三宅麻美ベートーヴェン・ツィクルス

今年もあっという間に暮れとなってしまいました。もしかすると、光陰の矢に乗っかってしまっているのでしょうか。

10月から12月にかけては、個人的なことでドタバタとしていた上に、前々からチケットを買っていたコンサートがずいぶんと重なってテンヤワンヤしてしまいました。いまさらですが、いくつかのコンサートの感想などを書いてみたいと思います。

まずは11月に行われた三宅麻美さんの「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 全曲演奏会 第1回」です。

三宅麻美さんは、以前にピアニストの友人から紹介されたのですが、話してみると、なんとショスタコーヴィチがお好きであるという。とりわけ弦楽四重奏の15番やヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタがお好きでらっしゃるという。しかも前奏曲とフーガ全曲を日本人として初めて録音されたのだそうで、これはもう完全に私の好みと一致してしまっている変態、いや、素晴らしい感性をお持ちの方なので、すっかり話がはずんでしまいました。

そういえば、この春には三宅さんと荒井英治さんによるショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ他を聴いたのですが、演奏が音楽に解けこんでいくような素晴らしい演奏で、なんというか、久しぶりにショスタコーヴィチらしいショスタコーヴィチを聴いたような気がしたのでした(レコードも含めてです)。

そんな三宅さんがベートーヴェンを全曲演奏されるというのですから、これは聴き逃すわけにはまいりません。

ベートーヴェンというのは、戦後の日本でもっとも聴かれてきた作曲家であろうと思うのですが、経済成長が怪しくなりはじめた頃から、マーラーだブルックナーだショスタコーヴィチだと言われはじめ、ベートーヴェンのような前向きで力強い音楽というものが、やや飽きられたというか、多様性の波にのまれてしまったような状況なのではないかと思います。

しかし、ずいぶんと音楽のつまみ食いをしてきた現在の私にとっても、最後の最後にたどり着く作曲家は(もちろんシェーンベルクであるとかショスタコーヴィチが好きであることには変わりはないのですが)バッハかベートーヴェンではないかと感じてしまうのです。特に私の好きなベートーヴェン後期の作品は、幾度となく聴いても常に新たな発見があり、すべてを内包し、ついに音楽の真理に達したのではないかと思わせる一方、極めて個人的な感情にもつながっているように思うのです。

今回の演奏会は作品番号以前のものから、1、2、3番というプログラムでしたので、普段後期のソナタばかりを聴いている私は、気楽な気分で聴きに出かけたのですが、ベートーヴェンという作曲家の凄さというものを思い知る羽目となりました。

三宅さんの演奏を聴いていると、ときに「えっ、こんなフレーズがあったの?」と思ったり、「こんな仕掛けがあったのか」と気づく場面に出くわし、ベートーヴェンの革新性と天才はすでに初期の頃からあったことを、あらためて知ったのでした。甘さを廃した演奏は、ベートーヴェンの旋律の美しさを浮き立たせるに余りあるものでした。ベートーヴェンの旋律は、甘く流麗に弾いていても、それは結局表面を撫でているだけに過ぎず、決して彼の音楽の本質にはたどり着けないのではないかと思います。

本当は一飛びに後期のソナタが聴きたいのは山々なのですが、三宅さんのツィクルスを順を追って聴いていくうちに、次々と新たな発見に出会えそうな予感がしています。