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竹内進 バリトン・リサイタル

ひとつ飛ばしてしまいましたが、昨年12月6日に行われた竹内進さんによるフランス歌曲リサイタルです。

竹内さんはフランスの名バリトン、カミーユ・モラーヌに師事された方なのですが、私にとってもモラーヌは特別な存在であったため話の合わないはずはありません。時々ふらっとお店に現れては、モラーヌ来日時の話、モラーヌのライバルであったジャック・ジャンセンのこと、留学時代のスコラ・カントルムの話などを聞かせてくれるのです。

そんな竹内さんは、年に1度フランス歌曲リサイタルを催されており、その年ごとに作曲家やテーマを定めたプログラムを用意されます。昨年はプーランクでしたが、今年はさらに一歩進んで、フランス六人組胎動期の作品です。

一口に六人組の歌曲作品といっても、プーランクは歌曲全集が発売されているなど比較的その作品は知られていると思うのですが、他の作曲家はというと、ミヨーやオネゲルといった有名な作曲家ですらあまり録音がなく、オーリック、デュレ、タイユフェールともなると、歌曲の録音を探すこと自体が骨の折れる作業となってしまいます(これは主にレコードの場合ですが、CDでもそれほど事情は変わらないと思います)。

それでもSPの時代から、六人組の歌曲コンサートを始めて行ったジャヌ・バトリやクレール・クロワザがいくつかの録音(作曲者自身のピアノによる)を残していますし、高名なメリザンド歌手イレーヌ・ヨアヒムは、LP初期に「フランス六人組」という大変に素晴らしいアルバムを残しています。

竹内さんのコンサートの特徴の一つは、歌う前に竹内さん自らが、ときには関連する資料や写真を手に、曲を解説をすることです。その朴訥とした口調と、「今日はどうものどの調子がおかしくて…」とか「練習不足で…」と言うような、わたしが勝手に「自虐ネタ」と呼んでいるコメントを聴くのが密かな楽しみとなっています。

もう一つの特徴は、訳詩付きの大変に凝ったプログラムで、訳文も竹内さん自らが意味の伝わる範囲で逐語的に訳されたもので、巷で読むことのできる文学的意訳とは、また一味違ったものとなっています。そもそも、多くの曲は日本語の訳文さえ手に入れるのに一苦労するようなものばかりなのですが。

肝心のコンサートは、ご本人はこれまた自虐的に「今日は特に調子が悪かったので…」とおっしゃっておりましたが、私は初めて聴くデュレのモダンな作風に「おお」と思ったり、ミヨーの「花のカタログ」が、実は花屋さんの宣伝をそのまま詩に使っていることを初めて知ったり、おなじみ動物詩集でアポリネールの天才ぶりを再認識したりと、実に楽しい一夕となったのでした。

昨今は、本場フランスでもフランス歌曲はあまり顧みられていないように思います。ましてや日本でフランス歌曲を聴く機会というのは、(外来演奏家が歌うような有名曲を除けば)非常に限られていると言わざるをえません。竹内さん自らおっしゃるように、師であるモラーヌとは比較できないのかもしれませんが、このような機会を毎年用意してくださる竹内さんの姿勢には頭の下がる思いです。

 


再びブログ作り

classicus.jpドメイン唯一の顧客(容量が余りまくっているゆえの居候とも言いますが)「Ralph & Sunnie」のWebページですが、これまではhtml(xhtmlではないところがミソです)で作り、細々と更新していました。

しかし、ライブやイベントの告知による更新が多く、また将来的にはWebでのCD販売なども視野に入れ、ここのところ「Ralph & Sunnie」Webページ、ブログ化プロジェクトを水面下で計画していたのです。ブログ化すれば、販売CDや過去のイベント告知の一覧なども簡単に得ることができます。

そんなわけで、何度か試験的にページを作ってみたりはしていたのですが、本格的な製作はなかなか時間がとれずに(気が乗らないともいいます)延び延びになっていました。しかし、(ご存知の通り)ここのところまとまった時間がとれたこともあり、気分転換も兼ねて再びブログ化に着手することにしました。

ブログのベースは、当然、classicusブログと同じWordPressなのですが、手間を省くために出来るだけ手を加えなくても良いようなフリーのテーマ(外観)を探すことにしました。

しかし、わたしの作り方というのがもともとスクラッチビルド式で、きちんとした完成図のイメージがないこともあって、なかなか「これ」と思えるテーマが見つかりません。10種類近いテーマをあれやこれやといじくってみたのですが、どうもしっくり来ないので、結局はclassicusブログと同じ、使い慣れた「Empty Canvas」というテーマをベースとして作っていくことにしました。いずれにしても目指すはシンプルでしたので、落ち着くところに落ち着いたというところでしょうか。

とはいえ、classicusブログのように文字情報だけというわけにもいきませんので、タイトルには画像ロゴを、サイドバー部分には写真を入れ、文字の色や行間、背景などこまごました部分を少しづつ変えてみました。

あれを変えるときはスタイルシート、これを変えるにはPHP、これはウィジェット、といった具合で、あちらこちらをいじくっているうちに、スタイルシートやPHPに妙に詳しくなってしまいました。本業をおろそかにして困ったことです。

おかげで、パっと見では同じテーマと分からないようなページになったのではないかと思います(よく見ればすぐに分かりますけど…)。


ヴィンタートゥール [News写真2005年6月]

ヴィンタートゥール、ウインターツール、ウィンタートゥーア、正直、わたしは実際にどのように読むのか良く分かりません。

いきなりの脱線で申し訳ありませんが、地名、人名の読み方で、ずいぶん昔に「アイヴズ、アイヴス論争」と私が勝手に名づけた、ため息しか出てこないような論争があったのを思い出しました。

ざっくり要約してしまうと、アメリカの作曲家アイヴスを、アイヴスと読むかアイヴズと読むのかで紛糾したのです。この手の議論は、クラシック評論などでも散見され、ヴァグナーかワーグナーか、ドヴォルザークがドゥヴォジャークか、ドビュッシーかダビュシかなど。そこそこ名の知れた評論家先生がこのようなことを得意げに書いているのを見るとがっかりしてしまいます。

ただ個人的には気になっている読み方もあります。ドイツ系フランス人のソプラノ、Irene Joachimです。彼女の父はドイツ人ですから、まっとうに読めばヨアヒムだと思うのですが、仏文出の人はジョアシムと読みますし、ジョアキム、ヨアキムと読む人もいます。さらにはジョアシャンと読む例まであって、何がなにやらです。

わたし自身は、日本人が欧米人の名前を正しく発音するのは難しい上に、それをカナで正確に表記するというのは、そもそもがナンセンスであると考えています。これを逆説的に(弁証法的にと書いたほうがスノブらしいでしょうか)考えると、例えば鈴木さんが外国の人に、スズーキーさんと呼ばれても、シュズキさんと呼ばれても、大して気にはならないし、どちらであっても呼ばれていることは十分わかると思うのです。本田さんはフランスへ行けば恩田(オンダ)さんへと変身してしまいますし…。稀には、名前を間違えて読んだり、書いたりすると激昂される方もいらっしゃいますが。

そういえば、ロシアの知り合いにワレリーさんという方がいるのですが、この人にメールをする時に、わたしは実に日本人らしく、VarelyとValeryを良く間違えてしまうのです。向こうでは少しムっとしているのかもしれませんが、とくに怒られたことはありません。また、ワレリーという呼び方も、実際にはワリェーリィーというような発音なのだそうで、何度真似してみても「違う」と言われてしまいます。

話が大分それてしまいました、ヴィンタートゥールです。チューリヒから20kmほどのこの小さな町には古くから音楽院があり、日本ではWestminsterレーベルの録音で知られるウィーン出身のヴァイオリニスト、ペーター・リバールがそこで長く教えていたことでも知られています。

スイスは小国でありながらも、中立国であり、風光明媚な保養地も多いため、多くの音楽家が訪れ、あるいは終の住処とし、時には録音を残しました。音楽という面においてはヨーロッパ有数の豊かな国であったといえます。

しかし、ヴィンタートゥールといってわたしが一番に思い出すのは、地元のレコード店主に招待してもらった丘の上の農家のような作りの食堂で食べた、生ハムと野菜の盛り合わせです。日も暮れて薄暗い店内で、飾り気なく板の上に盛られた、素材の味が口いっぱいに広がる生ハムと野菜をパン片手に食べた記憶が、いまでも鮮明に残っています。


ヴェネツィアのゴンドラ [News写真2005年5月]

なにやら世界名所巡りになりつつありますが、ヴェネチアです。

ヴェネツィアはクラシック音楽にゆかりの深いところで、ガブリエリやヴィヴァルディをはじめとして、ガルッピ、さらに現代音楽で知られるヴォルフ=フェラーリ、マリピエロとその弟子であるノーノなどもヴェネツィアの作曲家として知られています。

他にも、モーツァルトはイタリア楽旅時にヴェネツィアに滞在し、その時ガルッピからの影響を受けたと言われ、メンデスルゾーンはヴェネツィアの舟歌から有名な無言歌を残しています。また面白いところでは、あのストラヴィンスキーが墓地の島といわれるサン・ミケーレ島へ埋葬されているのですが、それについてのこぼれ話は後へととっておきましょう。

アドリア海の真珠、ヴェネツィアはまた、多くの文豪の愛する町でもありました。ボッカッチョ、シェイクスピアは言うにおよばず、バイロン、リルケ、プルースト、ヘミングウェイ、エズラ・パウンド等々…。

中でもトーマス・マンは、美と破滅の象徴としてのヴェネツィアを、美しく、しかし真実の持つ残酷さをもって描いています。当時のマンは、ヴェネツィアが徐々に沈みつつある(つまり滅びへの過程を歩んでいる)ということを知ってはいなかったと思うのですが、権威、名誉が美の前に滅んでいく場としてヴェネツィアを選んだというのは、決して偶然ではなかったように思います。

1929年、グスタフ・フォン・アッシェンバッハの亡くなったこの地で息を引き取った人物がいます。バレエ・リュス、つまりロシア・バレエ団を率いて時代の寵児となったセルゲイ・ディアギレフです。後に大指揮者となる美少年、イーゴリ・マルケヴィッチを連れて立ち寄ったヴェネツィアで客死し、この地に埋葬されたのでした。

稀代の山師ディアギレフは、美の象徴である少年と、すでに名声を手に入れた者の死、という最後の虚構をこの地で完結させた、とも言えるでしょう。そして、ディアギレフ生涯の盟友ストラヴィンスキーは、没後この地への埋葬を望んだのでした。ディアギレフにとって、これ以上の追悼の辞はなかったでしょう。

この町は博物館には適していない。なぜならそれ自体が、一つの芸術作品、しかも人類が作り出した最高傑作だからだ。

ディアギレフ、ストラヴィンスキーと同じロシアの亡命詩人、ヨシフ・ブロツキーはヴェネツィアをこのように歌ったのでした。


ヴァンドーム広場(パリ) [News写真2005年4月]

花の都、芸術の都、パリです。

パリへ行く前は、パリ経験者(誰あろう、そのうちの一人はわたしの姉ですが)から、犬のフンが路上に放置されていて臭いが…とか、思ったよりも綺麗じゃない、などと聞かされ、つまりそれほどのところでもないのかな、と漠然と思っていたのですが、初めて行ってみて、その町並みの美しさや、ラテン的いいかげんさも含めた人々の活気と洗練に、なかば圧倒されたのでした。(予告どおり、犬の糞はそこかしこにありました…が)まさに百聞は一見にしかず、なのです。

パリの魅力はそれだけにとどまらず、古いものを大切にするという国民性からか、古書や中古レコード店の多い町でもあるのです(それでもずいぶん数が減ってきてしまいましたが)。市のはずれには、常設のフリーマーケットが2ヶ所あり、新品にしか興味がない、という人々を除けば、1日見て回っても飽きないようなところです。

わたしとは縁遠いのですが、一時、パリといえばブランド品をしこたま仕入れにいくところでもあったようです。ヴァンドーム広場は、その歴史的経緯はともかくとして、現在は高級ブランド店と高級ホテルの立ち並ぶ、パリの別の一面を代表する場所と言えましょう。

ヴァンドーム広場はまた、その一角にかのショパンが住んでいたことでも知られています。日々レコード探しと美術館やら名所を巡っていたわたしも、やはり一度は拝観しておかなければならないところ、というわけです。

夕暮れを予感させる斜めの陽射し、ヨーロッパらしい高い空、散り散りに空を覆う雲、見事なまでの統一感をみせる建物など、思わず「ああ美しい」という言葉が口をついて出てしまうような一瞬です。

 


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(ゴルドベルク変奏曲)

明けて12月24日は、ゴルドベルク変奏曲です。

演奏会場は、平均律クラヴィア曲集の武蔵野文化会館(小ホール)から東京文化会館へと、都会へ出てまいりました。客層もカジュアルだった前日とは打って変わり、コンサートホールへ来ているぞ、という雰囲気に満ちています。これは、お隣大ホールで行われているクリスマス恒例(であろう)メサイアの影響もあるのかもしれません。

前日の平均律クラヴィア曲集全曲演奏会については、すでに書いた通りなのですが、ゴルドベルク変奏曲ではまた違った面が出てくるのではないか、との期待もありました。

しかし残念ながら、前日の演奏と大きく異なるようなことはなく、緻密に組み立てられた熱演、という以上の印象を得ることはできませんでした。

わたしが音楽を聴くとき、それがどんなに感心しないもの、突飛なものであっても、すくなくともわたしよりも音楽的経験が豊かで、音楽に対しても真剣である人が、このように弾いているのであるから、何かわたしには計り知れない意図があるのではないか、とまずは演奏よりも自分を疑って考えるのですが……リフシッツの意図はどうもわたしには分かりかねたようです。

コンサートの後、同行した方々とお店で軽くワインなどを飲みながら(当然私は水なのですが)雑談などしたのですが、ひとしきり誰のゴルドベルクが良いかなどと話した後、「ソコロフのゴルドベルクを聴こう」ということになりました。このとき、同行した方々も、リフシッツの演奏から私と同じような印象を得たのだということが、なにとはなしに分かったのでした。

 


コンスタンチン・リフシッツ演奏会(平均律クラヴィア曲集)

先日、賛否の声渦巻くペーター・コンヴィチュニー演出の「サロメ」を聴いてきたのですが、その感想はさておき、昨年のコンサート記を続けることにします。

ようやくと年末に近づいてきて、12月23日、24日のコンスタンチン・リフシッツ演奏会です。リフシッツは23日に平均律クラヴィア曲集全曲を、24日にゴルドベルク変奏曲を弾くという、なんとも大胆な選曲、かつ日程です。巷は気もそぞろの12月24日にゴルドベルクを聴くというのも、なんともはや…。

ゴルドベルク変奏曲は、私のもっとも好きなピアノ曲の一つなのですが、今を去ること20年ほど前にニコライエワの演奏を聴いて以来、演奏会ではなかなか聴く機会のなかった曲でもあります。数年前のコロリョフの演奏会なども食指を動かされたのですが結局忘失してしまい、後で聞けばそれほどでもなかったとのこと。なかなか縁に恵まれないのです。

リフシッツについては名前を知っている程度だったのですが、平均律とゴルドベルクを連日演奏すると聴いて、つい触手が動いてしまったのです。

平均律については、全曲を演奏会で聴いたことは一度もなく、最近でこそ、ポリーニやシフが俎上に乗せてはいますが、実際演奏会へかけられることもそれほど多くはないのではないでしょうか。リフシッツは、全曲を1日で演奏してしまおうということで、前半に24曲、後半に24曲、間に数時間のインターバルが開くため、ほぼ半日がかりという、まるでマラソンのようなコンサートです。

肝心の演奏ですが、まずつまずきそうになったのがその配曲です。前半24曲というのは、実は第1巻の1番、第2巻の1番、第1巻の2番…というように、2巻を交互に弾き、12番までを弾いたのです(もちろん演奏会前から分かっていたことではありますが)。

普段レコードでは、全曲を聴くにしても、抜粋を聴くにしても、たいてい1巻と2巻は分かれており、またこれは勝手な思い込みかもしれませんが、第1巻の24曲、第2巻の24曲というものは、24曲で一つの組曲のように構成されているように感じるのです。ことに第1巻でハ長調の前奏曲から始まり、ロ短調の壮大なフーガで終わるさまは、調性という宇宙を描いた壮大な絵画であるようにすら思えるのです(第2巻に関しては、もう少しカジュアルな、あるいはロマンティックな雰囲気を感じるのですが)。

さて、その第1巻と2巻とが混ざって出てくるわけですから、聴く方としてはいまいち調子が出ないのです。とはいえ演奏は、美しい音色、ほぼ完璧にコントロールされた打鍵、さらには暗譜での演奏など、こと演奏技術に関しては(あくまで素人の私が見る限り)非の打ち所が無いといってよいような演奏でした。

しかし、その完璧な演奏から生み出される音楽には何かが足りないのです。いや足りないのではなく立派すぎたのかもしれません。バッハの楽譜を設計図とした建造物を、大聖堂のように、あるいは細密画のように、いささかの狂いもなく緻密に作り込んでいるように感じられたのです。しかし困ったことに音楽は大聖堂でもなければ、細密画でもありません。常にゆらぎ、うつろい、現れては消えていく蜃気楼のようなものです。そのゆらぎや頼りなさを確固たる形あるものとして表されてしまうと、それは音楽のようであって音楽とは異なものとなってしまうように思えてならないのです。

大気中をたゆたうような一見捉えどころのない音楽作品を、一瞬の閃きでつかみ取り、音とするのが演奏家という芸術家の使命でもあるでしょう。しかしリフシッツの演奏は、漂う音楽を捉えることをあきらめ、音楽の外観、表面を緻密に、しかしまるで形骸のように、再現するという道を選んだように思えてなりません。

誤解のないように書いておきますと、リフシッツのピアニストとしての技術的側面は、大変に高度なものであることは間違いありません。しかし残念ながらその技術によって生み出された音楽には、音楽の持つゆらぎ、息遣いといったものが希薄であったように私は感じたのでした。

とはいえ、第1巻ロ短調のフーガなどは実に美しく、聴き入ってしまったのですが、その後に第2巻の前奏曲が出てくるのですから……最期まで調子の狂わされた演奏会でした。

 


ガレリア(ミラノ) [News写真2005年4月]

前回に引き続き、気温38度のイタリアです。

ミラノはローマに次ぐ第2の都市だけあって、ヴァカンスシーズンかつ猛暑であったにも関わらず、夕闇迫るガレリア周辺には、観光する人、買い物を楽しむ人、それに夕涼みをする人などがそぞろ歩いていました。

ガレリアはドーム型のガラス天井を中心として道が十字に伸びた巨大アーケードで、十字の道はミラノの象徴、ドゥオモやオペラの殿堂、スカラ座などへとつながっています。その壮大な外観はミラノの中心と呼ぶにふさわしい威容と美観を誇っています。

ドーム天井の直下には牛の描かれたタイルがあり、この上で一回転すると何やら幸運が舞い込むらしいのですが、それがどのような幸運なのかは実はミラノっ子も知らないのだそうです。もちろん正しい観光客である私も一回転。

ガレリアには、楽譜で有名なRicordiをはじめとして多くの高級ブランドが店舗を構えています。これは同じようなガレリアのあるナポリの下町風情とはずいぶんと異なっています。2つのガレリアを比べてみると、色々な意味でイタリアの北と南の違いを反映しているようにも思えます。

ここ、ミラノのガレリアにはベンヤミンの言う「幻灯(ファンタスマゴリ)の映しだす資本主義の幻想空間」が正しく残されているのかもしれません。


ワレリー・アファナシェフ演奏会

今年もはや一月が過ぎてしまいましたが、去年11月のコンサート回想が未だに終わっていません。困ったものです。コンサート第2弾は、鬼才アファナシェフです。この鬼才という言葉もどうかとは思いますが。

アファナシェフは一寸グールドと似たところがあって、いわゆるクラシック畑ではない知識人の間で話題となり、そこから本来のクラシック畑の聴衆ではない人々も含めて評判となった演奏家ではないかと思います。

たしかにグールドのときには、本人も含めたあれやこれやの論文で「なるほどそんな聴き方もあるものか」と思ったものですが、私も年を重ねひねくれものになったのか、同じような現象が再び起こると「ああ、またか」となってしまいます。

それというのも、グールドを聴く人、絶賛する人の多くは、グールドの弾くバッハなりモーツァルトは聴いても、バッハやモーツァルトという作曲家、あるいは他の演奏家にはほとんど興味を示さないからです。私に人の聴き方をどうこう言う権利はまったくないのですが、バッハやモーツァルト、シューベルトは媒介に過ぎず、グールドやアファナシェフを聴いているという現象には、何か違和感を感じてしまうのです。

そもそもなぜ知識人先生がそんなに特定の演奏家ばかりに難しい言葉や論理を労して肩入れするのかというのも不思議な話です。好きな演奏家であれば一人密やかに楽しんでいればよいだけなのに。

そんなことから、「ああ、またか」と来日はすれど聴きにいくことのなかったアファナシェフですが(もちろん数少ないレコードやCDでは聴いていて、私の中での位置はそれなりに決まっていたのですが)、またまた友人に誘われまして、好き嫌いはどうあれ、一度は聴いてみないといけないと思い、聴きにいくことになったのです。

そのアファナシェフはのっけから個性的な登場をしてきて少なからず驚きました。また、指先を反らすようにして弾くその様は、さながら魔女が呪術をかけているかの如きで、観るという意味では非常に面白いピアニストだと思います(ただ、私は目から映像が入ると音が変わって聴こえてしまうので、演奏会では極力目を閉じて聴いているのですが)。

その風貌とも相まってこれは相当風変わりな音楽が出てくるのかと思いきや、出てきた音楽は思いの他真っ当で再び驚きました。もちろんテンポの速い、遅いでいえば、かなり遅い部類にはなるのでしょうが、その音や和声の感覚は、かなり正確かつ確信犯的にバランスの良い響きを目指しているように感じられ、異常感覚や侘び寂びというよりも、古典的均整を保って、どちらかといえば肯定的な響きすら持っているように感じました。

しかし、お花畑に蝶々が飛んでいるような紋切り型のイメージではなく、表面的なほがらかさの裏に隠された、暗く陰鬱なロマン的感情、一筋縄ではいかないシューベルトの音楽というものを聴いてみたいという欲求からすると、若干健康的過ぎる嫌いがあったのもまた事実です。

もっと平たく言ってしまえば、ソフロニツキーやユーディナ、リヒテル(あるいはエドゥアルド・エルドマンでも良いですが)で感じたような衝撃、驚きといったものを感じるまでには至らなかったということでしょうか。

むしろ感銘を受けたのは、ほとんど計算されつくしたかのような音楽の古典的均整と、個性的な奏法(ホロヴィッツかグールドかというような)でありながら、強烈な打鍵にもほとんど音を濁らせない技術で、ロシア・ピアニズムの技術的側面を十二分に感じることができました。

好き勝手なことを書き連ねてしまいましたが、実のところアファナシェフは侘び寂びや「もののあはれ」などというものはとうに通り過ぎ、古典的均整の中に新たな境地を見出していたのかもしれません。


エスプレッソマシンのスチームアーム交換

CLASSICUSでは、主には私が飲むために(いえ、もちろんお客様にもお出しします)エスプレッソ・マシンを置いています。Gaggia社のTebeというマシンで、オ・ソレ・ミオの国イタリア製ですから大変に美味しいエスプレッソが出来るのです。

このマシンはそこそこ高級機ということもあって、当然ながらカプチーノのミルク泡立て用のスチーマーがついているのですが、このスチームノズルには初心者でも泡立てやすいようにパナレロというプラスチック部品がついています。しかし、一度キャプチーノ(と玄人ぶってみる)をいれると、このパナレロとノズルには牛乳のカスがビッシリとついてしまい、その度に掃除するのが(ましてやたんぱく質ですから)結構面倒だったりします。また、パナレロ付きノズルを使うと、大したコツもいらずに泡立つ代わりに、かなり大ざっぱな泡立ちとなってしまいます。

そこで、掃除の利便性(金属ノズルだけだったら、泡立て直後に濡れふきんなどで拭けばほぼOK)と泡立ちの細かさを求め、パナレロ無しでカプチーノすることにしたのでした。結果、ちょっとしたコツは要ったものの、なかなかどうしてキメ細やかな泡立ちを実現することが出来て満足だったのです。しかし、ノズルの途中で自己主張しているパナレロ取り付け部分が、不必要なだけに気になりだしました。

そんな時に見つけたのが(通販番組みたいですが)ここのページ中ほどにある、Rancilio Silvia用のスチームアームとアダプターです。早速注文したところ、すぐさま送られてきました。

取り付けて使ってみると、使い勝手そのものはGaggiaのパナレロ無しと大差ありませんが、見た目はかなりグレードアップした感じです。ただ、アダプターを介してやや無理やり取り付けているためか、アダプターの隙間から少し水(お湯)漏れします。また、大きなナットも美観的にはなんとかしたいところです。

そこで、純正のアームとRancilioのアームをあれこれと見比べてみたところ、アームの太さや、ストッパーの形状はほぼ同一で、ナットの形状だけが大幅に違うことがわかりました。ということは、GaggiaのナットでRancilioのアームを取り付けることができるのではないか? という悪魔の囁きが聞こえてきました。

Gaggiaのアームは構造上ナットが外れないようになっていますから、この作業を始めてしまうと後戻りはできません。しかし、ここまで考えたからには実行あるのみ。

まずは、Gaggiaのアームを力ずくで折ってナットを取り出します。プライヤーで握って何度か曲げ伸ばしをすると、ポキっと折れます(かなり猟奇的な壊し方になってしまいました)。

外したナットは、Rancilioのアームへすんなり入りましたので(実は折り曲げ部分に引っかからないかどうかが一番心配だったのです)、あとは取り付ければ一丁上がりです。

まるで純正のスチームアームのように美しく付いています。満足満足。

特典として、このアームにはいろいろと楽しい部品が用意されていて、これこれなんかが気になっています。

なお、Rancilio Silviaの古い方のアーム(多分Version1や2というもの)でないとこの方法は使えないようです。アタッチメントを購入する必要がなくなりますので、Gaggiaのアームを犠牲にする覚悟がある方にはおすすめです。おそらく、古いClassicやBabyでもできるのではないでしょうか。