【ビンテージ・フォト】イザイ、フーベルマン、ハイフェッツ

3人のヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニスト。

ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)はベルギー出身の伝説的ヴァイオリニスト。カザルスをして「イザイほど正確な演奏ができるヴァイオリニストを聴いたことがない」と言わしめたそうです。また、ヴァイオリンという楽器の可能性を押し広げたという面においても後世のヴァイオリニストへ与えた影響は計り知れません。ヴァイオリン作品を中心として作曲も行っており、6人の名ヴァイオリニストに捧げた《6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》がつとに有名です。イザイはロシアにも演奏旅行をしていますので、この写真はその時に撮られたものかもしれません。

84×134mm 厚紙プリント。ロシア製。暗部わずかな銀浮き。

¥ 20,000

ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)は、ポーランド出身のユダヤ系大ヴィルトゥオーソ。ヨアヒムに師事をしますが、そのスタイルは唯一無二のもので、ハイフェッツをも凌ぐヴィルトゥオーソとも評されています。シオニズム運動にも関わり、イスラエル・フィルハーモニー(設立時はパレスチナ管弦楽団)を設立したことでも知られています。

84×134mm 厚紙プリント。ベルリンVerlag HansDursthoff製。暗部銀浮きが目立つ他、外周部多少の傷み等。

¥ 10,000

ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)は、史上最高のヴィルトゥオーソとも評されています。その真偽はともかくとしても、残された録音を聴く限り、録音史上最高の1人ということは間違いのないところでしょう。フーベルマンもハイフェッツの演奏を聴いて唸ったといいます(彼も引けをとっているようには聴こえませんが)。ハイフェッツは9歳の時、その演奏を聴いて驚嘆したアウアーの弟子となりますが、この写真はその頃撮られたものではないでしょうか。

88×138mm 厚紙プリント。ロシア製。上部に2ヵ所画鋲跡、下部小ヤブレ、周辺部多少の傷み。暗部多少銀浮きがあります。

¥ 20,000

【ロシア・ビンテージ・フォト】ボロディン、リムスキー=コルサコフ

「ロシア五人組」の2人の作曲家。

アレクサンドル・ボロディン:95×144mm。光沢紙プリント。リプリント、もしくは複写と思われます。

¥ 6,000

ニコライ・リムスキー=コルサコフ:86×132mm。厚紙プリント。周辺若干の銀浮き。

¥ 15,000

【写真】ネイガウス、ネジダノワ、ザヴァツキー、リヒテル

珍しい取り合わせの4人の写真。

ネジダノワは前掲の通りで、ネイガウスリヒテルもご存知の師弟。ユーリ・ザヴァツキーはスタニスラフスキーの弟子にあたり、1940年から77年までモソヴィエト劇場の芸術監督を務めた、ソ連時代を代表する演劇人の一人(個人的にはリュビモフのタガンカ劇場に惹かれますが…)。

144×94mm コート紙。1950年撮影。プリントは70年代と思われます。

¥ 3,000

【写真】ショスタコーヴィチ 他

70年代と比較的新しい時期にプリントされたショスタコーヴィチ関連の写真になります。

楽譜に向かうショスタコーヴィチ。1945-47年頃の撮影。

キリル・コンドラシン、マキシム・ショスタコーヴィチと。1964年撮影。

プロコフィエフ、ハチャトゥリアンをはじめ、作曲家のお歴々との集合写真。撮影時期が記載されていませんが、1930年代でしょうか。前列左より、ハチャトゥリアン、ガジベコフ、ショスタコーヴィチ、グリエール、プロコフィエフ、後列左よりシャポーリン、カバレフスキー、ジェルジンスキー、コヴァリ、ムラデリ。

いずれも144×90mm 半光沢紙プリント(上2点)と光沢紙プリント。

各 ¥ 3,000

オルトフォン旧型トーンアーム用コネクター(DIN5ピン広角)

オルトフォン旧型トーンアーム用のDIN5ピン広角タイプのコネクターです。Preh社製旧型ストレートタイプとなります。

Preh社は、ハーマンからニックス時代のRMA/Gアームに付属していたL型コネクターも供給しておりますので、いわば、純正部品のストレートタイプと言ってもよいでしょう。昨今はプレーヤーキャビネットもどんどん厚くなっていますので、L型よりもストレート型の方が扱いやすいようで、L型コネクターのピン部分のみを利用してストレート型に改造したものもよく見かけます(そもそもL型コネクターの用途は、ストレート型では入らない狭い場所で使用するためのものですから、OrtofonがなぜL型を用いたのか…)。

Preh社のDINコネクターも(おそらく何十年ぶりかで)モデルチェンジをしており、現行型は固定ネジがプラスであったり、ガイドキーが国産コネクターと同じようなプレスタイプになってしまっています(旧型はダイキャスト)。ほとんど性能、機能とは関係の無い部分まで気になってしまうのは「病膏肓に入る」の最たるものですが、こればかりは止められません。旧型は市場に出回っているものを探す他ありませんので、今後の入手はかなり難しいでしょう。

また、現在でも入手が容易なDeltron社製の同型コネクターは、メッキが弱いため余りおすすめできません。

コネクターのみですので、ハンダ付けが必要です。線材やRCAコネクターをご提供いただいた上でのトーンアームケーブルの作成も別途有料にて承っておりますので、ご相談下さい。

ある程度数量を確保しておりますので、複数ご希望の場合はお知らせ下さい。

¥ 5,400

【ロシア・ビンテージ・フォト】ドミトリー・ショスタコーヴィチ

若かりし頃の、ショスタコーヴィチ。ソ連を代表する作曲家だけに写真は多いですが、若い頃のもの(古いもの)は比較的珍しいと思います。

91×134mm コート紙プリント。右上角にマイナーな折れ跡。

¥ 12,000

【ロシア・ビンテージ・フォト】コンスタンチン・イグムノフ

ロシア・ピアニズム4大教師の一人、コンスタンチン・イグムノフのまだ演奏家として活躍していた頃(生涯演奏家として亡くなる年にも演奏会を行っていますが…)の写真です。

85×134mm 厚紙プリント。若干の汚れ(落とすことは可能かと思います)、角にマイナーな折れ等。

¥ 40,000

【ロシア・ビンテージ・フォト】ボリス・シボ-

ロシアのヴァイオリニスト、ボリス・シボ-(シボリ)(1880-1961)は、サンクト・ペテルブルク時代のアウアーの高弟で、後にアウアーの娘と結婚します。

アウアーの弟子として、またヴァイオリンの名手として名を知られていながら、録音を残さなかったためその演奏は想像の域を出ません。また、モスクワ音楽院の設立メンバーであり、弟子も少なからずいるにも関わらず、ストリャルスキーやヤンポルスキー門下のような活躍をしなかったため、教育の面でも謎の多いヴァイオリニストです。研究が待たれます。

85×134mm 厚紙プリント。角他わずかな傷み。

¥ 20,000

【ロシア・ビンテージ・フォト】アレクサンドル・ヴェルジュビロヴィチとマリア・ドリーナ

アレクサンドル・ヴェルジュビロヴィチマリア・ドリーナの古い写真です。

ヴェルジュビロヴィチは前掲の通りロシア帝室管弦楽団の大チェリスト。ドリーナ(1868-1919)は、帝室マリインスキー劇場でも傑出したコントラルト=メゾソプラノ。《皇帝に捧げた命》でデビューを飾り、このヴァーニャが当たり役となります。《イーゴリ公》コンチャーコヴナを創唱した他、《エフゲニー・オネーギン》《雪娘》《ルサルカ》などを得意としました。1904年にオペラを引退し、歌曲コンサートを中心に活躍しますが、この写真はその時期のものではないでしょうか。

88×138mm 厚紙プリント。100年以上前のプリントとは思えないほど良い状態を保っています。

¥ 40,000

【ロシア・ビンテージ・フォト】ミハイル・フィヒテンゴルツとボリス・ゴルトシテイン

ストリャルスキー門下の天才少年2人。

ミハイル・フィヒテンゴルツ(1920–85)とボリス・ゴルトシテイン(1922-1987)は、共にオデッサでストリャルスキーに学んだのち、モスクワでヤンポルスキーに師事するという、当時の天才ヴァイオリニストの歩む道を辿りました。

1935年、ゴルトシテインはヴィエニアフスキー・コンクールで優勝し、若すぎるソ連邦の英雄となります。1937年のイザイ・コンクールがストリャルスキー門下のハイライトで、オイストラフ、エリザヴェータ・ギレリス、フィヒテンゴルツ、ゴルトシテインが上位を独占しました。しかしゴルトシテインは戦後、目に見えないユダヤ人差別に苦しむことになります。当時のユダヤ蔑視主義者たちは「スターリン賞を受けたユダヤ人」をどう処遇してよいか分からなかったのです。グネーシン音楽大学教授という相応しいとはいえない地位に置かれたゴルトシテインは(ここで唯一の有名な弟子ザハール・ブロンを教えている)、1974年ドイツへ亡命することになります。

フィヒテンゴルツもまたスターリンの時代に翻弄されたヴァイオリニストで、政府高官の娘と結婚をするものの、その高官であった義父が失脚し、フィヒテンゴルツは離婚を余儀なくされます。失意のフィヒテンゴルツは精神を患って手に麻痺を起こし、ヴァイオリニストとしての道を断念せざるを得ませんでした。精神療法を受け、グネーシン音楽大学で教鞭をとるようになった頃から手の麻痺も回復しはじめ、1960年代になってようやくヴァイオリニストとして再起を果たします。フィヒテンゴルツは、この頃からバッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ》をレパートリーの柱とし、ソ連のヴァイオリニストとしては例外的に(もう一人ピカイゼンがいますが)全曲を録音しています(5曲がLP録音された後、全曲がCD発売されましたが同一録音かどうかは未検証)。彼のストイックなまでのバッハは、悲痛な叫びのようにも、その先に救いを得たようにも聴こえますが(故にあまりレコード・ファンには好まれませんが…)、バッハの作品こそが彼に精神的な恢復を与えたように感じられてなりません。

波乱の人生故か、フィヒテンゴルツは65歳の若さで心臓麻痺を起こして亡くなり、ドイツのゴルトシテインも後を追うように65歳で没しました。

なお、写真にはミハイルがミーシャ、ボリスがブーシャと愛称が表記されていますが、当時のSPレコードにもこの名前が記載されています。また、ゴルトシテインは一昔前はゴールドシュタインなどとも呼称されていましたが、原語にうるさい方などは、ガリトシテインと呼ぶようです。ロシアでは「o」を「ア」と発音するので、「Go」が「ガ」になるのですが、原語主義もここまで徹底しなくてもよいでしょう。

フィヒテンゴルツ:88×135mm 厚紙プリント。角にマイナーな折れ等。

¥ 20,000

ゴルトシテイン:88×135mm 厚紙プリント。良いコンディション。

¥ 20,000