜でありながら、テンポの違い、音の強弱、ペダルの踏み方、ポルタメント、スラーの解釈など、演奏家によってさまざまな違いがあり、それらの細かな違いから「この演奏はロマン的な解釈である」「この演奏こそが正統な解釈である」などと侃々誇々できるのは、クラシック愛好家の一つの特権であるのかもしれません。しかもさまざまな演奏解釈が正統を競った挙句に、(昔の作曲家であれば)誰も聴いたことのない作曲家自身による最も正統的な演奏、というものまで仮想的には存在するのですから、議論はいきおい紛糾することにもなるでしょう。

ところで、聴き比べの話を聞いていていつも気にかかるのが演奏に上下を付けたがることです。以前にも書いたように、演奏すること、その演奏を聴くということは、ほぽ完全に主観的な行為ですから、これに順位を付け、さらにはその順位を他人と共有しようという企ては非常に危険かつ報われないことであるように思われます。音を間違えたとか、録音が良くないとか、およそ芸術とは関係ない部分にわずかな客観性が残されているのかもしれませんが。

同じように、演奏の好き嫌いと、その演奏の質そのものの混同も少なからず見受けることがあります。「この演奏のこの部分が嫌いであるから、この演奏は良くない演奏である」という意見は、音楽の重要な部分を見落としています。嫌いな演奏であっても質──この場合私が考えているのは芸術的な面における質──の高いものは存在するでしょう。また、およそ芸術的にはまだ未成熟である近所の子供の演奏が好きということも当然に起こりえることでしょう。

演奏を聴く上で好き嫌いをはっきりとするということ主観的になることは重要なことですが、同時に芸術的な質──これ自体も主観的であるが故に問題はより一層困難になるのですが──という別の尺度も考慮されなければならないと思うのです。

とはいえ繰り返しになってしまいますが、このような聴き比べができるのはクラシック愛好家ならではの特権であることは間違いのないことです。せっかくの権利なのですから大いに楽しみ、謳歌し、時には難しい議論などを戦わせてみたいものです。

〔Music Bird プログラムガイド 2010年2月 掲載〕
写真:あれこれと悩むのも聴き比べの楽しみ。

【Music Bird】情報について考える二、三のことなど

現代は情報化社会といわれるように、情報技術(IT)は、専門的な研究分野だけではなく、わたしたちの生活全般にとって欠かせないものとなっています。

一時「インターネットは世界を変える」などと言われ、私はそれを鼻で笑っていたものですが、たしかに世界は変わりました。何か調べものをするときに、百科全書、蔵書(これこそが知識の象徴であった)、あるいは専門家に頼らずとも、インターネットによって世界に張り巡らされた情報網を駆使すれば、一昔前までは考えられなかったほど多くのことを知ることができるようになりました。

いわば知識の多くはコンピューターのキーボードをくだけで手に入るような時代になったといってもよいでしょう。IT化以前であれば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタは何曲あり、それぞれの作曲年代は何年で、それらの調は……というような事を調べるのに、音楽辞典、曲名辞典などを頼らなければならなかったものが、今やいとも簡単に手に入ってしまう時代となってしまったのです。

以前は──否、現在でも、多くの情報(知識)を持っている人は、音楽をより理解しているというような風潮がありました。たしかに、ベートーヴェンがソナタを何曲書き、その作曲年代を知るということは、ベートーヴェンの音楽を理解する上で少なからず役には立つでしょう。しかしIT化によって、一個人が何十回、何百回生まれ変わっても咀嚼しきれないほどの膨大な情報が入手できる状況となった今、これらの情報によって音楽がより理解されているのかというと、さほど以前と変わりない、あるいは昔の方がより音楽を理解、感受していたのではないかとすら思えてしまうのです。

人は音楽を聴けば何かを感じ、考えます。それは、その音楽に関して多くの情報を持っている人も、そうでない人も、内容に違いはあるかもしれませんが何かを感受しているはすです。しかし、辞書やインターネット、解説書などで知ることの出来る情報をどれほど多く手に入れ、整理整頓し、その精度をどれほど高めたとしても、音楽を聴き、考え、感受することの代用とはなり得ないのではないでしょうか──それらは巧みに代用できるよう見せかけ、人もまたそれらを代用する利益を享受したがるのですが。

かつてLPを超え、無用のものとするために開発されたCDが、逆にLPの真価をあぶり出したように、IT化もまた、高度な情報であっても人の経験や感受に代わることはできないということを、あらためてあぶり出していはしないでしょうか。

──知識は芸術にあらざればなり──  クリュシッポス

 

〔Music Bird プログラムガイド 2009年12月 掲載〕
写真:無駄?な「情報」の多い、サティの《官僚的ソナチネ》

【Music Bird】神保町と文化と音楽と

わたしの店のある神保町は古くから本の街として知られています。神保町の周辺には大学や教育機関が多かったことから、明治中頃にはすでに古書店街としての素地ができていたようです。その後、本の街として発展の一途を辿っていた神保町も、大学の郊外移転やバブル経済による荒波、活字離れなどの影響から、書
店の数を徐々に減らしてきました。

ところが、2000年を前後してジャンルを特化したり、展示に工夫を凝らした新しい形の書店が少しづつ増え、レコード店も専門店と呼ばれる店舗が神保町に次々と開店しました。便乗するようにして、私が店を開いたのもこの頃のことです。

そんなこんなで密かな活況を呈していた神保町ですが、ここのところまた新たな風が吹いてきています。

それというのは、ここ数年、神保町にジャズ喫茶が次々と出店されているのです。ジャズ喫茶といえば、かつて神保町にはジャズ喫茶世代の方なら誰もが知っている「」という名店がありました(ジャズ喫茶世代でもなく、余り良いジャズの聴き手でない私でさえ何度か足を運んだことがあるほどです)。しかし、神保町の衰退に歩を合わせるかのようにして「響」は閉店し、神保町のジャズの火は消えたかに見えました。十数年を経た今、わずか数年の間に再びジャズ喫茶が5店にまで増えたというのは、何か気まぐれな偶然なのか、それとも「響」の蒔いた種が今になって花開いたということなのでしょうか。

隣町の御茶ノ水には楽器屋街もあり、今や神保町は音楽の街にもなりつつあるようです。しかし、私にとって神保町は今も昔も本の街であり、なにより「文化」のある街であってほしいと願っています。

文化は単純な経済活動だけでは成り立ちませんし、古いものを壊して新しいものばかりを作っていても生まれてきません。そうかといって、古いものを珍重して新たな価値観を否定していても、それも文化とは呼べないでしょう。古いもの、新しいもの、どちらとも言えないようなもの、それらの中で人々が生活し、経済活動を行い、これらが交じり合い、相互に影響しあっていることそのものが文化であり、写本時代の古書からどぎつい原色が踊る最新の雑誌まで、玉石混交の本の並ぶ神保町こそ、このような文化が根付くには恰好の地と言えるのではないでしょうか。そのような中に彩りの一つとして音楽がある、というのが私の願っている文化ある街なのです。

ところで、神保町という町名の由来は、今の神保町交差点近くに、神保伯耆守の広大な屋敷があったことからきたのだそうですが、神保という言葉については、古く中国では「神の依る所を神保となす」と言い、日本でも神社の領有地のことを指したのだそうです。そこから東西文化の錯綜をいとわず誇大妄想的解釈をほどこすと、神保町は音楽、芸術の神「ミューズ」の依る所と考えてはいささか想像が過ぎるでしょうか。

そういえば、神保町から錦華通りを挟んで向かいにある猿楽町の田来は、世阿弥を祖とする猿楽師(能楽師)観世太夫と観世一座の人々の屋敷があったからであったとか。こんなところにも神保町文化の源流が流れているのかもしれません。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年12月 掲載〕

【Music Bird】音楽は情報たりうるのか

職業柄日々考えてしまうのは、レコードとCDについてです。今更レコードはCDよりも音が良い、などと青臭いことを言うつもりは毛頭なく、実際私もどちらの音が良いのか、ということについてはまるで見当がつかないのです。あえてCDについて言えることといえば、CD=デジタル化は、あらゆる意味で人類が音楽を「情報」化した象徴であるということです。

「情報(informatio)」は、人が感じ取り、それによって何かを判断するあらゆる事象を指すもので、本来は音楽もその一部であるはすですが、昨今言うところの「情報(data)」は人の行動とは関わりなく、ある事象を数値として表す機能を指すことが多いようです。

情報は、はるか昔から(金銭的)価値を伴うものでしたが、多くの音楽が情報化された現在、音楽は1分いくら、あるいは何メガバイトでいくら、というように、実にロジカルに価値が決められていきます。

つい先日もビートルズのリマスター盤が大々的に発売されていましたが、これも少し意地悪く見れば、CDの情報をいくらか操作することによって、新たな価値を創出したようにも見えます。

この音楽の情報化は、人類が録音を発明した日から少しづつ歩を進め始めたといえるでしょう。記録によって音楽、すなわち情報の共有化が始まったのです。しかしそれでもアナログ録音は、音楽──音の振動を「変形」させて記録したに過ぎす、dataとしての情報としては不十分でした。音楽の(現在の意味での)情報化は、音楽を分解、すなわち「変質」させ、data化=デジタル化したことによって、高度に完成した姿になったと言ってよいでしょう。

しかし、情報化は、音楽が本来持っていたであろう不可解な部分、神秘的な部分すらも数値によって照らし出してしまいました。否、「照らし出した」ではなく、むしろ「神秘を無くしてしまった」と言う方がふさわしいかもしれません。音楽に備わっていたはずの神秘性は数値へと変質され、「得体の知れない何物か」から「操作の対象」へと変わってしまったのです。

しかし、「音楽は音楽である」ごとく、変質されてもやはりそれは音楽であり続けています──あるいは、あり続けなくてはならないのです。情報化された音楽の背景に、果して音楽の不可解や神秘は存在し続けているのでしょうか。あるいは、不可解や神秘を失ってしまった音楽は音楽たりうるのでしょうか。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年10月 掲載〕
写真:情報化へ抵抗し続けた作曲家、ジョンケージのDial盤。

【Music Bird】感性の異邦人

先日とあるきっかけから、どこで読んだものだったか、音楽好きの論客同士が激論の果てに「私は君の理解するように音楽を聴くことはできないが、君も私の理解するように音楽を聴くことはできない」という捨て台詞を吐いたという話を思い出しました。この言葉はまさしく名言で、演奏するにせよ聴くにせよ、音楽体験というものは個人がそれぞれ他者とは違う感性で体験するものであって、その感性が他者と完全に一致するということは、まずありえないことであるといってよいでしょう。

このようなことを思い出したのは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの辻井伸行さんがヴァン・クライバーン・コンクールに優勝したというニュースを聞いたときのことです。

盲目のピアニストが優勝したと聞いてまず感じたのは、盲目でありながらよくぞまあこのような難関を突破したものだ、ということです。盲目であるということは楽譜が直接読めないという点で決定的に不利であって、いかに天与の才があったとしても、おそらく普通の演奏家には考えられないような努力が必要であったことは想像に難くありません。

これは実際に辻井伸行さんと室内楽を競演した方から聞いたのですが、コンクールの室内楽の課題曲であったシューマンのピアノ五重奏曲をほんの数週間で完璧に記憶してしまった、と舌を巻いていました。

しかし、ひねくれ者の私にとって、若干の驚きを別とすれば、このようなことはプロの演奏家であればたとえハンデがあったとしても当たり前のことであって然るべきだと思うのです。

そこで次に頭に思い浮かんできたのが、冒頭の話です。盲目の世界というものは、単に目が見えなくて生活が不便であるとかピアノを弾くのが難しい、というような単純なものではなく、全ての生活、全ての人生を目以外の情報によって行い、それらの情報によって感性や感覚、感情が育まれ、思考するという点において、およそ我々健常者には想像しえない世界であるように思うのです。盲目の人が体験するあらゆる感覚や感情、思考などは、おそらく我々には一生経験しえないものであり、しかし盲目の人もまた、我々が感じるものを一生経験しえないのであろうと、ニュースを聞きながら私はそのように思ったのです。

きっと辻井さんはその想像しえない世界というものをたとえ水の一滴のようにわずかなものではあってもピアノを通して我々に表現し、審査員もまたその感性に魅せられ、応えたのではないでしょうか。

思えば、ヴァンクライバーンその人も──グレン・グールドという先例があったにせよ──鉄のカーテンに閉ざされていたソ連に単身乗り込み、おそらくはソ連の音楽人たちが一度も味わったことのない感性によって、審査員を虜にしたのではなかったでしょうか。このようなことからも、辻井さんがヴァン・クライバーン・コンクールで優勝したというのは象徴的な出来事であったように思います。

願わくば、「盲目なのにすごい」というような言葉で我々の感覚を押し付けられることなく、(この文章のような)無粋な注釈を加えられるようなこともなく、演奏家として、芸術家として大成されることを祈るばかりです──芸術の道は厳しく険しいものである、というのもまた事実ですから。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年8月 掲載〕
写真:1972年モスクワ再訪時のMelodiya録音。

【Music Bird】死からはじまる音楽

今年は「ラ・フォル・ジュルネ」でバッハが取り上げられるなどして、バッハが再び脚光を浴びているようです。わたしも、もう随分と前から毎年4月前後の聖金曜日が近づいてくると、バッハの《マタイ受難曲》を聴き、クリスマスが近づけば、やはりバッハの《クリスマス・オラトリオ》を聴くというのが習慣となっています。

わたしは多くの日本人がそうであるように消極的無宗教者であってキリスト教には全く縁遠い存在なのですが、クラシック音楽、特にバッハに親しむうちに、徐々にキリスト教やその概念になじみが深くなっているようで、聖金曜日が近づいてくると《マタイ受難曲》を聴くというのもそんな影響の現れなのかもしれません。

わたしにとっての《マタイ受難曲》といえば、それはメンゲルベルクの歴史的録音を措いてより他に考えられません。カール・リヒターの打ち立てたモダニズムや、昨今の古楽器的解釈からすると、それはまさにアナクロニズムの見本とされるような演奏であり、録音も今の水準からみると完璧とはほど遠いものですが、それでもなお、わたしはこの演奏より強く心揺さぶられる演奏に未だに出会った事がありません。

この演奏の歴史的な経緯についてはすでに多くが語られていますので、ここで改めて書き連ねるのは愚行ですが、それでもあえて言えば、この演奏は1939年という時とオランダという場所でしか成し得なかったものであるということは間違いないように思います。

奈落へと渦を描きながら落ちていくような二重唱と合唱「かくてわがイエスはいまや捕らわれたり」。「主よ、憐れみ給え」のアルト独唱とツィンメルマンによるヴァイオリン・オブリガート。そこには聴衆の啜り泣きまでがレコードに刻まれており、それはまさに、イスラエルの民のすなわち当時のオランダ、ヨーロッパの人々の悲嘆焦燥、それに悔悟と重なりあって悲痛な響きとなって聴こえてくるのです。

わたしが《マタイ受難曲》を聴き始めた当時は、終曲の「われらは涙流してひざますき」を聴き終わると、死によって全てが終わり、閉じられた、というように感じていたものですが、時を経るにしたがって、それは終わりによる始まり、死による新たな始まりを暗示しているのではないだろうか、と考えるようになってきました。

極論めいてしまいますが、キリスト教自体が、死によってはじまる、全ての終局から生まれる宗教と言えはしないでしょうか。これはわたしのように仏教国で暮らす享楽的無宗教者にはなかなか近づき難い感覚です。

《マタイ受難曲》を聴きぽんやりとそんなこんなを考え、少しながら理解しようと努めながら、今まで聴き親しんでいた曲──クラシック音楽、キリスト教から生まれた音楽──をあらためて聴いてゆくと、そこにはまた、今まで聴いていたものとは違った新たな音、色や物語が感じられるようになってくるのです。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年7月 掲載〕

【Music Bird】晩年のスタイルに関する考察(の模傲)

演奏家は音楽を表現するために、芸術的な表現力だけではなく、楽器を操るために相当に高度な技術・技能を必要とします。楽器演奏を習ったことのある方であれば、その技術を得る事がいかに難しいことであるか、よくご存知ではないかと思います。

いかに芸術的素養があり、表現する意欲があったとしても、それを表現するための技術が無ければ、音楽を芸術として表現することができない。

技術と芸術性は音楽にとって車の両輪のようなものであるといえます。しかし、技術を常に十全に保っていくことは難しく、また老いによる衰えといったものを無視することはできません。年を重ね、音楽についてより深く、より多くの理解を得るようになった頃には、それを表現する技術が衰えてしまうという皮肉が起こり得るのです。そこが芸術の難しさであり、不思議であり、アイロニカルなところです。

「技術的衰えは隠せないがその表現は枯淡の境地で……」というような慣用句の使われる演奏は数多くあります。しかし最近私は、果してこのような演奏が本当に技術の衰えだけから来るものなのか疑問を感じるようになっています。

たとえばジョルジュ・エネスコによるバッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》は、かねてからその音程の不安定さが議論の的となっていた録音で「至高の芸術である」というものから「聴く価値すらない」といったものまで、実に多様な感想を聞くことができます。また、ロシアのピアニスト、ゲンリヒ・ネイガウスの晩年の演奏会録音を聴くと、ショパンのロンドの音の多いパッセージを、音が外れてもまるで紙をくしゃくしゃと丸めてしまうようにして、興のおもむくままのフレーズとして表現してしまいます。

このような演奏は、たしかに一聴すると技術の衰えや老いにかこつけた手抜きのようにも思えるのですが、何度もそれらを聴いているうちに、そのような表現はわざと──確信犯的に行っているようにも聴こえるのです。あるいは、仮にそれが技術的な問題であったとしても、あえてその問題を修正する必要性を感じてないかのように、です。エネスコあるいはネイガウスにとって音程や音が外れることは、彼らの表現しようとしている音楽にとってそれほど大した問題ではないとでも言わんばかりです。そして、確かに彼らの音楽は音程の不安定さなどが気にかかることはほとんど──全く無く、ただバッハ、あるいはショパンの音楽のみを感じることができるのです。

これを老境の味わいというには余りに短絡的ですが、円熟、あるいは老境を迎えるにつれ、演奏家の技術的側面に対する拘りというものは、あきらかに退行していく傾向にあるようです。

ではなぜ、若い演奏家はそのような演奏をしないのか、本当に確信犯なのか、楽譜通り演奏しないのであれば楽譜の意義は……この種の疑問は数限りなくありますが、聴いている音楽に演奏家や作曲家、あるいは芸術を感じている限りにおいて、あえてその答えを求める必要はないのかもしれません。

芸術家は、もはや、傲慢さとも尊大さとも緑を切り、
そのあやまちを恥することもなく、いわんや老齢と追放の身の帰結として
得られた控えめな確信めいたものを恥することもないのである
──エドワード・サイード『晩年のスタイルに関する考察』より

 

〔Music Bird プログラムガイド 2009年6月 掲載〕
写真:晩年のエネスコとネイガウス。

【Music Bird】スイトナーの《とんぼ》

音楽を聴いていていつも不思議に思うのは、音楽とは一体何であるのということです。哲学のように、どこから来てどこへ行くのか、と難しく考えるのは面倒なのですが、時折、音楽とは一体自分にとって何なのかと考えてしまうのです。

* * *

先日テレビで、スイトナーという指揮者のドキュメントを放送していたのですが、これがまことに興味深いというか人と音楽について考えさせられるドキュメントでした。

オットマル・スイトナーはNHK交響楽団に客演したり、手兵ベルリン・シュターツカペレを率いてたびたび来日していたことから日本では馴染みの深い指揮者です。私も何度かその演奏会に足を運んだものです。

しかしスイトナーは、ベルリンの壁崩壊とともに東西ドイツが合併した頃、突如として表舞台から姿を消したため、当時は重病説や政治的な問題などさまざまな憶測が流れました(実際に当時の東ドイツでは、社会主義崩壊を悲観してピストル自殺を遂げた指揮者もいたのです)。結局のところ私も真相を知らぬまま今日に至っていたのですが、ドキュメントによれば、パーキンソン病を患って自ら引退を決意したというのが真相であったのだそうです。

このドキュメントはスイトナーの息子イゴールによって製作されたものですが、ドキュメントの中でそのイゴールは実は西ベルリンに住んでいたスイトナーの愛人の息子であり、東側には正妻もいたことなどが明らかにされていきます。愛人レナーテとの出会いの場所バイロイト、教鞭を取ったウィーン音楽大学、生まれ故郷インスブルック近郊の小村などを訪れる姿などが淡々と描かれていきます。

スイトナーは事あることに「私は年を取った」と息子に言いますが、息子の弾くバッハの前奏曲に意見を述べたり、モーツァルトのKV 543をまだ暗譜していると言う姿を見ていると、引退して20年余り、常に音楽の中に生きてきたように感じられました。

ドキュメントの最後には息子の願いを聞きいれて、ベルリン・シュターツカペレと共にモーツァルトのKV 543と J・シュトラウスの《とんぼ》を演奏します。モーツァルトはスイトナー十八番の曲ですが、最も好きな曲として《とんぼ》を挙げたのには少なかず驚きました。

東ドイツでの困難なポストを長らく務め、バイロイトや日本、ウィーンなど各地で名声を得、不本意ながらその地位を辞して老境に達した音楽家が、なぜ──我々が暗に期待するような──バッハやベートーヴェンではなく、J・シュトラウスのそれも小曲を選んだのでしょうか。

「人の気持ちを明るくさせる曲だ……とんぼが飛んで行く姿を音楽で表現するのは難しい……この曲を演奏すると指揮者もオーケストラも観客も幸せな気持ちになれる……」と《とんぼ》について語る言葉の中には、私には到底知りえない「音楽とは何であるのか」という問いの答えが含まれているのかもしれません。

〔Music Bird プログラムガイド 2009年5月 掲載〕
写真:1981年シュターツカペレ・ベルリンを率いて来日した時のプログラム。