『Discopaedia of the Russia Pianism』ローマ字表記、日本語読みについて

『Discopaedia of the Russia Pianism』におけるロシア名のローマ字表記については書籍内にも書きましたが、スペースの関係で例を載せることができなかったため、ここに代表例をいくつか挙げます。

慣例とは違った綴り例としては、「Alexander → Aleksandr」「Neuhaus → Neigauz」「Afanassiev → Afanasiev」「Schnittke → Shnitke」などがあります。

反対に、当書のローマ字規則からは外れるものの、慣例に従った例としては、「Tchaikovsky ← Chaikovsky」「Rachmaninov ← Rakhmaninov」「Scriabin ← Skriabin」「Mussorgsky ← Musorgsky」「Richter ← Rikhter」などがあります。

 

また、カナの読みについても実際の発音に近づけようという目論見のもと、今までの慣例とは若干異なる表記となっています。ローマ字同様の変換規則に則った表記を基本としていますが、変換テーブル表をまだ作っていませんので下記に概要を示します。

主だったものとしては「di: ディ → ジ」「ti: ティ → チ」が挙げられます。例としては、「ウラディーミル → ウラジーミル」「ユーディナ → ユージナ」「ティモフェイエワ → チモフェーエワ」などのようになります。

また、ロシア文字の「я/ya」は「ヤ」としましたので「Tatyana → タチヤナ」「Mariya → マリヤ」としています。アルメニアの典型的な名前「Khachaturyan」「Nersesyan」などは、ロシア語とはまた違う発音であろうとは思いますが(そもそも原語はロシア文字ではないわけですが)「ハチャトゥリヤン」「ネルセシヤン」等としました。

発音に関しては難しい部分もあり、「Va」を「ヴァ」と読むか「ワ」と読むかはロシア人によってもまちまちなため判断に迷うところです。本書では濁らない「ワ」を基本とし、かなり気まぐれ、かつ恣意的に「ヴァ」を用いました(例えば、ウォスクレセンスキーやゴロヴァノヴでは今一つ様になりませんので)。

また、ロシア語における「e」(および「ë」)の発音もカナへ変換するには難物です。実際の発音を聞いてみますと「フェドセーィエフ」「ニカラーィエワ」「ワリィエーリー」に近いような発音に聞こえるのですが、これをそのままカナとすると冗長となってしまうため、煩雑さを避ける意味もあり慣例通り「フェドセーエフ」「ニコラーエワ」「ワレリー」等としました。心の中で「ィ」とアクセントを足していただければと思います。

もう一つ、アクセント無しの「о」も難しい問題です。この文字はロシアでは「ア」と発音するため、本来であれば先程も挙げたような「ニカラーエワ(ニコラーエワ)」や「ガラワーノフ(ゴロワノフ)」「サフラニツキー(ソフロニツキー)」となりますし、「オレグ」というファーストネームも、ロシア人は明らかに「アレグ」と発音しています。しかし、これを原語に近づけてしまい、結果として書籍としての使い勝手が悪くなってしまっても仕様がありませんので、慣例に倣って「オ」としました。

バルト三国や中央アジア諸国ともなると、ロシア語とは全く違った発音となるのは想像に難くありません。これらの発音については、ロシア語綴りを基本としましたが、当たらずとも遠からずという程度になっているのではないかと危惧しています。

 

いずれにしましても、この手の問題においてある程度の誤謬は避けられないところです。「外国語を完璧にカナ表記することは不可能である」ことを念頭におおらかな心でもってご容赦いただければ幸いです。

 

Discopaedia of the Russia Pianism 日本語版説明

下記リンクよりPDFファイルをダウンロードしてご利用下さい。

Discopaedia of the Russia Pianism 日本語版説明

カサンドルとレコードジャケット──およそ20年ぶりの『カッサンドル展』に寄せて

「カサンドル工房──ATELIER CASSANDRE」は、レコードコレクター、ことにジャケットを愛好するコレクターにとっては見過ごすことのできない名前の一つではないでしょうか。磨ぎ澄まされたタイポグラフィと幾何学模様とで織りなされたその装丁は、今日のようにフランスの初期版が容易に入手できるようになる以前から、またカサンドルというデザイナーの名を知る前から指に刺さった棘のようにして我々コレクターに印象を刻んだのでした。

はなはだ怪しげな記憶ですが、私がはじめて入手したカサンドルのレコードジャケットは、ディヌ・リパッティの『ブザンソン告別演奏会』のアメリカAngel盤ではなかったかと思います(奇しくも今年はリパッティ生誕100年にあたります。リパッティも私にとって思い出深いピアニストの1人ですので、いずれ一文をしたためたいと考えています)。灰色と朱赤の縁模様の中になんの気取りもないセリフ体で「Dinu Lipatti」と置かれた文字が不思議と強く印象に残りました。その後、Pathé盤(フランスColumbia盤などの国外輸出用レーベル)のジェラール・スゼー『ラヴェル歌曲集』やジャニヌ・ミショーの『パリのワルツ』(スノヴィッシュに『ヴァルス・ド・パリ』というのもよいでしょう)などを手にしましたが、カサンドルというデザイナーは未だ霧の向こう側でした。

写真はオリジナルのフランスColumbia盤。ただし、アメリカAngel盤も箱だけはフランス製で、フランス盤と同一の造作でした。

私がカサンドルを、というよりもレコードジャケットというものがコレクションとして成り立つものとして認識したのは、1992年に出版された『12インチのギャラリー―LP時代を装ったレコード・ジャケットたち』を読んでからではないでしょうか。深更、六本木のABC(青山ブックセンター)でその本を見かけ、時間も忘れて何度も読み返してから購入したことを今でも良く覚えています。当時は『デザインの現場』増刊でしたが、何年か後にはカバー付き単行本として再販されました。多分に初めて手に取った時の感激が重なっているのでしょうが、私は今でも増刊版の雑誌らしい造りとキッチュなデザインが好きです。

『パリのワルツ』ジャニヌ・ミショー。《ファシナシオン》《愛の小径》《ムーラン・ルージュ》ほかコケットなミショーならではのワルツ名品がずらりと並びます。なおジャケットは「ATELIER CASSANDRE-JOUBERT」名義。この頃より「ATELIER JOUBERT」名義のものが多くなってきます。出典を忘れてしまいましたが、リュック・ジュベールはカサンドル工房の写真撮影を担当しており、このジャケットのエッフェル塔の写真もジュベール撮影と記載されています。

話が横道へ逸れてしまいました。カサンドルはアールデコの申し子として、また街頭ポスターの旗手として1920年台から30年台のパリの街を席巻します。その後、雑誌『ハーパース・バザー』の表紙デザインやいくつかの書体デザイン(後のジャケット装丁にも多用されたペニョー体など)、舞台装置の製作などを行い、1950年代中頃より、フランスPathé社のレコードジャケットの装丁を手がけるようになります。

当時のLPレコードは現在とは比べ物にならないほどの高級品であったため、Pathé社はそれに相応しい装丁を求めたのでしょう。Mercure印刷所で製作されたカサンドルによるジャケットは、厚いボード紙2枚を合わせたジャケットにデザインを施した化粧紙が張られ、レコードはタイトルが箔押しされた引き出し棒の付いた内袋に収められました。この棒付きジャケットのものが「Deluxe盤」とされ、紺の縞模様の統一デザインにタイトル紙が貼りつけられた簡略版ジャケットが廉価な「Standard盤」として、同一の盤が2つの価格体系で販売されたのです。カサンドルによるジャケットデザインは、おそらく1955年頃から50年代末頃まで手がけられ、およそ5年の間にデザインされたジャケットは、あまりに膨大なため数えようとしたことはありませんが、100を優に超え200点近くに上るのではないかと思われます。

同一番号のDeluxe盤とStandard盤。このマルケヴィッチによる《音楽の捧げもの》のDeluxe盤装丁は、舞台美術を想起させ、カサンドルの絵画的傾向も伺える名作の一つです。

カサンドルは当時、デザイナーとしてよりも画家として認められることを望んでいたと言われ、ジャケット装丁の中にもいくつか絵画的作品を用いたものを見ることができます。この時期には、エクサンプロヴァンス音楽祭の『ドン・ジョヴァンニ』の舞台美術も手がけており、この時の舞台美術集が『Decor de Don Juan』としてスイスのKiester社から発売された他、ロスバウト指揮によるその時の実況録音盤はカサンドルの禁欲的なタイポグラフィ装丁によってPathéレーベルより発売されました。この実況録音盤は、録音状態の悪さを超えた名演として今なお愛好され続けています。

1968年、5月革命の熱気冷めやらぬ中、カサンドルは拳銃で自らの生に終止符を打ちます。鬱症状であったこと、画家として望むような評価が得られなかったこと、広告芸術の変容に耐えられなかったこと、新たな書体デザインが認められなかったことなど、その要因は種々推測され、今開催されているカサンドル展の目録では、その死の要因を様々な史料をもとにして見事にひもとかれています。しかし、「芸術家の死」というものは、自ら選んだものであっても、あるいはそうでなかったとしても、時代と分かちがたく結びついていはしないでしょうか。カサンドルの死は、広告芸術が変容した年、民主主義が大きく転換した年、文化と社会との関係が劇的な変遷を遂げた年、すなわち1968年でなければならなかった、と思われてならないのです。

会期も残り1ヶ月ほどとなってしまいましたが、八王子夢美術館にて『カッサンドル・ポスター展』が開催されています。庭園美術館、サントリー天保山ミュージアムでの展覧会からおよそ20年ぶりの展覧会となります。

私は、埼玉県立近代美術館で開催されていた折に足を運びましたが、オリジナルポスターの色彩が持つ魅力、作品としての力強さに半ば圧倒されました。100年近くも前の作品たちによって、会場全体がさながらアールデコの直線のように張りつめている様には驚くほかありませんでした。レコード店の必需品『Pathé蓄音機』のオリジナルプリントや、エルメスのためにデザインした洒脱なトランプ、画家としての作品など展示作品も多岐にわたり、少数ですがレコードジャケットも展示されていました。目録は、美しい印刷とともに上述の通りカサンドルの死にまつわる読み応えある小論などあり、今回もまた保存版とするに相応しい出来となっています。

カッサンドル・ポスター展──グラフィズムの革命
Posters of A.M.Cassandre A Graphic Revolution
2017/04/07(金)〜 2017/06/25(日)
開館時間 10:00〜19:00
入館は閉館の30分前まで
休館日  月曜日

開催概要
ウクライナに生まれ、フランスで活躍した20世紀を代表するグラフィックデザイナー、カッサンドル(1901年〜1968年)。彼が生み出した作品は、時代の先駆的な表現として、グラフィックデザイン界に「革命」をもたらします。都市の街頭を埋め尽くしたポスターはもちろん、レコードジャケットや雑誌の表紙等、数々の複製メディアの仕事を手がけ、生活の隅々にそのデザインが満ち溢れました。カッサンドルは機械と大量消費の時代をまさに体現したのです。
この展覧会ではカッサンドルの数々の仕事を、ファッションブランド「BA-TSU」の創業者兼デザイナーである故・松本瑠樹氏が築いたコレクションを通してご紹介します。松本氏のカッサンドル・コレクションは、保存状態の良好なポスターの代表作、およびカッサンドル直筆の貴重なポスター原画を含むものとして、世界的に高く評価されています。国内ではおよそ20年ぶりの回顧展となる本展で、カッサンドルが到達した至高のポスターデザインをご堪能いただければ幸いです。
※5月23日より作品の一部に展示替えがあります。

CLASSICUSでもプチ・カサンドル展。Hermèsへデザインしたトランプとジャケットいくつか。ここでは少し趣向を変えて、タイポグラフィよりもグラフィックを中心としたジャケットを集めました。カサンドルは決して幾何学と直線の信奉者だったわけではなく、アーツ・アンド・クラフツやアールヌーヴォーからもいかに多くのものを汲み得ていたのかが分かります。参考:Jacket Arts──ATELIER CASSANDRE

ジャン・ロンドーの《ゴルトベルク変奏曲》──楽譜をめくる意味

過日、ジャン・ロンドーのチェンバロによる《ゴルトベルク変奏曲》のコンサートを聴いてきました。

ジャン・ロンドーは、この文章を書くにあたって調べてみたところ、鬼才とも呼ばれるフランスの若手チェンバロ奏者でこれが初来日だったとのことです。

私はゴルトベルク変奏曲を殊のほか愛好してはいるものの、このコンサートは行けなくなった友人からチケットを譲り受け、物見遊山で出掛けたことを告白しておきます。その友人も、ロンドーのチラシが余りにおかしかったのでチケットを購入したようですが。

ともあれ、当日私は文化会館の席に収まり、演奏会は始まりました。リパッティやバックハウスを思い出させるようなアルペジオを爪弾いたのち、弾きはじめられた《ゴルトベルク変奏曲》は拍子抜けするほどオーソドックスで、むしろ奇抜なチラシや「鬼才」という言葉が少し煽りすぎなのではと感じられるほどです。

それにしても、強弱のつかないチェンバロという楽器による演奏は、グールドをはじめとしたピアノによる名演を聴いた耳にとっては残念ながら余りにもモノクロームであって、その欠点を補うためにフレージングを強調したりテンポを細かく動かしてはいるのですが、これがまた弦楽器の古楽器奏法独特のアクセントを彷彿させてしまいます。古楽器演奏のあの年々どぎつくなるフレージングやアクセントは、音量による表現不足を補うものであったのかと妙に得心してしまいます。そういえば、《冬の旅》をフォルテピアノで伴奏した演奏会でも、テンポをことさら揺らす伴奏に閉口したものでした。

本来デュナーミクやアゴーギク(私は、この目を引く外来語があまり好きになれません。日本人なのですから「抑揚」と「緩急」で良いではないかと思ってしまいます)というものは、表現や歌いまわしの中において分離不能な混淆物として現れるはずであるのに、昨今の古楽器奏法は、まるで抑揚がつけられないので代わりに緩急をつけているようにすら思われてしまいます。18世紀に演奏された場や空間を想像するに、それほどの濃淡ある表現が必要であったとも思われないのですが。

一つの頂点ともいえる第25変奏では、始める前に大きく間を取り、ゆったりとしたテンポで繰り返しも全て行い、この変奏への思い入れは大いに感じられましたが、表現としての深みがその思い入れほどあったでしょうか。さらに言えば、この変奏をこれほど大切に扱っておきながら、ダ・カーポ主題へと戻る直前の最後の高揚、クオドリベットを繰り返しも行わずに弾き流したのことには少なからず失望を覚えました。私はバッハがこの変奏を最後に配したことには少なからぬ意味があると信じているのですが。とはいえ、第14変奏や16変奏などではチェンバロの鋭い音色を活かした表現で面白さを感じもしましたが、全体としては余り惹きつけるようなものは感じられませんでした。

もう一つ目を引いたのが曲の間です。ロンドーは多くの曲間に一呼吸を置いていましたし、勿体をつけたような楽譜のめくりかたをして長い間を取ったりもしていました。曲を間断なく続けたいのであれば、暗譜するなり譜めくりをつけるなりできるわけですから、何かしら彼なりの考えがあってのことだとは思いますが、音楽の流れが遮られるような気がして私にはあまりしっくりと来ませんでした。あるいはこれは新手のアゴーギクなのでしょうか。

楽譜をめくるという行為にはもちろん意味があります。タルガムのTED講演によれば、リヒャルト・シュトラウスが自作の指揮で淡々と指揮棒を上下させながら譜面をめくっているのは、もちろん自分の曲を忘れてしまったのではなく、「楽譜によって演奏するのだ」という暗喩を楽団員へと伝えているのだそうです。一体ロンドーは誰に向かって楽譜をめくっていたのでしょうか。

ダ・カーポ主題が静かに終わりをつげましたが、誰一人として拍手をすることなく、ロンドーも微動だにしません。一体この静けさは何なのでしょう。決して満足のいかない演奏ではなかったとしても、そこまで深く心に染み入るような演奏であっただろうか、と自問してしまいます。30秒、あるいは1分くらいたったでしょうか、熱烈な拍手とブラボーが湧き起こりました。正直を言うと、私は高揚したこの場の雰囲気と自分との落差にすっかり冷水を浴びせられた格好となり、いささかなりに楽しんでいた気分も雲散霧消してしまいました。拍手の鳴り止まぬ中、席を立って早々に文化会館を後にしました。

ショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ》──自作自演とメルニコフと…

ショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ》──プロコフィエフのソナタとともに20世紀(21世紀を含めてもなお)ピアノ音楽における金字塔であることは、好き嫌いはさて置き、誰もが認めるところではないでしょうか。「前奏曲とフーガ」という古典的な調性による形式をとりながら、不協和音はもちろんのこと無調に近づく部分すらあり、さまざまな理由から前衛色を薄めたとは言えショスタコーヴィチの精髄を極めた名曲といえます。事実、この曲はショスタコーヴィチの数少ないピアノ作品の中でも最も規模の大きなものであり、ショスタコーヴィチの託した思いというものは推して知るべきでしょう。

演奏に関しては、巷間ニコラーエワの世評が最も高いようです。それは、ニコラーエワが1950年のバッハ国際コンクールに優勝し、その演奏に触発されたショスタコーヴィチが《24の前奏曲とフーガ》を作曲し、これをニコラーエワに献呈した、という事実が大きく影響しているのだと思います。3度にわたり全曲録音を果たし、この曲集の評価を高めた功績は計り知れませんし、前奏曲などには本当に美しい瞬間もあるのですが、残念ながら私はニコラーエワ盤にはあまり惹かれません。全曲ではありませんが、リヒテルの演奏や自作自演に、より苦い真実が含まれているように感じられるからです。

リヒテルについては、私の最も好きな演奏家の一人ですから、いずれまた書く機会もあるかと思いますので、ショスタコーヴィチの演奏について。ショスタコーヴィチがこの曲を初めて録音したのは作曲直後の1951年ですが、この頃にはすでに右手に問題をかかえていてピアニストとして十全な状態ではなかったようです。曲によってはかなり破綻を来す部分もあり、そのような観点(技術的な)から見れば問題の多い演奏なのかもしれません。しかし、私にとっては彼の弾くどの旋律、どの和音一つをとっても、途方もない深さ、意味が感じられ、そこから得られるある種の感動(というよりもほとんど感情と言ってよいようなもの)は技術的問題あるいは他の名演奏には代えがたいものがあるのです。

興味深いのは、ほとんどのピアニストがアッチェレランドからテンポを落として壮大に曲を締めくくる第24番の終結部です。それは曲集全体の締めくくりとして、また壮大な二重フーガの締めくくりとしても相応しいものだと思うのですが、ショスタコーヴィチによる自作自演では、その終結部分もほとんどテンポを落とさず(若干落ちているのは技術的な問題のようにも聴こえます)むしろテンポを早めるように最後まで突き進んでいきます。これは当時の政治的な困難を反映して凄絶に突き進んでいる、と捉えることもできましょうが(世間もそのような答えを求めているのでしょう)、私がこれまでショスタコーヴィチの演奏を聴いてきた経験から感じるのは、彼はこのような気宇壮大な堂々たる曲想を演奏することに対して、ある種の気恥ずかしさを感じていたのではないか、ということです。

最近、ボロディン四重奏団の第一ヴァイオリンだったロスティスラフ・ドゥビンスキーの回想を読んだのですが(英語版は知っていたのですが、最近Amazonの電子ブックに日本語版があるのを知りました。どうやら個人の方が日本語訳をされた労作で、大変興味深い内容です。いずれこれについても書ければと思います)、ここに描かれているショスタコーヴィチは、早口でせっかち、そして回りが笑いを堪えられないようなアネクドート(ロシアの小話)を自ら話しても一緒に笑うでもなく「神経質そうに唇を噛んだ」のだそうです。自分の感情を明け透けに表現することが苦手、あるいは好まなかったのがショスタコーヴィチという人物だったのかもしれません。困ったことに、内なる感情が白日のもとに晒されてしまうのが、作曲であり演奏という行為なのですが…。

さて、ここのところショスタコーヴィチの《前奏曲とフーガ》で目立った存在といえば、アレクサンドル・メルニコフでしょう。数年前に全曲を録音し、一昨年には日本で一晩での全曲コンサートを二度行い、今年の春には「リヒテルに捧ぐ」という演奏会シリーズで数曲の抜粋を演奏。いずれもが絶賛を浴びています。『モーストリークラシック』のショスタコーヴィチ特集では、ニコラーエワ、アシュケナージ、それに三宅麻美さんと共に特筆すべきピアニストの一人とされています。しかも、このやや浮わついたとも見える絶賛は日本だけではなく、どうやらCDが制作されたフランスでも大変に評価されているのだそうです。

そもそもなぜこの文章を書く気になったのかといえば、実のところ2012年に行われた全曲演奏会を私も聴いたからです。その時の私の感想を有り体に書いてしまえば、表面的、あるいはショスタコーヴィチの表面すらかすっていない全く空虚な演奏。では若さにまかせた超絶技巧が冴えわたっていたかといえば、聴かせどころの15番のフーガでもあちらこちらとミスをする始末で、褒められるところといえば、演奏会場のエアコンの効きが良かったこと、という程に落胆させられた演奏でした。

メルニコフの演奏から聴こえてきたのは、鍵盤を叩くのが上手な人の饒舌なおしゃべり、ショスタコーヴィチの曲は「自己」表現のための道具と言わんばかりの大げさな身振りの自己表出であり、曲に対する愛情や尊敬といったものはまるで感じられないものでした。ショスタコーヴィチ自身はその表現を苦手としながらも、曲の中に溢れんばかりの感情や苦悩、それに作曲家の手からはすでに離れ独自の輝きを放つ曲そのものの生命力、芸術性といったものは一体どこへ霧散してしまったのか。全曲を通じて首をひねるばかりの演奏は、盛大な拍手とスタンディングオベーションで奇妙な大団円を迎えたのでした。

私が感じたものと世の絶賛との落差は一体何なのか。演奏会から2年以上を経ても未だにこの疑問への合理的な答えは得られていません。素晴らしい演奏だったと感動されている方の横で「まったく酷い」などと毒づくのは品の無いことですから、このことを書くのも長いことためらってはいたのですが、芸術について何かを書くからには、やはり正直でなければとも思うのです。

事によると世間の評価が正しく、私がまるでメルニコフを理解できていないだけかもしれませんが…。

【お知らせ】竹内進 バリトン・リサイタル 2015

Takenouchi_Roussel

2011年のリサイタルをご紹介して以来ですが、当店常連の高等遊民(ナドと言うとまた叱られますが)、かのバリトン・マルタン、カミーユ・モラーヌに長年師事された竹内氏が、来る12月15日に、「ルーセル先生 生徒サティ 息子プーランク」という、大変刺激的なプログラムにてリサイタルを行われます。

内容の興味はもちろんのことですが、このコンサートの対訳付プログラムは毎年大変な労作で一見の価値があります(しかも、コンサートでしかプログラムは配布しないとのこと)。私も毎年プログラムを楽しみにしており、資料としても大変勉強になっています。

サティはこの夏のBunkamuraの展覧会に足を運んだこともあり、心惹かれるものがあります。ご興味がお有りの方は、ぜひ足をお運び下さい。

 

竹内 進 バリトンリサイタル 2015

「ルーセル先生 生徒サティ 息子プーランク」

バリトン 竹内 進 TAKENOUCHI Susumu

ピアノ 竹内陽子 TAKENOUCHI Yoko

2015年12月15日(火)

19時開演(開場18時30分)

スタインウェイ・サロン東京・松尾ホール

 

予約、お問い合わせ ふぁさふぁす E-mail:face-a-face@y-mobile.ne.jp

Hermes / Cassandre のトランプ

ブログの更新を怠けてぼーっとしている間に、いつの間にやらすっかり盛夏になってしまいました。

ところで当店には少しではありますが、レコードジャケットとは別に音楽に関係あったりなかったりする写真や絵を飾っているのですが、あまり同じものを掛けていると飽きてきてしまいます。そこで、暑気払いの気分転換も兼ねてカサンドルがエルメスのためにデザインしたトランプを額装してもらいました。

A. M. カサンドルは、アールデコ時代を代表するデザイナーの一人で、「ノルマンディ号」や「北方急行」のポスターやイヴ・サン・ローランのロゴなど、古さを感じさせるどことか、むしろ一歩も二歩も先んじているかのような名作の数々を生み出しました。しかし、レコードコレクターという観点から見ると、1950年代に多くのレコードジャケットのデザインを手がけたおなじみのデザイナーということになります。

さてこのエルメスのトランプ、数字札は共通のデザインとなっていますが、絵札とエースは4種それぞれに違うデザインが施されています。また、トランプ側面には金箔が塗られているという手の込んだものとなっています。

このトランプには同じエルメスによる復刻版もあるのですが、こちらはトランプ裏面が無地であったり(この裏面のデザインもカサンドルの面目躍如たるデザインで、赤系と青系の2種類が作られました)、側面も金箔処理がされていなかったりと、(レコードと同じく)やはり初版が良いという典型的な一例となっています。

一緒に額装してもらった、ヴェルジュビロヴィッチ(帝政ロシア時代の宮廷チェリスト)の小さな写真と共に、また違った気分で音楽を聴くことができそうです。

 

【お知らせ】桑田穣 J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

Bach_Unaccompanied

 

この企画には半ば関わっているので手前味噌となってしまいますが、当店のお隣、Ralph and Sunnieにて、ヴァイオリニストの桑田穣氏の演奏による、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータを聴く会が下記の通り開催されます。

 

J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンを聴く会

桑田穣(ヴァイオリン)

2011年5月14日(土)

開演 18:30 (開場 18:00)

演奏曲目

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番, BWV 1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番, BWV 1004

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番, BWV 1003

 

詳細、お問い合わせはRalph and Sunnieまでお願いいたします。

それほど多いというわけではありませんが、職業柄クラシックの演奏家の方々とも知り合うことがあります。その中の一人がヴァイオリニストの桑田さんです。

よく「演奏家は自分が一番と思っているから、人の演奏は聴かない」と言われます。実際にはこの言葉はかなり極端であるとは思うのですが、わたしがこれまでに出会った演奏家の多くは、他の演奏を参考程度にしか聴かなかったり、演奏技術に非常にうるさい方が多かったように思います。ピアノでいえば均一なタッチ、揺れないテンポ、混濁しないペダルワークなどなど…これらが少しでも破綻するようであれば、良くない演奏というわけです(この線でいくとわたしの好きな昔のロシアのピアニストなどは全員落第なのですが)。

たしかに楽器の演奏は、素人目で見てもかなり難しく、また特殊な技術が必要であることは分かりますし、技術がなければ表現できないことというのも随分あるのだと思います。しかし、残念なことに音楽は計算や競技ではなく芸術です。技術をいくら磨いたところでそれが芸術的表現へとつながらなければ全く無意味なことになってしまいます(最近は、乱立するコンクールなど、音楽がまるでオリンピックのようになりつつあるようにも思えますが…)。

桑田さんは(失礼ながら)演奏家には珍しく、1950年代や60年代に録音された音楽──技術より以上に音楽が重視された時代、音楽がまだ芸術であることを十全に保っていた時代の音楽を聴くのを楽しみとされている方です(今でこそ何人かそのような演奏家の方々とも知り合いになりましたが)。ウォルフガング・マルシュナー、ポール・マカノヴィツキー、ユリアン・シトコヴェツキー等々。そして、わたしが何よりも好きな時代もこの時代なのです。

そんな風にして、日々情報をやり取りさせていただいていた桑田さんですが、最近バッハの無伴奏を練習しているという話を聞きおよび、それならば、と話が進みこのコンサートが開催できる運びとなったのでした。

50年代、60年代の「芸術」を楽しまれる桑田さんが、どのようなバッハを奏でるのか、期待ふくらむ今日この頃です。